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小説
虐殺器官
古い本だ。今更読んだので印象は薄い。2ちゃんねるはこれから衰退の一途を辿るのだろうなあ。

ロリータ

2010年12月14日 読書
ナボコフのロリータ。
やたら文体が難解で、とにかく読みにくかった。当時の文壇を有る程度理解していないとわからないようなネタも多く、(ドフトエフスキーにも見られた傾向だが)要するにもっとリテラシーを磨くしかないのだろうな、という感想。

確か大学のときに読み始めて全部読み終わるまで今までかかったのだっけ。うーん。
数学は万能じゃない、ていうそれだけの話をやたらと難解に説明してて論理学やら数学にあまり造詣の深くない自分はたいそう読むのに苦労した。
半分も理解できてればいいけど、自信はないな。
まあなんだ。ゲーデルマジぱねえっす!

・・・次行くぞ次。

地下室の手記

2010年12月2日 読書
ヒキコモリ文学だった。自身の行い全てを断罪していく生き方を選択するのであればこのような生き方しか出来ないんだろうな確かに。
そしてその姿勢にシンパシーを感じてしまう時点で俺も同類なのだろう。
なんでこんなに読みにくい文体なのだろうと思ってたけど、どうやら西尾維新やらセカイ系作家と呼ばれる先人たちの影響をモロに受けている作家さんのようだ。

ヒロインになりきれなかった女の子とか、主人公になりきれなかった男、というメタフィジカルな文脈はとても西尾維新的だと感じるし、にもかかわらず主人公の上条は虚無的な性質を内包しておらず設定だけにとどめており、行動原理はきわめて奈須きのこ的中二病なものに基づいている。

少年漫画的展開でセカイ系な文体という水と油を混ぜるがごとき作風がこの読みにくさにつながっているのかもしれない。これがなじんでくればきっと面白くなるはずだ!と期待しつつ3巻に移行したい。
ウェブというアーキテクチャを生態系として解体し、新たな権力構造に見立てる論評はたいそう興味深く読ませていただいた。ところどころ東浩紀の意思が見え隠れしていたので、その点に関して言えばいずれは濱野氏には独り立ちして欲しいなというのが率直な感想ではある。

ゲマインシャフト/ゲゼルシャフト、信頼社会/安心社会、インストゥルメンタル/コンサマトリーあたりの二項対立的な流れのあたりは宇野常寛氏のいう郊外論やモバイル的実存の話を思い起こさせられた。
濱野や東が駆動させたいと志向している社会構造とはアーキテクチャ(環境管理型権力)による自動生成的な社会像であり、宇野、宮台が志向するものはある程度の設計主義的な社会像ではないかという対立点は浮かび上がってくる。
ただ両者間はもうだいたいの部分では合意ができていて、後はキャラ位置的な対立を煽って業界を存続させたいだけなのかもしれないという勘繰りはちょっとあるなあ正直。

ある程度そのような流れを知り尽くした読者が東浩紀の独壇場である思想、批評界隈を毛嫌いする理由もわからなくはない。ただ、僕らが東浩紀というテクストから読み取らなければいけないのは人格ではなく、単純にそのロジックの強度であることを忘れてはいかんなと思う今日この頃です。
本の感想文じゃないなこれ…。
アニメ版、レールガンも終わったので原作に手を伸ばしてくることにした。すでに20冊も出版されているとのことで長い闘いになりそうだが、途中で飽きることなく読み進められる力作であることを祈りつつスタートを切ってみた。

どうしていまさらこのラノベを読もうかと思ったかというと、この物語はメディアミックスで展開されている商業の動きを見る限りにおいてはデータベース消費というよりも、その裏側に隠されている「大きな物語と小さな物語の摩擦」によっておきるゼロ年代後期の構造が消費者に受けているように見えるからで。
この傾向って東方PROJECTとかとも通低しているように感じるのだ。
違うのは男がいるかいないか、であって、より旧来的な「物語消費」を全面に押し立ててるのはこっちのほうな気がする。つまりそれだけキャッチーなのだということで。となるとこれからもっと人気が出て行くのではないかと。
「オタクとは何か」というテーマに興味のある俺としては追いかけていく必要がある。いささか不順な動機ではあるけど、まあ細かいことは置いても、超能力バトルモノは基本的にすきなのだ。

