とりあえずハッピーエンドにしとけ
2003年7月14日ハッピーエンドってサイコーなんだけど誰もが納得のいくハッピーエンドやれる人っていないなあと思う。俺は自由を手に入れた!とか自分の居場所に還る事が出来た!とか、体制が変革され世界に平和が!といっても、とりあえずの結末、とりあえずの幸せ、に過ぎなくていずれまた戦争は起きるよね、いずれまた悲劇は繰り返されるよね。というのもそれはどんなに素晴らしい物語の結末にも付きまとう呪縛みたいなもんで、人間のジェノサイドからタナトスへ向かう欲望を完全に消し去ってしまうことは不可能な話しだからなわけで。
最近回りで頻繁に自殺が流行ってるんだけどそれを聞いた僕はでも死んじゃう人はどうあっても死んでしまうし、仕方のないことでもある、といってみたら、でも死なれて困る人やその人のことを思って必要としてる人の気持ちはどうなるのさ?とつっこまれたりしたんだけど、そりゃそうだ、と。そこから先は何もいえないのだけど。
最近回りで頻繁に自殺が流行ってるんだけどそれを聞いた僕はでも死んじゃう人はどうあっても死んでしまうし、仕方のないことでもある、といってみたら、でも死なれて困る人やその人のことを思って必要としてる人の気持ちはどうなるのさ?とつっこまれたりしたんだけど、そりゃそうだ、と。そこから先は何もいえないのだけど。
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灰色ライン
2003年7月13日相対主義に傾倒しすぎるとニヒリズムに染まるだけだし絶対主義は危険思想や偏見を生むだけなので危ない。つまり一番大事なのはバランスなのだと最近は思ってます。この世で一番大事なものも多分バランスなんだ、と。
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気分が高揚すると冷静な判断が出来なくなる。
いい気分になろうと
悪い気分になろうと
多分一緒。
いい気分なときは自分が唯一絶対な存在に思えちゃう瞬間があったりしてあとで振り返ってみてそれが慢心であったことに気づいて気分が落ち込む。そしてまた冷静な判断が出来なくなる。これの繰り返しで成長してくれてるならそれがベストなんだろうけど。やっぱり短時間で一気に、というやり方は危ないし生産的ではないなあ、と学んだ自分。
いい気分になろうと
悪い気分になろうと
多分一緒。
いい気分なときは自分が唯一絶対な存在に思えちゃう瞬間があったりしてあとで振り返ってみてそれが慢心であったことに気づいて気分が落ち込む。そしてまた冷静な判断が出来なくなる。これの繰り返しで成長してくれてるならそれがベストなんだろうけど。やっぱり短時間で一気に、というやり方は危ないし生産的ではないなあ、と学んだ自分。
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マサトはほんとすげー奴だね
2003年7月5日いや、マジで久々にテレビの前で手を叩いて叫んじまったですよ。
技術云々より気持ちが相当凄かったと思う。
他の日本人の人たちとは覚悟が違うなあと感じますた。
第一試合ははっきり言ってザンビディスの実質勝利なんだけど、そこを伏せて語ると…
あ〜めんど臭くなってきた。
2ちゃんで死ぬほど語ったので今日は
マサトおめでとう、てなもんで終わり。
というかね、俺が一番感動したのは
第一試合の1R目よりも決勝戦の最終ラウンドの方が動きがずっと良かったってところ。
とんでもないスタミナと打たれ強さだと思う。
まあそういうとこ見ると総合力での優勝だったのだろうなあ、と。来年はフロックでなかったことを是非証明してもらいたいもんだ。
ちなみにザンビ対マサトの
俺採点
1R マサト10−8ザンビ
2R マサト9−10ザンビ
3R マサト9−10ザンビ
でドローなわけですが(というかスレ立てたのでそっちの方をみりゃ分かるのだろうが)
延長やってたらさすがにKOされたかもなあマサト。緊張もあったのかもしれんが…
あの試合は是非再戦を組んでもらいたいもんだ。
とかなんとか疲れたとか言って一人で語ってしまいますタ。ああ疲れた
技術云々より気持ちが相当凄かったと思う。
他の日本人の人たちとは覚悟が違うなあと感じますた。
第一試合ははっきり言ってザンビディスの実質勝利なんだけど、そこを伏せて語ると…
あ〜めんど臭くなってきた。
2ちゃんで死ぬほど語ったので今日は
マサトおめでとう、てなもんで終わり。
というかね、俺が一番感動したのは
第一試合の1R目よりも決勝戦の最終ラウンドの方が動きがずっと良かったってところ。
とんでもないスタミナと打たれ強さだと思う。
まあそういうとこ見ると総合力での優勝だったのだろうなあ、と。来年はフロックでなかったことを是非証明してもらいたいもんだ。
ちなみにザンビ対マサトの
俺採点
1R マサト10−8ザンビ
2R マサト9−10ザンビ
3R マサト9−10ザンビ
でドローなわけですが(というかスレ立てたのでそっちの方をみりゃ分かるのだろうが)
延長やってたらさすがにKOされたかもなあマサト。緊張もあったのかもしれんが…
あの試合は是非再戦を組んでもらいたいもんだ。
とかなんとか疲れたとか言って一人で語ってしまいますタ。ああ疲れた
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もっとみっともなく、もっと情けなく、もっとなりふりかまわず
