あまり良くない思考の展開かもしれないけれど、唯物論であろうと観念論であろうと人は死んじゃったほうがいいんじゃなかろうか。この世は不条理だ、存在は無意味だ、存在は嘔吐だ、とかいうのに結局は無意味を受け止めて歓喜に至れ、とか言う結論になるのは単にアプリオリ(要するに本能だろ)として死にながら生きるプログラムをヒトが獲得しているからに過ぎなくて、どこまでも完璧無比に理性的な生がヒトであったとするなら生まれた瞬間に息を止めて窒息死してしまうのではなかろうか。
神が存在したとして、この世は偽りの世界であるのだから早々に死んでしまわなければならない。神が存在しないとして、この世は無意味であり非存在なわけだから死んでしまわなければならない。存在に絶対性はないけれど死には絶対性があるので真理に至るのなら早々に命を絶つ必要があるのではなかろうか。
ハイデガーとかニーチェとかのいってる不条理からの解脱は東洋思想かぶれ丸出しの現実逃避にしか思えないのだよね。まず前提として僕は死んでいるわけで、生きているわけじゃない。存在に意味がないのなら文字通り生は無であるわけだから生は同時に死んでいるのだろう。死んでいながらも生きているフリをして生きることを推奨するのもある意味ナンセンスだ。人間という「場」においては本能が邪魔して無意味と分かっていても生きつづけなければないアンビバレンツな存在でもあるのだけど。完全なる真理はやっぱり「死」そのものというか非存在しかありえないのではなかろうか。だったら生きてるつもりも、死そのものも実は何も変わらないはずだ。いや、生きながら死んでいるよりも、死そのものの方がより非存在に近いのだろう。永遠の停滞。絶対真理。それが死だろう。もちろんヒトとして僕は死ぬのが死ぬほど怖いけどさ。くそう、この腐れた脳みそめが。まだ喜び足りないのか。
神が存在したとして、この世は偽りの世界であるのだから早々に死んでしまわなければならない。神が存在しないとして、この世は無意味であり非存在なわけだから死んでしまわなければならない。存在に絶対性はないけれど死には絶対性があるので真理に至るのなら早々に命を絶つ必要があるのではなかろうか。
ハイデガーとかニーチェとかのいってる不条理からの解脱は東洋思想かぶれ丸出しの現実逃避にしか思えないのだよね。まず前提として僕は死んでいるわけで、生きているわけじゃない。存在に意味がないのなら文字通り生は無であるわけだから生は同時に死んでいるのだろう。死んでいながらも生きているフリをして生きることを推奨するのもある意味ナンセンスだ。人間という「場」においては本能が邪魔して無意味と分かっていても生きつづけなければないアンビバレンツな存在でもあるのだけど。完全なる真理はやっぱり「死」そのものというか非存在しかありえないのではなかろうか。だったら生きてるつもりも、死そのものも実は何も変わらないはずだ。いや、生きながら死んでいるよりも、死そのものの方がより非存在に近いのだろう。永遠の停滞。絶対真理。それが死だろう。もちろんヒトとして僕は死ぬのが死ぬほど怖いけどさ。くそう、この腐れた脳みそめが。まだ喜び足りないのか。
電波男で感じていた違和感はメタレベルにおける愛の絶対性だった。愛は神の代替品になりえるのかということなんだけど、多分神の代替品にはなりえないのだと思う。そう結論した。
というのはまず絶対性に対する我々のスタンスなわけだけど神は唯一不変の真理でなければいけないからまず時間性が存在しないことになる。神は〜であるという概念が適応できないので、神とは結局のところ「全」でなければならない。善じゃなくて全。でも我々は時間性の中の存在だから神の絶対性に嫉妬して偶像という形に、神を陥れてこれを絶対性とすることで生きてきたわけなんだけど。それはつまり、我々は絶対性を求めながら絶対性の不在を求めているアンビバレンツな存在であることを示してるんだよね。時間性がある限り我々は神に到達しようがないし神はある特定のどこかにいるのでなくて全てにおいて〜である、かつ〜ではない、という状況下にいないと成立し得ない概念だろう。そしてそれを我々は感覚しえない。