この本一冊だけでの評判を見ると文章が読みにくいとか、作者の力量不足だとか散々な言われようなのだけど個人的には結構楽しく読めました。少年漫画にたとえると4巻5巻らへんから急に作者が覚醒して面白くなるタイプの作品ではないかなと。

上条さんの「みんな主人公になりたいんだろ云々…」のくだりは純粋な善意というよりは「「「女の子を助けたい俺」になるために命かけてる俺」は主人公っぽくてかっこいい」みたいなとてもメタっぽい予防線貼りまくりの自己啓発になってて吹いた。これが上条マジックというやつかw
ゼロ年代におけるオタク史の流れとしては的確な分析だったように思う。だがエヴァンゲリオン以降のオタクの自己言及性の問題、つまり実存を回復するための処方箋は何一つ提示されることなく終わった感が強い。

そういう趣旨の本ではありませんので、ということなのだろうが、前島氏はもう少し自論を押し広げても良かったのではないかなと思った。
お、面白いこと書いてるな、と感じてる矢先に「また自論を展開してしまった、申し訳ない」という自己批判が入るのはプロの評論家の論説としてどうなのだろう。

セカイ系は終わったとか、これからはアーキテクチャーだという流れにのっとるのは簡単だが、流行り廃りとして消化される「私」をめぐる問題は何一つ解決しちゃいないのではないか。宙ぶらりんになっている実存の救済なくして僕らは本当に脱エヴァンゲリオンを果たしたといえるのか。このあたりもう少し踏み込んでほしかったというのが正直な感想である。

セカイ系ってこういうものです。→セカイ系の問題は解消されたの?→流行り廃りなので今は空気系の時代です→ずこー
東浩紀は人生をゲームのように解釈している。いや、正確にはポストモダン化しデータベース的動物化を果たした我々は人生をゲームのように解釈し、そのように生きるしか手段がないのだと言っている。

だから法制度に関しては文字通りゲーム的な制度に改革すべきだと主張しているのだろう。人々が新たに獲得しつつある実存の問題に制度設計が追いついてないと。今私たちが感じてる息苦しさの正体はこの辺にあるように思える。
やりたいことをやりたいようにやれればそれが一番いい。自由ってそういうことだ。だが実際は何がしかに、ゲゼルシャフトだのゲマインシャフトだのの共同体に属するしかない。コミットメントしないと迫害される。問題はそこだ。大きな物語などとっくの昔に崩壊したというのにいまだに権力の力を信じてる人々がいっぱいいる。
自由ってのは他人と競いあうことじゃない。やりたいようにやる、てことだ。自由競争社会とか意味がよくわからない。社会は成熟し、これ以上の経済成長も見込めないのに更につぶし合うことになんの意味があるのか。

何で俺がこんなに東浩紀に惹かれるのかよくわかった。彼はゲーム的で可能性に満ちた「自由」を愛してるのだ。そして我々の現実が、監視的で不可視な視線(よくわからない権力)によって固着化し「仮定法の亡霊」(もしかしたらあったかもしれない過去と未来)に囚われ続ける自由という名の不自由から開放されるべきだと主張しているのだ。
そして俺自身、そんな自由を獲得したいと願っている。そうなればいいと思っている。それは不透明でよくわからないこの世の中において、すごくラジカルで希望にあふれた言説なのだと実感している。
正直泣いた。いや物理的には泣いてないけど。物語観て涙を流すタイプの人間ではないので。だが心の中では何度も泣いた。具体的には2度泣いた。

一度目は第一部の終了時点で、二度目は第二部の終了の際にだ。ともにクライマックスにおける葦船住人の嘆きと独白に泣いた。

東浩紀すげーなー。
批評家だとばかり思ってたのに…。正直甘く見てました。すごく面白かったです。後半に行くほど文章が手馴れてきてる感じで、よかった。
おそらく次回作といわれてる火星SFはもっと面白いだろうな。
もっと小説家東浩紀の考えている面白い話を読みたい。いずれは誰かがアニメ化とか実写映画化するとよいのだと思う。それくらいのパワーはこもっていた。