2003年6月29日現在、自己改革の漠然たる思いは確かに存在する。というか既に改革は毎日毎日確実に進んでいるような気はするんだけど、それでも何か足りない。何がたりないか。それは「誇りを捨てろ」、ということではないかという考えが表層化しつつある。この小さな頃から培ってきた、決してくだらなくは無いはずだ、と粘り強く守り通してきた信念(自分の正当性をガードするためのくだらない、小規模にしか影響を及ぼさぬ自尊心)という保身的な価値観に縛られながら日々を送ってきた僕ですが、そもそも虚構主義に目覚め、相対主義がことあるごとに目の前の出来事で掠めるようになってきた現在、絶対の価値、いや、勝ち方さえも存在しないのではないかという考えに至りつつある。そもそも誇り高き強者が成功したためしなんてもんはほとんど無い、といっていいと思う。成功は出来ても、?ワンになれた奴となればまず、一人として歴史上に存在した奴はいない、といっても過言じゃなかろう。最後に勝つ奴はいつもこんな感じのはずだ。ずる賢くて、誇り高くて、臆病で、自信家で、柔軟で、しつこくて、みっともなくて、カッコイイ。そんな奴。つまりどれだけ多角的に瞬時に天才的(これは自分が天才で無いから言いたくないんだけど)に価値観を反転させることのできる奴こそが勝っているんじゃないか、と。
例として格闘技の世界を揚げてみよう。
ホーストはバンナのようにパンチはないが、ディフェンス技術とコンビネーションに優れている。スタイルの幅も広い。負ければみっともない言い訳を幾らでもやる。でもこいつはk1を4度も制している。
ヒクソンは勝てない相手とは絶対に試合はしない。組みやすい身体能力の低いスター選手を選んで見事な一本勝利を飾っている。いまだ450戦(ウソ)無敗。
レノックスルイスは打ち合って勝てない試合と見るや、ひたすらジャブだけ打って逃げ回り、判定勝利するため2チャンではチキンルイスと名高い。この前だってビタリクリチコに押されてたくせに相手に傷を負わせ、そこを攻めてドクターストップ勝ち。俺の勝ちだ!と豪語したが再戦は拒否。みっともねえ(笑)でも勝ちは勝ち。
ロイジョーンズは天才的な身体能力を有し、ライトヘビーの王者でありながら20キロ以上の体重差のあるヘビー級に挑戦した。無謀だ、という声も業界内ではかなり聞かれたわけだが、はっきり言って相手が良かった。ヘビー級屈指の駄目王者「ジョンルイス」だ。よれよれの40歳ホリフィールドを破って、たなぼた式に世界王者になった後もビッグネームを次々とせこい手段(金玉殴られて反則勝ち。よれよれのホリフィールドと再戦)で打ち破り(?)、「こいつほんとは強いんじゃね?」なんて幻想さえ抱きそうになったのは…僕もそうなんだが、ふたをあけて見りゃやっぱり塩でしたという。しかも頭のいいロイジョーンズはKOできたかもしれない場面でリスクを犯さずに、あくまでアウトボックスに徹して見事に歴史的大偉業を「判定勝利」で飾った。もともと勝つ気満々だったのは言うまでもない。加えて言うなら大型のヘビー級選手とは絶対に試合はしないだろう(ビタリ、ウラジ、ルイス)して欲しいけど…
ああ、長くなった。
いつの間にか格闘技語りになっちゃった。
後編は次の日記にて。
それじゃ日記とはイワンとは誰も言わないだろうが、と自分でツッこんどきゃいいんだろ?っけ
例として格闘技の世界を揚げてみよう。
ホーストはバンナのようにパンチはないが、ディフェンス技術とコンビネーションに優れている。スタイルの幅も広い。負ければみっともない言い訳を幾らでもやる。でもこいつはk1を4度も制している。
ヒクソンは勝てない相手とは絶対に試合はしない。組みやすい身体能力の低いスター選手を選んで見事な一本勝利を飾っている。いまだ450戦(ウソ)無敗。
レノックスルイスは打ち合って勝てない試合と見るや、ひたすらジャブだけ打って逃げ回り、判定勝利するため2チャンではチキンルイスと名高い。この前だってビタリクリチコに押されてたくせに相手に傷を負わせ、そこを攻めてドクターストップ勝ち。俺の勝ちだ!と豪語したが再戦は拒否。みっともねえ(笑)でも勝ちは勝ち。
ロイジョーンズは天才的な身体能力を有し、ライトヘビーの王者でありながら20キロ以上の体重差のあるヘビー級に挑戦した。無謀だ、という声も業界内ではかなり聞かれたわけだが、はっきり言って相手が良かった。ヘビー級屈指の駄目王者「ジョンルイス」だ。よれよれの40歳ホリフィールドを破って、たなぼた式に世界王者になった後もビッグネームを次々とせこい手段(金玉殴られて反則勝ち。よれよれのホリフィールドと再戦)で打ち破り(?)、「こいつほんとは強いんじゃね?」なんて幻想さえ抱きそうになったのは…僕もそうなんだが、ふたをあけて見りゃやっぱり塩でしたという。しかも頭のいいロイジョーンズはKOできたかもしれない場面でリスクを犯さずに、あくまでアウトボックスに徹して見事に歴史的大偉業を「判定勝利」で飾った。もともと勝つ気満々だったのは言うまでもない。加えて言うなら大型のヘビー級選手とは絶対に試合はしないだろう(ビタリ、ウラジ、ルイス)して欲しいけど…
ああ、長くなった。
いつの間にか格闘技語りになっちゃった。
後編は次の日記にて。
それじゃ日記とはイワンとは誰も言わないだろうが、と自分でツッこんどきゃいいんだろ?っけ
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今日ようやくレイヤーの使い方を認知する
2003年6月25日携帯電話を落としますたフォトショップを上手く作動さすためにはまたなんかパーツをとっつけないと遺憾らしく遺憾な感じ遺憾な〜タブレットも購入せんと遺憾一体幾らかかるのだろうそうそう外国の文学は翻訳してくれる人ガ意図的にこれが文学だとばかりに難しく翻訳してくれてることがあるらしくアリ型迷惑だ馬鹿というかモハメドアリ?アリありありアリアリアリアリアリアリアリアリリありあり会いリア入相・・・・・・・・・・・・ブチャラティのフィニッシュブローの叫び声がこれだなというか部チャラティて誰?とか思う無知な人はジョジョの第五部でも読んで出直し着やがれふむそういうことが言いたかったのではなくてだから迂闊に外国の文学を読んでこれは難解な小説だから高尚なものである!なんていかにもいかにもないかにもっぽい俗物的な嗜好は働かせないようにしましょうだってもともとは別に何回でもなんでもないくだらネエ普通の小説をただ単にクソ難しく書いてるだけなら読解する必要性がなさすぎてクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソ!!ん、クソ?そういや今日はクソ出たっけかな・・