で、愛は絶対性足りえるかと考えてみると時間性に包括されてしまうとその瞬間に愛は消滅してしまうことに気づいた。メタレベルの愛を肯定するのならメタレベルに他のことを考える(メタ的には実行する)のは浮気みたいなものだし、この瞬間、僕が彼女を愛していたとして、次の瞬間、僕は別の何かを思考(実行)しているのだろう。何年か前に失楽園とかいうドラマが流行ってたけど愛は時間とともに没落していくものだから最高潮のときに一緒に自殺しちゃおうよ、みたいな感じのドラマだった記憶がある。あの頃はエロいぜ、はあはあ、と興奮してるだけの厨房だったけれど、愛は常に変化して逝って、結局は記憶に忘却される運命なのだろう。今現在、僕が愛を誓ったところで多分いずれ忘れるし、常に愛のことだけを考えて生きていくことが不可能なのだ。愛というよりも絶対性を絶対性であると信じつづけることは不可能だと言い換えたほうがいいかもしれない。
人は一人で生きていることを自覚すると死んでしまう存在なので誰かに寄り添っていかないといけない。でも、僕にとっての世界は独我論的な身の回りの感覚できる範囲内、だけのことであって、それ以外は、〜であるはずだ、と信じるしかない。外界は僕の内部にしか存在しえない。物自体は現象で捉えられない。愛に絶対性を求めるなら愛に至った瞬間に死んでしまうしかない。僕がおじいさんになって死ぬ瞬間にあの人のことを僕は深く愛していたのだ、と完結できれば絶対性にいたって死ねるかなあ?
というのはまず絶対性に対する我々のスタンスなわけだけど神は唯一不変の真理でなければいけないからまず時間性が存在しないことになる。神は〜であるという概念が適応できないので、神とは結局のところ「全」でなければならない。善じゃなくて全。でも我々は時間性の中の存在だから神の絶対性に嫉妬して偶像という形に、神を陥れてこれを絶対性とすることで生きてきたわけなんだけど。それはつまり、我々は絶対性を求めながら絶対性の不在を求めているアンビバレンツな存在であることを示してるんだよね。時間性がある限り我々は神に到達しようがないし神はある特定のどこかにいるのでなくて全てにおいて〜である、かつ〜ではない、という状況下にいないと成立し得ない概念だろう。そしてそれを我々は感覚しえない。
で、愛は絶対性足りえるかと考えてみると時間性に包括されてしまうとその瞬間に愛は消滅してしまうことに気づいた。メタレベルの愛を肯定するのならメタレベルに他のことを考える(メタ的には実行する)のは浮気みたいなものだし、この瞬間、僕が彼女を愛していたとして、次の瞬間、僕は別の何かを思考(実行)しているのだろう。何年か前に失楽園とかいうドラマが流行ってたけど愛は時間とともに没落していくものだから最高潮のときに一緒に自殺しちゃおうよ、みたいな感じのドラマだった記憶がある。あの頃はエロいぜ、はあはあ、と興奮してるだけの厨房だったけれど、愛は常に変化して逝って、結局は記憶に忘却される運命なのだろう。今現在、僕が愛を誓ったところで多分いずれ忘れるし、常に愛のことだけを考えて生きていくことが不可能なのだ。愛というよりも絶対性を絶対性であると信じつづけることは不可能だと言い換えたほうがいいかもしれない。
人は一人で生きていることを自覚すると死んでしまう存在なので誰かに寄り添っていかないといけない。でも、僕にとっての世界は独我論的な身の回りの感覚できる範囲内、だけのことであって、それ以外は、〜であるはずだ、と信じるしかない。外界は僕の内部にしか存在しえない。物自体は現象で捉えられない。愛に絶対性を求めるなら愛に至った瞬間に死んでしまうしかない。僕がおじいさんになって死ぬ瞬間にあの人のことを僕は深く愛していたのだ、と完結できれば絶対性にいたって死ねるかなあ?