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作家論
2003年6月24日モラトリアム期間なんていう甘ったるいことを言うツモリはないというより、ありまくりなんだけど大学では大学でしか体験できないようなほんとにゴクありふれた体験が満ち溢れてる。厳しい境遇の中で必死こいて戦うまでの準備期間が存在してることの幸せについていろいろと・・・革命も変革も存在しないモラトリアムの世界では夢見る革命戦士の心は悲鳴をあげてしまうだけなのかもしれないけれど、でも思想と娯楽は実は全然別物だと思うのです。思想家と作家のどっちがえらいかなんてのは不毛なこったと。作家が思想家になる必要はないし思想家が作家そのものになる必要もない。作家にとって思想は一つの客を喜ばすためのスパイスに過ぎないし、本質ではあっても、思想家が作家的なことをやってみせて人を喜ばす行為だって、奴の物語の構造は凄い、なんて一部の人間に評価されて自分の価値を高める一手段の形に過ぎないのではないかな。例えば宮崎駿なんて思想的にとても賛同できるようなことはやってないんだけど、面白いものは面白いのだから物語の思想傾向に文句はいっても作品そのものを否定する理由はどこにもないよね。思想的なことと物語的なことは違うものだし、この構造が凄い、なんて深読み君が喜びそうな物語をやったって面白くなけりゃ物語に意味はない。(と惑星の市民氏も語っている)岩波文庫ででも俺はこう思うがどうよ?なんて具体的に語ってたほうがましだ。思想が薄っぺらかろうと共産主義だろうと面白いものは面白いし、どんなに崇高な構造主義的な作品が誕生しようともそれは一つのスパイス以上の意味は物語上では意味をなさないと俺は思う。
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絶対者への欲望と展望
2003年6月23日 エッセイ例えばこの前、示したようなイデオロギーとか東の言う「大きな物語」などを渇望する人のあり方ってのは絶対なるものへの欲望のそれと類似してるのではないかなと思う。宗教も、オカルトも、主義や思想、王制、天皇制、民主制、革命、文化、文明とまあ色々と共同体に影響を及ぼしそうなものを揚げてみても全ては絶対的なるものへの欲望に還元されるのではないかなという。
大きな物語=絶対論(真理、答え、生きる意味)
への欲望があるかないかが人間と動物の違いの決定的なものの一つにあるのではないか。でも絶対の真理なんていうのは今の時代にさえ存在しないし結局誰一人としてその答えたりえる真理を指し示しすことが出来た人間はいない。「大きな物語」的な主張をアジってみせて民衆をだまくらかすことは出来たみたいだけど。
苦しい時代に突入すれば便宜的なイデオロギーをもってして人を先導するカリスマが必ずといっていいほど登場するわけなんだけど、でもそれはやはり真理ではなくて祭り(闘争)が終局を迎えるとやがて虚構へと移り変わり、また人は絶対者を探し回り、終わらない生きる意味への渇望が始まる。そして存在しない敵に向かって(虚構へ)異議申し立てする人間は必ずまた出てくる。スノビズム(俗物主義)とかシニシズム(犬儒主義)と呼ばれるものらしい。それは生きる意味への畏怖の心であり、虚構の敵対者を増長させる結果につながる。そしてまた虚構は現実へと姿を変える。現実のイデオロギーに回帰した人間は再び生への欲望が満たされる。平和への欲望も芽生える。そして恐怖の根本たる「生きる意味」は考えなくて済む。
闘争は繰り返されることになるけど、そもそも、現実世界を変革しようともくろむことと自己の内閉世界の浄化を図る活動とのどちらが現実的であると言えるのだろうか、と。
動物化というのはデータベースにチンコをおったてる行為のことを言うらしいからそりゃ世界は沈静化して非常によろしいことなんだろうなあ。ま、でも現実問題としては既に虚構のレベルで言える敵は現実化しちゃってるみたいだから完全なる動物化への道は断たれてしまったと考えていいだろうね。
大きな物語=絶対論(真理、答え、生きる意味)
への欲望があるかないかが人間と動物の違いの決定的なものの一つにあるのではないか。でも絶対の真理なんていうのは今の時代にさえ存在しないし結局誰一人としてその答えたりえる真理を指し示しすことが出来た人間はいない。「大きな物語」的な主張をアジってみせて民衆をだまくらかすことは出来たみたいだけど。
苦しい時代に突入すれば便宜的なイデオロギーをもってして人を先導するカリスマが必ずといっていいほど登場するわけなんだけど、でもそれはやはり真理ではなくて祭り(闘争)が終局を迎えるとやがて虚構へと移り変わり、また人は絶対者を探し回り、終わらない生きる意味への渇望が始まる。そして存在しない敵に向かって(虚構へ)異議申し立てする人間は必ずまた出てくる。スノビズム(俗物主義)とかシニシズム(犬儒主義)と呼ばれるものらしい。それは生きる意味への畏怖の心であり、虚構の敵対者を増長させる結果につながる。そしてまた虚構は現実へと姿を変える。現実のイデオロギーに回帰した人間は再び生への欲望が満たされる。平和への欲望も芽生える。そして恐怖の根本たる「生きる意味」は考えなくて済む。
闘争は繰り返されることになるけど、そもそも、現実世界を変革しようともくろむことと自己の内閉世界の浄化を図る活動とのどちらが現実的であると言えるのだろうか、と。
動物化というのはデータベースにチンコをおったてる行為のことを言うらしいからそりゃ世界は沈静化して非常によろしいことなんだろうなあ。ま、でも現実問題としては既に虚構のレベルで言える敵は現実化しちゃってるみたいだから完全なる動物化への道は断たれてしまったと考えていいだろうね。
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社会の原理原則と私情
2003年6月21日最近いろんな人のしゃべり声が棒読みに聞こえる。
うわーすごーい
えらいよねー
まじでー?
すげー
やばくねえ?