うんこ食べたい、うんこ喰わせろ、喰わせろテメエコラ
2005年4月10日俺は何で生きてるんだ、
俺は何で生きてるんだ
俺は何で生きてるんだ
俺は何で生きてるんだ
俺は何で生きてるんだ
俺は何で生きてるんだ
俺は何で生きてるんだ
俺は何で生きてるんだ
てのがずっと頭の中をリフレインしてる。ああ畜生。生きてる価値も意味もない。本当になんでおまえは生きてるんだ?本当に。
俺は何で生きてるんだ
俺は何で生きてるんだ
俺は何で生きてるんだ
俺は何で生きてるんだ
俺は何で生きてるんだ
俺は何で生きてるんだ
俺は何で生きてるんだ
てのがずっと頭の中をリフレインしてる。ああ畜生。生きてる価値も意味もない。本当になんでおまえは生きてるんだ?本当に。
はは、ようやく全部読んだ。何て読むのが遅いんだろう僕は。本田透さんの熱い魂のこもった書物ですた。つーかテラワロス。やっぱり天才は考えることが違う。必要なことは妄想力だったのですね。妄想力によって行き場を失った男の破壊本能を抑制せよと言う、そういう書物でした。ちなみに僕はデジタル愛とアナログ愛の相互補完を目指して生きていきたいかな。でもキモイことは、キモイことで、それが何かを生み出す土壌にもなるのだと言うことをこの本を読んでいてもつくづく実感したのでもっとアイタタな人間を目指して護身完成の高みに上り詰めたい気持ちもあり…。魂を全面的に開放させて萌えー萌えーと叫びたいところだけどまだちょっと恥ずかしいのはまだまだなのですね自分。
ところで恋愛が神の代替品になりえるというのもまた微妙な気がする。憧れと愛することとはまた別ものだし、エロスであるかアガペーであるかの違いとかもあって、なんだろう、観念の愛を認めてしまうと物質界におけるアガペーには永遠に至れないことを認めてしまうようで、それはそれでちょっと悲しいかもしれない。死んだらニルヴァーナにいたる、とか、ちょっと信じれないしなア。神がいないとしても、神がいることを前提に生きないと生きられない倒錯した生き物なんだなあ人間は。愛に至れないのに愛を求める。知りえないことだけを知りえて、ないものを在るとすることで死の恐怖を乗り越えたつもりにいたる。実感としてあるものは在るんだろう。人間はないものを妄想できないのだし。うんこ
ところで恋愛が神の代替品になりえるというのもまた微妙な気がする。憧れと愛することとはまた別ものだし、エロスであるかアガペーであるかの違いとかもあって、なんだろう、観念の愛を認めてしまうと物質界におけるアガペーには永遠に至れないことを認めてしまうようで、それはそれでちょっと悲しいかもしれない。死んだらニルヴァーナにいたる、とか、ちょっと信じれないしなア。神がいないとしても、神がいることを前提に生きないと生きられない倒錯した生き物なんだなあ人間は。愛に至れないのに愛を求める。知りえないことだけを知りえて、ないものを在るとすることで死の恐怖を乗り越えたつもりにいたる。実感としてあるものは在るんだろう。人間はないものを妄想できないのだし。うんこ
電波男3
2005年3月30日故郷に帰ってきた友人が活発な人なので全然本がススまない。いつも彼に誘われ飲み会やってる気がする。ああ死にたい。つーかなんで俺は生きてるんだ?ところで本田氏は二次元への愛も三次元への愛も妄想に過ぎないのだからどちらを選び取るかはたいした問題じゃない、と言い切ってしまってるね。これは正直どうなのか?と思ってしまった。ここまでのロジックは「恋愛資本主義は間違えている」から「真実の愛は脳内にだけ存在しうる(イデアへの愛だけに存在しうる)」という主旨ではなかったのか。これでは前提としての愛がすでに存在しえないものだと言い切ってしまってるわけだから前提としてのロジックも破綻してることになっちゃうのでは。前提としての愛が存在するか非存在なのかという存在論的な観念論とか唯物論とかそういったものとは離れた、「愛は存在するという前提」をおいたオタク論なわけだから、ここでいきなり前提の前提の話を持ち出されても、ロジックの破綻を自分で認めてるようなもんなのでは。「愛が存在する」という前提が成り立った上で三次元で認められる愛の形が二次元でも存在しえるのかという命題なのではなかったのか。まあ最後まで読んでみないとわかんないけども。
あんま進んでない。僕の精神が弱りまくってるせいだろう。誰か助けてよ!!本田透さんは恋愛資本主義の側の人間をを大変憎んでらっしゃるようだけれど、オタクという生き物も結構ろくな性格してないように思える。少なくともサブカルオタクよりな仮想現実直視できない側の人間の僕としてはオタク系の人と会話するときは、そのコミュケーション能力の低さと空気読めなさっぷりには参らされることが多々あるわけで。俺も空気嫁、てよく言われるけどな!!よしんばオタクのオタクによるコミュニティが守られたとして、文化が拡大していったとして、救済されていない恋愛薄弱者達が救済されると本当にいえるのかどうかはかなり疑問かもしれない。そもそも二次元への愛を希求させる本質というものも三次元界で上手くいかなかったルサンチマンがなせる業なのはどうすればよいのだろう?三次元が存在しなければそもそも二次元への愛に目覚めることすらありえなかったわけで。でも形而上への愛を絶ったニーチェたんも発狂しちゃったって言うしねえ。実存主義そのものがウンコだったとニーチェオタの息子のタイソンたんが証明しちゃったしねえ。オタクはどうやったら救われるのだろう?ホプキンスたん、助けてよ!!
電波男
2005年3月25日電波男を読んでるけど結構面白い。神が意味を失った現代において恋愛というものは神の代替品なのだそうです。あーなるほどーと思った。恋愛資本主義反対運動を掲げようぜみたいなこと書いてあってあははーと思った。ここまで恥ずかしげもなくオタクを肯定しきる本を始めて読んだので多少勇気付けられたりする俺です。東浩紀もオタクという現象はああだからこうなって…とかばっかりで肯定してんのか否定してんのか微妙なラインだったからね。僕も護身完成目指そうかなあ真面目に。
http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/index.html
http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/index.html
2月7日の日記
2005年2月7日自分が幸福である必要性は特にない。世界は弱肉強食の厳しい環境だけれど、とても平等で美しい世界でもある。弱肉強食であるということは幸福もあくまで相対的なものでもあるということだから、僕が負ける立場に立つならば一人勝利者が誕生することになるし、僕が不幸に立たされるのなら一人が幸福になるということなのだ。僕がいくら苦しくてもその分他の誰かが救われるのならば、いくらでも苦しくあってもかまわないのではないだろうか。今に見てろという気持ちもあるけども、何が何でも人生を肯定しつづけていきたいから。
裸で飛翔しちゃおうぜ!!
2005年2月2日 ゲーム ラジアータストーリーズというゲームをやった。たいそう面白かったんで3日で一気にクリアしたんだが、エンディングが富野御大称ばりに悲惨なことになってしまった。
いや、まあ世界が滅んでもいいんだけどさ、よっしゃ※の声までエコーしてるのは何でなんだろう?
んん、キャッチコピーが変わる世界と変わらぬ想い、だっけ。額面どおりに受け取るならよっしゃは輪廻の外側に解脱したということになるはずですが、リドリーたんは金竜にのっとられたことにならないのか…?
エコーが解脱を意味するならリドリーたんは輪廻を克服できなかったことになるのでいずれ人格は金竜になってしまうし、エコーがよっしゃの霊体化を意味するならイデオンラストキター、ということになるわけですが。えー…
まあいいよ。悲惨な終わり方には慣れてるさ。物語でも人生でも。永劫回帰永劫回帰、輪廻転生輪廻転生、剣呑剣呑。
※よっしゃ=ジャック
いや、まあ世界が滅んでもいいんだけどさ、よっしゃ※の声までエコーしてるのは何でなんだろう?