やべえやべえ
djkふぁsl;
@ういヴぉzxcd
い249^q^9q4n/・・・
でネガティブな言葉だけが本音に聞こえてしまう。
あなたってどうして云々
少しはこっちの都合も考え云々
おまえが何をしようと勝手だか云々
ここはオマエの家じゃない云々
家では俺がルールだ云々
でも一人暮らしは許しませんよ云々
いいからこれをとっときなさい云々
頑張ったから努力賞云々
う〜んまあ次回は頑張ろうよ云々
次こそは…云々
あげぶぶちゃび
いやそうじゃなくてさあ、そうじゃなくてなんというか結局なんで血に縛られなけりゃなんねえのかなあ、と。乳も母も俺は能無しなだから会社を継げ、といってる。俺如きに会社任せたら暗い世の中を加速さすだけだよ?といってるのに血にこだわる。俺を能無しと呼ぶクセに血のつながりは守って会社員ともども集団自決を計れとぬかす。まあいいかな、それもありだろう。こんな弱小企業如きが倒産したところで世界が破綻するわけじゃなし、そして新聞の三面記事にも載らない程度の小さな不幸が数十名の人間に覆い被さるだけなんだから。そして世界の皆様はこのちっちゃな不幸を覗き見ることもなくテレビの中のタマちゃんでも見て癒されながらあしたも頑張るぞ〜!なんて心を奮い立たせて夕日でも見ながらちょっと恥ずかしいシチュエーションだけどま、いいか…なんて。
ああ話がずれた。
だからさ、今に見てろよ、と。
そして中途半端なルサンチマンをかかえたもんだから今日かけた加速もあしたあたりにあっさり消滅してる可能性が高すぎるところが現代社会の原理でもあり。
うわーすごーい
えらいよねー
まじでー?
すげー
やばくねえ?
やべえやべえ
djkふぁsl;
@ういヴぉzxcd
い249^q^9q4n/・・・
でネガティブな言葉だけが本音に聞こえてしまう。
あなたってどうして云々
少しはこっちの都合も考え云々
おまえが何をしようと勝手だか云々
ここはオマエの家じゃない云々
家では俺がルールだ云々
でも一人暮らしは許しませんよ云々
いいからこれをとっときなさい云々
頑張ったから努力賞云々
う〜んまあ次回は頑張ろうよ云々
次こそは…云々
あげぶぶちゃび
いやそうじゃなくてさあ、そうじゃなくてなんというか結局なんで血に縛られなけりゃなんねえのかなあ、と。乳も母も俺は能無しなだから会社を継げ、といってる。俺如きに会社任せたら暗い世の中を加速さすだけだよ?といってるのに血にこだわる。俺を能無しと呼ぶクセに血のつながりは守って会社員ともども集団自決を計れとぬかす。まあいいかな、それもありだろう。こんな弱小企業如きが倒産したところで世界が破綻するわけじゃなし、そして新聞の三面記事にも載らない程度の小さな不幸が数十名の人間に覆い被さるだけなんだから。そして世界の皆様はこのちっちゃな不幸を覗き見ることもなくテレビの中のタマちゃんでも見て癒されながらあしたも頑張るぞ〜!なんて心を奮い立たせて夕日でも見ながらちょっと恥ずかしいシチュエーションだけどま、いいか…なんて。
ああ話がずれた。
だからさ、今に見てろよ、と。
そして中途半端なルサンチマンをかかえたもんだから今日かけた加速もあしたあたりにあっさり消滅してる可能性が高すぎるところが現代社会の原理でもあり。
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ロリコンに絡まれた日
2003年6月20日HAHAHAHAHAHA!!!
またあの変態仮面様に絡まれちゃいました!
(一年ほど前、意味もなく喧嘩を吹っかけてきた正真正銘の変態。マゾ)
もうねアホかと馬鹿かと!
「次の駅で降りろやゴルア!」なんて言ってんです!
(僕は早くお家に帰りたいのに…酷い人!)
僕はと言うと
「もういいから。俺早く家に帰りたいから、故郷にお還りなさい」という立場をとっているにもかかわらず
「次の駅で降りろやゴルア!」なんて言ってんです!!(ていうか死ねよ)
なんでオマエの勝手な自意識過剰に付き合って途中下車せんといかんのかと!もうやってられんですよ…しかも鳥栖までついてくるんですよ!ストーカーかテメエは!!
でね、それでも
「もういいよ俺が悪かったよ。勘弁してよ。博多に帰りなよ」
て謝る道理もないのに真摯かつ紳士な態度で彼を諭す僕がいるわけですよ。
(真の善人とはこのことか!!)
ようやく彼も落ち着いたみたいで、
「血が騒いでたのに拍子抜けだぜ!しっかし、オマエは変な奴だな!!」
なんて賞賛の言葉を送ってくれたのです!
(誰か私ともども現場を破壊してください。羞恥のあまりシニタクナル)
さらに彼は
「オマエどんな芸能人好き?モー娘野中で誰が好み?」
なんて…なんて…!もう!!何考えてんのさあ!!さっきまで殴り合いの死闘寸前まで逝った仲の話ですか!?これが!!友達が欲しいだけなのか貴様は!!!…クス、なんて可愛らしいコ!
(「僕はあややたんが好きです」くらいの社交辞令は逝ったさ。け、どーしようもねえな、こりゃ)
で、鳥栖に佐賀行きの特急列車が到着したところで彼と私の奇妙な友情にも、お別れの時が来るわけです。
「あばよ!テメエのことは忘れネエゼ!」
「バカヤロー!あした学校で会えるだろーが!!HAHAHAHAHAHAHAHA!」
「あ、そっか。HAHAHAHAHAHAHAHA!!……………ハ!!…俺は…俺は、なんて○△□×∀!!」(想像で自虐単語でも入力してろ
ていうかあいつとは二度とかかわりあいたくないですね…(血が騒ぐ?あだちゆみのファン?カゴちゃんファン?馬鹿じゃネーの?)
またあの変態仮面様に絡まれちゃいました!
(一年ほど前、意味もなく喧嘩を吹っかけてきた正真正銘の変態。マゾ)
もうねアホかと馬鹿かと!
「次の駅で降りろやゴルア!」なんて言ってんです!
(僕は早くお家に帰りたいのに…酷い人!)
僕はと言うと
「もういいから。俺早く家に帰りたいから、故郷にお還りなさい」という立場をとっているにもかかわらず
「次の駅で降りろやゴルア!」なんて言ってんです!!(ていうか死ねよ)
なんでオマエの勝手な自意識過剰に付き合って途中下車せんといかんのかと!もうやってられんですよ…しかも鳥栖までついてくるんですよ!ストーカーかテメエは!!
でね、それでも
「もういいよ俺が悪かったよ。勘弁してよ。博多に帰りなよ」
て謝る道理もないのに真摯かつ紳士な態度で彼を諭す僕がいるわけですよ。
(真の善人とはこのことか!!)
ようやく彼も落ち着いたみたいで、
「血が騒いでたのに拍子抜けだぜ!しっかし、オマエは変な奴だな!!」
なんて賞賛の言葉を送ってくれたのです!
(誰か私ともども現場を破壊してください。羞恥のあまりシニタクナル)
さらに彼は
「オマエどんな芸能人好き?モー娘野中で誰が好み?」
なんて…なんて…!もう!!何考えてんのさあ!!さっきまで殴り合いの死闘寸前まで逝った仲の話ですか!?これが!!友達が欲しいだけなのか貴様は!!!…クス、なんて可愛らしいコ!
(「僕はあややたんが好きです」くらいの社交辞令は逝ったさ。け、どーしようもねえな、こりゃ)
で、鳥栖に佐賀行きの特急列車が到着したところで彼と私の奇妙な友情にも、お別れの時が来るわけです。
「あばよ!テメエのことは忘れネエゼ!」
「バカヤロー!あした学校で会えるだろーが!!HAHAHAHAHAHAHAHA!」
「あ、そっか。HAHAHAHAHAHAHAHA!!……………ハ!!…俺は…俺は、なんて○△□×∀!!」(想像で自虐単語でも入力してろ
ていうかあいつとは二度とかかわりあいたくないですね…(血が騒ぐ?あだちゆみのファン?カゴちゃんファン?馬鹿じゃネーの?)
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時間という概念はただ人が都合よくことを運ばせるための手段に過ぎなくて時間などというものは存在せず常に「現在」という無数の断片が切り取られては貼り付けられているだけなんだよ、という説が実はあるらしいのは驚いた。だってこの前僕がやっていた仮説と一緒だったもの。つまり並行世界が存在しうるというのと同じで縦軸の時間の概念も実はグラフみたいに横軸に並んでいるだけなのかも知れない。そうすれば始まりと終わりの世界を考えなくてすむわけで。つまりボードのようにそれは位置付けられているだけという。だったらそのボードを作り上げたのは誰?と言うのもそもそも過去が存在しないというシステムであるとすれば、ん、いや、
その辺が良く分からなくなってきたのはやはり過去と未来に捕らわれてるせいかな?
その辺が良く分からなくなってきたのはやはり過去と未来に捕らわれてるせいかな?
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機械に対応できない人
2003年6月15日ギャオー
タブレット購入したぜコノヤロー
4〇〇〇〇円もしたぜチョモランマ
でもフォトショップの操作ワカンネ絵ゼクソやロー
機械音痴の私を誰かお助けください。
頭が痛い…
タブレット購入したぜコノヤロー
4〇〇〇〇円もしたぜチョモランマ
でもフォトショップの操作ワカンネ絵ゼクソやロー
機械音痴の私を誰かお助けください。
頭が痛い…
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理想の時代 45年〜70年(戦後〜安保闘争)
虚構の時代 71年〜95年(失われた理想〜オウム事件)
動物の時代 96年〜03年現在(物語は消滅し、データベースへ
「大きな物語」たるイデオロギーの凋落が始まったのは1914年。イデオロギーが完全に形骸化したのが70年。この時点でハードコアの歴史は消滅する。失われた「大きな物語」を望む人々の渇望が「ガンダム」的な「虚構の歴史ドラマ」を生む。虚構のイデオロギーは回復したかに見えたがオウム事件により虚構を受容できなかった人間(動物化しきれなかった人間)の行き着く果てを目の当たりにした人々は、虚構のイデオロギーを捨て、スノビズムからも乖離する。エヴァにイデオロギーはなく、そこにあるのは「小さな物語」のジャンクの寄せ集めでしかなかった。それは「大きな物語」(イデオロギー)の「データベース化」の始まり。人は「大きな物語」を求めるが存在するのは「データベース」のみであり、永遠にセカイを横滑りするしかない。そして虚構のセカイを受容した人間は動物化する。
その後、ガンダムシードがエラく人気が出たのはイラク戦争による反米のイデオロギーの高まりの影響もあるかもしれない。「大きな物語」の復権がかかれば、人々はまた他者性を回復した共同体を結成できるのだからこれは必然なのかもしれない。人は「大きな物語」を求め、そしてまた闘争は生まれる。それが歴史。
と、後半は着色しまくりだけど東浩紀の動物化するポストモダンで語っていたみたいです。まあ、これは僕の見解なわけだが。
虚構の時代 71年〜95年(失われた理想〜オウム事件)
動物の時代 96年〜03年現在(物語は消滅し、データベースへ
「大きな物語」たるイデオロギーの凋落が始まったのは1914年。イデオロギーが完全に形骸化したのが70年。この時点でハードコアの歴史は消滅する。失われた「大きな物語」を望む人々の渇望が「ガンダム」的な「虚構の歴史ドラマ」を生む。虚構のイデオロギーは回復したかに見えたがオウム事件により虚構を受容できなかった人間(動物化しきれなかった人間)の行き着く果てを目の当たりにした人々は、虚構のイデオロギーを捨て、スノビズムからも乖離する。エヴァにイデオロギーはなく、そこにあるのは「小さな物語」のジャンクの寄せ集めでしかなかった。それは「大きな物語」(イデオロギー)の「データベース化」の始まり。人は「大きな物語」を求めるが存在するのは「データベース」のみであり、永遠にセカイを横滑りするしかない。そして虚構のセカイを受容した人間は動物化する。
その後、ガンダムシードがエラく人気が出たのはイラク戦争による反米のイデオロギーの高まりの影響もあるかもしれない。「大きな物語」の復権がかかれば、人々はまた他者性を回復した共同体を結成できるのだからこれは必然なのかもしれない。人は「大きな物語」を求め、そしてまた闘争は生まれる。それが歴史。
と、後半は着色しまくりだけど東浩紀の動物化するポストモダンで語っていたみたいです。まあ、これは僕の見解なわけだが。
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言い換えるなら誰か俺のことをオートマトンではないと証明して見せろ、てことだ。多分誰も僕を人形(オートマトン)ではない、とは証明できないだろう。解体でもするか?そして肉体が、脳が同じなのだからオマエは人間である、と。でもどこに自己意識が潜んでいたかなんて機械的には証明できても、そもそも機械的なるものの具体性があいまいになってくる。数式も言葉も誰が創ったんだよ?という。僕が僕であることの証明というのは結局僕自身でしか体感としては認識できないことであって、例えば僕が「オマエのことが好きだ〜」とか言って相手ノ女の人が迷惑に感じるか、照れるのか、はまあ別にどーでもいいので無視しよう。で、相手ノ女の人は僕が自分を好いてくれている、と認識するのだろうけど実際僕が本心からこの人のことを好きかどうかなんて表層の問題でしか理解し得ない、ていう。もしからした僕はホモかもしれない、その女を殺害するためのカモフラージュなのかもしれない、実は後ろの人に告白してて勝手な自意識過剰だったのかもしれない、というのは全て僕にしか分からないことだ。