んん、キャッチコピーが変わる世界と変わらぬ想い、だっけ。額面どおりに受け取るならよっしゃは輪廻の外側に解脱したということになるはずですが、リドリーたんは金竜にのっとられたことにならないのか…?
エコーが解脱を意味するならリドリーたんは輪廻を克服できなかったことになるのでいずれ人格は金竜になってしまうし、エコーがよっしゃの霊体化を意味するならイデオンラストキター、ということになるわけですが。えー…
まあいいよ。悲惨な終わり方には慣れてるさ。物語でも人生でも。永劫回帰永劫回帰、輪廻転生輪廻転生、剣呑剣呑。
※よっしゃ=ジャック
1月8日の日記
2005年1月8日卒論は首の皮一枚でつながった臭い。救いだったのはゼミのしぇんしぇいがポストモダンだかそちらの傾向に疎かった点かなあ。僕の穴だらけの主張でも一応うなりつつも納得してくれた。
卒論ではだいたいこんなこと書きましたよ
2005年1月5日卒論書いたよ。今メールで送信したよ。我ながら電波の逝かれたような論文だと思うよ。マジで氏ぬ。こんなに自分の頭が弱かったとはにわかに信じがたい論文だったよ。構成が全然なってねえや。はじめから終わりまで電波飛ばしまくりだから読む人にとっては大変苦痛であろうなと容易に想像つきますね。つーか4年間ナにやってたんだ俺・・・
うわーい村上隆のスーパーフラットだうわーいアズマンの存在論的、郵便屋さんだうわーい何故かここでウィトゲンシュタインだうわーい全然脈略ねえやうわーいそもそも貴様は経済学部だうわ(ry
・…orz
うわーい村上隆のスーパーフラットだうわーいアズマンの存在論的、郵便屋さんだうわーい何故かここでウィトゲンシュタインだうわーい全然脈略ねえやうわーいそもそも貴様は経済学部だうわ(ry
・…orz
K1のウンコジャッジ
2004年12月7日 K1 PRIDE UFC等K1のジャッジが明らかにおかしい。
まず「武蔵対セフォー」
1Rから3Rにかけて終始プレッシャーをかけてたのはセフォーだった。武蔵はこれといって有効打を当てられなかった。逃げ回ってるだけ。ボクシング式のマストシステムなら全ラウンドセフォーのラウンドと見ていいだろう。ウンコ谷川は必死に「武蔵はもらってませんよ。もらってませんよ」とか「んー、微妙ですねー、若干武蔵だと思うんですがー」とかウンコな誘導解説を行ってたがこれに騙される馬鹿が実際いるみたいだ。ちょっと信じがたいがそうみたいだ。そもそも武蔵は結構セフォーのパンチもらってる。ギリギリでダメージを殺してはいるが明らかに打たれてる。まさにウンコ谷川マジックとしか言いようがない。延長ラウンドも言わずものがなセフォーのラウンドだった。ひでえなこりゃ
次に「ホースト対ボンヤスキー」
K1サイドは何が何でも世代交代させたいのかしきりにボンヤスキーよりな応援。が、結局この試合でボンヤスキーが見せたいい攻撃ってのは3Rに見せたミドルキックのカウンターだけ。それ以外は全てホーストに主導権を掌握されていた。またまたボクシング式の10点法に頼るなら1R2Rは確実にホーストが取っていただろう。3Rはボンヤスキーとして、少なくとも延長ラウンドは押し込んでるだけで手数の出ないボンヤスキーと下がりながらもパンチを出してるホーストとでは明確にポイント差が分かれたはずだが、またまた不可解な3者共々ボンヤスキーを支持。あまりに恣意的な展開に腹が立ったよマジで。頭いかれてんじゃないのかK1の糞ジャッジどもは。
さらには「ボンヤスキー対ボタ」
3R終始押されっぱなし(クレームを恐れてかボンヤスキーがやられまくってる1R、2Rはカット)のボンヤスキーがギリギリになって奪い返したダウン。ポイント上は追いついた場面なのにまたまたウンコ谷川マジック炸裂。29対25.5ポイントでボタの負け。意味がわからん。どこをどう採点すれば25.5と言う数字が出るのか。1Rごとに10−8をつけられてた計算になるわけだが。本当に糞ジャッジどもはどうしようもない。
極めつけが決勝。というか言うまでもないか。今回のK1は過去最低の大会だったと思う。マサト対ブアカーオの決勝に文句つけるよりずっと酷いよマジで。プロレスじゃないんだから、頑張ってる競技者のことを評価してやれよと思う。ていうか会場の五割はサクラなんじゃねえだろうな?とか疑いたくなったよ、昨日の武蔵の声援の多さには参ったよ。
まず「武蔵対セフォー」
1Rから3Rにかけて終始プレッシャーをかけてたのはセフォーだった。武蔵はこれといって有効打を当てられなかった。逃げ回ってるだけ。ボクシング式のマストシステムなら全ラウンドセフォーのラウンドと見ていいだろう。ウンコ谷川は必死に「武蔵はもらってませんよ。もらってませんよ」とか「んー、微妙ですねー、若干武蔵だと思うんですがー」とかウンコな誘導解説を行ってたがこれに騙される馬鹿が実際いるみたいだ。ちょっと信じがたいがそうみたいだ。そもそも武蔵は結構セフォーのパンチもらってる。ギリギリでダメージを殺してはいるが明らかに打たれてる。まさにウンコ谷川マジックとしか言いようがない。延長ラウンドも言わずものがなセフォーのラウンドだった。ひでえなこりゃ
次に「ホースト対ボンヤスキー」
K1サイドは何が何でも世代交代させたいのかしきりにボンヤスキーよりな応援。が、結局この試合でボンヤスキーが見せたいい攻撃ってのは3Rに見せたミドルキックのカウンターだけ。それ以外は全てホーストに主導権を掌握されていた。またまたボクシング式の10点法に頼るなら1R2Rは確実にホーストが取っていただろう。3Rはボンヤスキーとして、少なくとも延長ラウンドは押し込んでるだけで手数の出ないボンヤスキーと下がりながらもパンチを出してるホーストとでは明確にポイント差が分かれたはずだが、またまた不可解な3者共々ボンヤスキーを支持。あまりに恣意的な展開に腹が立ったよマジで。頭いかれてんじゃないのかK1の糞ジャッジどもは。
さらには「ボンヤスキー対ボタ」
3R終始押されっぱなし(クレームを恐れてかボンヤスキーがやられまくってる1R、2Rはカット)のボンヤスキーがギリギリになって奪い返したダウン。ポイント上は追いついた場面なのにまたまたウンコ谷川マジック炸裂。29対25.5ポイントでボタの負け。意味がわからん。どこをどう採点すれば25.5と言う数字が出るのか。1Rごとに10−8をつけられてた計算になるわけだが。本当に糞ジャッジどもはどうしようもない。
極めつけが決勝。というか言うまでもないか。今回のK1は過去最低の大会だったと思う。マサト対ブアカーオの決勝に文句つけるよりずっと酷いよマジで。プロレスじゃないんだから、頑張ってる競技者のことを評価してやれよと思う。ていうか会場の五割はサクラなんじゃねえだろうな?とか疑いたくなったよ、昨日の武蔵の声援の多さには参ったよ。
モラレスvsバレラ?