そして、もしかした僕や他の人たちはただオートマトンであるかもしれない。そして「あなた」自身をコントロール下におき、あるへんてこな実験を行おうとしてるのかもしれない。ある日突然この世界はドッキリだったんです、というオチもありうるかもしれない。
もしかしたら自分のイメージした世界がそのまま世界、足りえてるのかもしれない。そんなことはない、自分はそれほど複雑怪奇で広大な知性は持ち合わせていない、とは言っても、意識化に現れていないだけで深層心理の実はさらに深いところに神なる存在が潜んでるかもしれないよ?その神の夢の中の主人公が自分であり、周りの全ては模型だったんです、というオチもありうるかもしれない。
まあぶっちゃけ逝っちゃうと俺の見えているこの世界が虚構ではないと誰が言える?ということで。こんなことは大分昔から言われてたのは知ってたけど(押井守とか)一つのストーリーテリングに過ぎないと思ってたので深く考察したことはなかったのだけど。考えてみればこれは怖いことだ。
他者性の完全に廃絶された世界において存在はただ一人自分のみ。しかもそうではない、という証明は誰も出来ない。人は永遠の孤独を「受け入れるしかない」というジレンマはとても恐ろしいものだと自覚できるようになった。昨日「キノの旅」とか言う犬儒派臭い、自分探し臭い、はっきり言ってあまり好きではないアニメを観賞していたところある作家のオッサンが「人は自分自身が主役である、という虚構を生きてるだけだ」といってたのが微妙に印象に残った。とは言ってもキノだけは傍観者な立場をとっていたのはちょっとキモかったけど。オマエも傍観されてんだろうが、というか(まあ、キノそのものの虚構性も提示はされてたんだけど)
どっちにしろ僕が消えた瞬間世界が消えない、保証なんてどこにもない。友人が「人には体温があるのだから全てが虚構だなんてあるわけがない」という情緒あふれるいい言葉を言ってたのは覚えているけど、それは便宜的な生きる意味の解釈でしかない。でもその便宜上の定義にすがるしかないのも小生というちっぽけな存在なのです(いつの間にやら富野語に転化)
そりゃね、こんな小賢しいことを色々こねくり回して色々考えたって、女の子の尻を見れば欲情するし、腹は減るし、臭いのはいやだし、男らしくありたいという欲望の矛盾もあるし、他人の上に立って見下ろしたい気持ちだってある。きっとそれは実感であるはずなんだ、子を産み育て死んでいくことこそが、生きる目的なんだと信じたいのも確か。というかそれにすがってないと頭がカチ割れそうなんで、とりあえずの現状においての僕の方向性は「いつか誰かのために死んでやる」という感じ。そして神に向かってザマー見ろ、て。今のちっちゃな脳味噌ではそれくらいしか言い及ぼせそうもないのが現実。現実。現実
そして、もしかした僕や他の人たちはただオートマトンであるかもしれない。そして「あなた」自身をコントロール下におき、あるへんてこな実験を行おうとしてるのかもしれない。ある日突然この世界はドッキリだったんです、というオチもありうるかもしれない。
もしかしたら自分のイメージした世界がそのまま世界、足りえてるのかもしれない。そんなことはない、自分はそれほど複雑怪奇で広大な知性は持ち合わせていない、とは言っても、意識化に現れていないだけで深層心理の実はさらに深いところに神なる存在が潜んでるかもしれないよ?その神の夢の中の主人公が自分であり、周りの全ては模型だったんです、というオチもありうるかもしれない。
まあぶっちゃけ逝っちゃうと俺の見えているこの世界が虚構ではないと誰が言える?ということで。こんなことは大分昔から言われてたのは知ってたけど(押井守とか)一つのストーリーテリングに過ぎないと思ってたので深く考察したことはなかったのだけど。考えてみればこれは怖いことだ。
他者性の完全に廃絶された世界において存在はただ一人自分のみ。しかもそうではない、という証明は誰も出来ない。人は永遠の孤独を「受け入れるしかない」というジレンマはとても恐ろしいものだと自覚できるようになった。昨日「キノの旅」とか言う犬儒派臭い、自分探し臭い、はっきり言ってあまり好きではないアニメを観賞していたところある作家のオッサンが「人は自分自身が主役である、という虚構を生きてるだけだ」といってたのが微妙に印象に残った。とは言ってもキノだけは傍観者な立場をとっていたのはちょっとキモかったけど。オマエも傍観されてんだろうが、というか(まあ、キノそのものの虚構性も提示はされてたんだけど)
どっちにしろ僕が消えた瞬間世界が消えない、保証なんてどこにもない。友人が「人には体温があるのだから全てが虚構だなんてあるわけがない」という情緒あふれるいい言葉を言ってたのは覚えているけど、それは便宜的な生きる意味の解釈でしかない。でもその便宜上の定義にすがるしかないのも小生というちっぽけな存在なのです(いつの間にやら富野語に転化)
そりゃね、こんな小賢しいことを色々こねくり回して色々考えたって、女の子の尻を見れば欲情するし、腹は減るし、臭いのはいやだし、男らしくありたいという欲望の矛盾もあるし、他人の上に立って見下ろしたい気持ちだってある。きっとそれは実感であるはずなんだ、子を産み育て死んでいくことこそが、生きる目的なんだと信じたいのも確か。というかそれにすがってないと頭がカチ割れそうなんで、とりあえずの現状においての僕の方向性は「いつか誰かのために死んでやる」という感じ。そして神に向かってザマー見ろ、て。今のちっちゃな脳味噌ではそれくらいしか言い及ぼせそうもないのが現実。現実。現実
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人は自分以外の人間が存在することを証明できない、と言われる、それの意味するところは、自分がこの世からいなくなった場合に自分にとっての世界がなくなるということは=主体の消えた世界がそもそも存在するわけがない、それは世界そのものの終末である、ということになるわけだ。自分が存在しない世界をどうして人が知覚できようか、ということだろう。僕にとっての世界とはセカイでありセカイが終われば世界も終わる。(主体の終わり
では前に書いたように自分の子孫を残すことに何の意味があるのだろう。僕は自分に似た全くの他人に無常の愛を注ぎ、僕の意志でも受け継いでもらうつもりなのか。しかし彼は僕そのものには決してなれるわけもなく、そもそも彼の中に僕は存在しない。僕は彼にはなりえない。彼の中にある僕、というイメージが存在するだけだ。それが人の意志を継ぐ、ということみたいだが、それは困る。
死んだらどうなるのか?神というのは実は僕たちの意識体の総称を指すのかもしれない、とか、そもそも時間という概念はかなり不確かなものじゃないかとか、それらをひっくるめて「始まり」と「終わり」に縛られているのは欺瞞に過ぎないのではないか、とか、実は時間なんて存在しなくて現在という存在が断片的に積み重なっているだけなのでは、とか、そのもの全てに限界があり逆説であるきがする。逆説だって所詮シニカルな様に過ぎなくてそれがいずれ具現化すると価値観も反転し、それが世の主軸となる。それの繰り返しが世界の歴史。宇宙の歴史にもなるんだろうか?