2004年11月29日 ボクシングどーも。モラレスvsバレラの第三戦を観て興奮冷め遣らぬK君です。もうなんつーかバレラがカッコよすぎて香川さんじゃないけど鼻血出そうなくらい興奮してしまった。ああ輝いてんなあこいつら、マジでカッコエエ・・・もう言うことないよ。オマエラ超、男だ。俺は一体ナにやってんだ。卒論書けよ。あさって締め切りだからな。無理だよ馬鹿
俺賢くなるよ
2004年11月5日外国文学って死ぬほど読みにくい。そもそも一度、訳が入ってるってことはいったん他人のフィルターを通して一ランク劣化した状態の文書を僕は読んでることになるんじゃないかと。読まされてるんじゃないかと。まあ要するに原書を読めってこったよね。でも僕は英語の成績死ぬほど悪かったアホアホ人間ですから今さら、て気もするけどサリンジャーとか原書で読んでみたいよなあ。だいたい訳者の人たちはなんか回りくどく読みにくく意図的に訳してる気がしてならんわけだが。オマエラに原書の面白さなど思い知らせてやんねーよバーヤ、て感じでとにかくむかつくぜ。くそー、今から外国語バリバリに出来るようになってやる、見ててくれよママン
正直なところ僕は自分の絵があまり好きでないかもしれないです。出展前はいつもギリギリで描いてるし、どう仕上げればいいのか皆目見当がつきませんし、自分の描きたいように描くべきだ、といわれてその通りに描くと、これは違う、描きなおしなさい、て言われる。結果的に入選は出来てるんですが、結局自分が何を描きたかったのかと問われると何も言えなくなってしまいます。別に主張が欲しいわけじゃないのだけど絵を描くこと自体を目的化してしまえるほど絵に執着があるかとなるとやっぱり自分の描き方が気に食わない以上、苦しいだけなのかもしれない。僕の絵は何もかもから逃げてしまいたい気持ちでいっぱいだと思います。僕は今までたくさんの幸福やら目の前の現実から逃避しつづけていました。ずっと受身でディフェンシブに生きてきたせいか、苦しいことに耐える能力は身につきましたけど何かを得たり、得るためにリスクをしょって立つことにものすごい抵抗感があります。悔しいんだけど僕はもう何もかもをあきらめてしまってるのかもしれません。何か嬉しいことがあってもああ、こんなもんかな。苦しくても、ああ、しょうがないよね、自業自得だし。ものすごくシニカルな視点から抜け出すことが出来ないのです。頑張ったことがないなら今頑張ればいいじゃないか、とも思うのですが、結局またしばらくすると何もかもから逃げ出したくなります。いろんな現実逃避の手段を考えます。最初は現実逃避だったはずの絵描きの作業からすら逃げ出したくなります。そしてどうでもいい媒体にまた自分を委託して、これがあるから僕は生きていける、などと逃げ口上を発見して自己完結してしまうのです。そのくせプライドだけは一丁前だから始末に終えないですよ。おまえは駄目なやつだな、て言われるとそんなことはない、て奮起します。30秒限定です。ほんとに駄目なやつだなと思いますよ。くそー
電柱の角で女の子と激突、ただし弘光、みたいな
2004年10月25日最近の電車の中では金原弘光のような女の子ばかりが隣に座ってくる。視線が合う。目をそらす。いつからセカイ周辺の婦女子は弘光ワールドと化してしまったのだろうか?これはデジャヴ?それとも…恋!?
美獣金原のサイト
http://www.hiromitsu-kanehara.com/
美獣金原のサイト
http://www.hiromitsu-kanehara.com/
ミゲールエンジェルコット
2004年10月20日 ボクシングミゲールコット強過ぎ。コンビネーションは正確無比。スピード抜群。ディフェンス技術最高値。相手のガードの隙間をピンポイントで捕らえる当て勘。カウンターのセンスも良し。打ち合って良し。離れて良し。度胸もある。やばいくらい完璧超人。まだ24歳前だというのに現時点でPFP候補かも知れない、と言うのは早計かもしれないけど。12月11日にデマーカスコーリー戦みたいだけどこりゃ明らかにメイウェザーを意識してるね。メイウェザーはどう出てくるのかな。
どうでもいいけど名前だけはどうしてもかっこ悪いなコット。なんだよコット、て。どっかの置物みたいだ…
どうでもいいけど名前だけはどうしてもかっこ悪いなコット。なんだよコット、て。どっかの置物みたいだ…