では前に書いたように自分の子孫を残すことに何の意味があるのだろう。僕は自分に似た全くの他人に無常の愛を注ぎ、僕の意志でも受け継いでもらうつもりなのか。しかし彼は僕そのものには決してなれるわけもなく、そもそも彼の中に僕は存在しない。僕は彼にはなりえない。彼の中にある僕、というイメージが存在するだけだ。それが人の意志を継ぐ、ということみたいだが、それは困る。
死んだらどうなるのか?神というのは実は僕たちの意識体の総称を指すのかもしれない、とか、そもそも時間という概念はかなり不確かなものじゃないかとか、それらをひっくるめて「始まり」と「終わり」に縛られているのは欺瞞に過ぎないのではないか、とか、実は時間なんて存在しなくて現在という存在が断片的に積み重なっているだけなのでは、とか、そのもの全てに限界があり逆説であるきがする。逆説だって所詮シニカルな様に過ぎなくてそれがいずれ具現化すると価値観も反転し、それが世の主軸となる。それの繰り返しが世界の歴史。宇宙の歴史にもなるんだろうか?
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人は望まざる状況に立たされれば世の中を斜めに見てしまう傾向があるような気がする。逆に何もかも不自由なくことが運んでる人にはこの世は楽園に見えるのではないかな。何が言いたいのかというと僕には世界が歪んで見えるわけなんだけど。厭世的になってるのは多分僕が現状に満足していないからなんだと思う。
しかし「現状に満足していない」という状況に満足しつつある自分がいることにも気づく。一生「俺は発展しているはずだ」などといいつづけられるのはある意味現実逃避的だと思う。40歳になって50歳になって60歳になればいやでも頭は悪くなる。それまでにどこまで自分を高められるか、というのも冷淡に浸ったまんまじゃ何も出来やしない、てことでもあるのだけど、その逆説としての肯定的過ぎる世界見識というのもやっぱり危険だと思う。正しいこと間違ってること、というのは常にケースバイケースなんだからそこを毎回毎回探ろうとする姿勢こそが大事なのかもしれない。
しかし「現状に満足していない」という状況に満足しつつある自分がいることにも気づく。一生「俺は発展しているはずだ」などといいつづけられるのはある意味現実逃避的だと思う。40歳になって50歳になって60歳になればいやでも頭は悪くなる。それまでにどこまで自分を高められるか、というのも冷淡に浸ったまんまじゃ何も出来やしない、てことでもあるのだけど、その逆説としての肯定的過ぎる世界見識というのもやっぱり危険だと思う。正しいこと間違ってること、というのは常にケースバイケースなんだからそこを毎回毎回探ろうとする姿勢こそが大事なのかもしれない。
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なんのために生きるか
2003年6月7日 エッセイこれ自体に意味が見出せなかったから究極的に生きてることに意味はない、全ては虚無なんだ、とか、んなこと言ってごまかしごまかし毎日過ごしてきたんだけど、昨日辺り不意に、いや、もしかすると、それを探るために文明が形成されて哲学が発展して教育機関が施されてみんなの知的レベルを底上げしていずれは神様と接触してやろうではないか、なんてことをインテリの人は意気込んでたわけなんじゃなかろうか、という考えが浮かんだ。
とすればやはり人間はこれからも進化してかなきゃいけないわけだ。そうでないと歴史も血の繋がりも想いも全て無駄になっちまうわけだから。イデオン的終末論を夢見ちゃった僕がこんなこと言うのもなんだが、だから富野監督は「世代を重ねる」ことの重要性を訴えてるわけなんだな。だって多分僕らの世代では神様とは接触できないもの。なんで人が生まれて生物が生まれたか、という答えを見出すことは不可能。でも次の世代なら、そしてまたその次の世代へと、文明も人も発達していけるのならいつか生きることの価値を見つけ出すことができるかも知れない。つまるとこさっさと子供を産んでバタバタ死んでくのが僕の「生きる意味」であり使命なんだろう。これからはこれを基準に毎日を過ごそうと思う。
とすればやはり人間はこれからも進化してかなきゃいけないわけだ。そうでないと歴史も血の繋がりも想いも全て無駄になっちまうわけだから。イデオン的終末論を夢見ちゃった僕がこんなこと言うのもなんだが、だから富野監督は「世代を重ねる」ことの重要性を訴えてるわけなんだな。だって多分僕らの世代では神様とは接触できないもの。なんで人が生まれて生物が生まれたか、という答えを見出すことは不可能。でも次の世代なら、そしてまたその次の世代へと、文明も人も発達していけるのならいつか生きることの価値を見つけ出すことができるかも知れない。つまるとこさっさと子供を産んでバタバタ死んでくのが僕の「生きる意味」であり使命なんだろう。これからはこれを基準に毎日を過ごそうと思う。
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みんなサディストの皮被ったマゾヒストだと思う
2003年6月4日博多を徘徊した。
敵が一杯いると感じた。
敵はどこだ。
敵はどこに逝った?
敵は某国ですか?敵は隣人ですか?
敵はカルト団体ですか?敵は自分自身ですか?
敵は家族ですか?敵は監視社会ですか?
敵は存在そのモノですか?
でも俺って世界平和のために戦うよ、というスタイル。
立派だな。
ほんとにそうなのかは知りませんが。
俺の夢は世界平和。(無理)
俺は自分のことで精一杯。他人のことなんて知ったこっちゃネエ(嘘つけ、寂しいくせに)
どっちでもいいんだけどね。
でもこの辺が分からない。
知識人の論壇を見ていると、なんか2ちゃんの煽りあいと一緒だしね。向こう側の揚げ足取は幾らでもやるのにこっちの具体案はと言えばどっかで聞いたようなナショナリズムやらグローバリズムやら、自分達で二極対立じゃないんだ、とか煽っておきながら反米か保守かのどっちかしか見てないし、俺はどっちでもないよ、と主張してるサヨクな人とかゥヨクな人を見てると、結局自分のプライドだけかよ、て。
なんだかな〜。
それで若者よ、立て!
とか言ってもほんとに敵なんているのか?て思ってしまう。
無理矢理、敵を作って内ゲバやってりゃ世話ねえよ、て。
まあでも、そりゃ敵はいるだろうね。
自分らの心の中に、幾らでも。
そしたらそりゃ戦争もはじまるわな。
そのときになって、ホラやっぱり敵はいましたよ、
と宣言してまた頭の悪い我々を先導してくれるのもあの人たちなのかなあ?そして頭の悪い我々は、やっぱり敵がいたのだと自覚してまた駆逐作業に移るのかしら。生きてる以上あたりまえの作業だけれども、そんなこと考えてるとオマエは何派だ?みたいなことやること自体に意味が見出せない。
引きこもることは良くない、外に出よというのが僕自身の認識でもあるのだけれど、多分引きこもりの人たちは動くこと自体に意味がない、てことを本能的に分かってるんだと思うのです。
例えば何もかもがうまくいったとして、
社会に認められて、ちやほやされて、
使い物にならなくなったら、捨てられる。
というのが現実なら、どうして夢物語みたいなことばかり言うのか。
イデオロギー批判がいつの間にか人格批判になってたりさ。
あれってプロレス的なことやって煽ってるだけなのかなあ?
敵が一杯いると感じた。
敵はどこだ。
敵はどこに逝った?
敵は某国ですか?敵は隣人ですか?
敵はカルト団体ですか?敵は自分自身ですか?
敵は家族ですか?敵は監視社会ですか?
敵は存在そのモノですか?
でも俺って世界平和のために戦うよ、というスタイル。
立派だな。
ほんとにそうなのかは知りませんが。
俺の夢は世界平和。(無理)
俺は自分のことで精一杯。他人のことなんて知ったこっちゃネエ(嘘つけ、寂しいくせに)
どっちでもいいんだけどね。
でもこの辺が分からない。
知識人の論壇を見ていると、なんか2ちゃんの煽りあいと一緒だしね。向こう側の揚げ足取は幾らでもやるのにこっちの具体案はと言えばどっかで聞いたようなナショナリズムやらグローバリズムやら、自分達で二極対立じゃないんだ、とか煽っておきながら反米か保守かのどっちかしか見てないし、俺はどっちでもないよ、と主張してるサヨクな人とかゥヨクな人を見てると、結局自分のプライドだけかよ、て。
なんだかな〜。
それで若者よ、立て!
とか言ってもほんとに敵なんているのか?て思ってしまう。
無理矢理、敵を作って内ゲバやってりゃ世話ねえよ、て。
まあでも、そりゃ敵はいるだろうね。
自分らの心の中に、幾らでも。
そしたらそりゃ戦争もはじまるわな。
そのときになって、ホラやっぱり敵はいましたよ、
と宣言してまた頭の悪い我々を先導してくれるのもあの人たちなのかなあ?そして頭の悪い我々は、やっぱり敵がいたのだと自覚してまた駆逐作業に移るのかしら。生きてる以上あたりまえの作業だけれども、そんなこと考えてるとオマエは何派だ?みたいなことやること自体に意味が見出せない。
引きこもることは良くない、外に出よというのが僕自身の認識でもあるのだけれど、多分引きこもりの人たちは動くこと自体に意味がない、てことを本能的に分かってるんだと思うのです。
例えば何もかもがうまくいったとして、
社会に認められて、ちやほやされて、
使い物にならなくなったら、捨てられる。
というのが現実なら、どうして夢物語みたいなことばかり言うのか。
イデオロギー批判がいつの間にか人格批判になってたりさ。
あれってプロレス的なことやって煽ってるだけなのかなあ?
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心の純粋さや正しさとかと
認識というのは別の問題で
人は惑わされやすく、常に見誤りの可能性を
はらんでいるのだ、と誰か言ってた。
優しくても頭悪いと死ぬよ、てことなんだろう。
頭良くて惑わそうとする人はタチ悪いけど。
でも上のことを言ってた人が言うには、頭良くても間違えるときは間違えるよ、ということも含まれるらしく。無知なのは悪いことじゃない、んだそうで、無知のために核爆弾落として一杯殺しちゃった人にも罪はないとおっしゃってるようだ。
聖人ですな。
まあ俺も聖人だから彼には賛同する(げ
僕はどっち側の人間かなあ。
無知であることをいいことに被害者の顔
しまくりな人になるのも良し、かもな〜(藁
という考えがたまらなく嫌になったのが最近。
もう少し早く自意識に目覚めたかった20歳の春。夏かな…
認識というのは別の問題で
人は惑わされやすく、常に見誤りの可能性を
はらんでいるのだ、と誰か言ってた。
優しくても頭悪いと死ぬよ、てことなんだろう。
頭良くて惑わそうとする人はタチ悪いけど。
でも上のことを言ってた人が言うには、頭良くても間違えるときは間違えるよ、ということも含まれるらしく。無知なのは悪いことじゃない、んだそうで、無知のために核爆弾落として一杯殺しちゃった人にも罪はないとおっしゃってるようだ。
聖人ですな。
まあ俺も聖人だから彼には賛同する(げ
僕はどっち側の人間かなあ。
無知であることをいいことに被害者の顔
しまくりな人になるのも良し、かもな〜(藁
という考えがたまらなく嫌になったのが最近。
もう少し早く自意識に目覚めたかった20歳の春。夏かな…
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