AMAZONのレビューに「わからない」という印象を書いてる人がちょこちょこ見受けられたのだけど何がわからないのかがむしろわからない。かなり明確だと思うんだが。クォンタムファミリーズは東浩紀という思想家の、入門書にして現時点での集大成ともいえる作品だと思われる。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」への応答も東浩紀の思想そのままなのだからある意味では予想通りの結末でもあった。わからないという人はラストの住人の独白だけ読み返すとだいたい7割くらいは理解できるはず。どうして今、ベーシックインカムで一般意志なのかもわかるだろう。
つまりこの小説内で東が言いたかったことは
「帰還すべきハードボイルドワンダーランドは崩壊した。われわれは世界の終わりに生きるしかない。であるなら、みんな好き勝手生きればいい。路上に立ちふさがる障害物は蹴散らせばいい。殺さない程度に。自己責任で。死なない程度に」
ということなのだ。死なない程度に、という部分を保護するのがセーフティネットの確立であり制度設計問題につながってくる。

この小説においてもはや現実とは数学的解釈においては虚構となんら区別のないものとして書かれていた。おそらくラストエピソードにおける汐子の世界とは可能世界的に作られた虚構の現実に過ぎないのであるのだろうけど、そもそものクォンタムな世界観全てが幽霊のようなものなのだから、あれはやっぱりトゥルーエンドとして許容すべき世界なのだろう。
価値や物語などは、絶えず仮定法に晒され相対化され、メタ世界的に包括され続ける。だがそれは何度も脱構築を繰り返し、より強固な現実へとシフトしていくのだ。そのような力強いメッセージを感じ取れる力作だった。
次回の小説ではいったいどのような物語を見せてくれるのか今から楽しみです。
「小さな物語」をあえて信じる態度と、まだ「大きな物語」が機能しているのだとする態度とではだいぶ違うと思う。決断主義って要するに後者の想像力だろう。
問題はそこにあるような気がするんだが。宇野氏の代替案そのものも結局小さな物語としてしか機能しないと思うなあ。

セカイ系へのカウンターとしてレイプファンタジーがあるんだけど、更にそのカウンターとしてすでにNTRという概念すらある。「安全に痛い自己反省」のロジックは旧来のガンダム以降の作品群にだっていくらでも見られるわけで。たとえば戦争なんてごめんだ!なぜ戦わなくてはいけないのか!?といいながら一方で、主人公の撃墜数を数えている我々はいったいなんなのかということだ。

オタクの内向性と外に出ろ問題は昔から論じられていたことであったし特別宇野氏が言っていることにそれらとの違いがあるわけではないが、いちいち言葉の選択が挑発的なのがなんとも面白い。
ただ、オタクが外に出るためには、集合知的な設計主義しかありえないように思える。旧来の権力モデルによる実存の押えつけ、糾弾では、オタクと社会の格差の溝はますます深まっていくのではないか。全体性として流れるニヒリズムは実存主義で克服するしかないのだ。にもかかわらず自己実現からはじかれた人間や、そもそもどうすれば満足できるのかすら気づいてない人間たちがこの国にはあまりにも多すぎる。

「終わりのある日常」とか「モバイル的実存」もある一定の層に向けた処方箋ではあると思うけど現状では万能薬とまでは行かない気がする。現に俺にはそのような社会性の受容態度は無理くさいし。
外で「人と遊ぶ」たびに心が暗黒面に落ちて行ってるような俺では過剰流動性に晒されるこの社会に、終わりあるゆえに尊い共同体などというものを築き上げる能力はないだろう。せめて相手の心を見透かさないし見透かされもしない機械的なコミュニケーションをとるので精一杯だ。

そんなことばかり考えていたらやはり人間に何かを期待するのは難しくて、その老廃物としての創作物や構造にだけ目を向けていたいと思うようになった。 だから、その意味においてのリスクはやっぱ引き受けてかなくちゃならんよね。当事者意識。社会適応力。つまり我々の楽園が守りたいのなら闘うことでしか勝ち取ることはできないのだ。
宇野常寛の功績はセカイ系と決断主義という対立構造を作り上げた点ではあると思うのだ。そのことによってエヴァという呪縛から我々はようやく構造解析という意味においては脱却できたはずなのだ。

残るものはエヴァ以前の100数年前からおきているニヒリズム的な実存の問題。社会が窮屈になればこれは否応なく人を圧倒的な絶望へと誘うのだろう。
良かったよ。ゴルベールがなんで生きてんのかようワカランかったりサイトの浮気性が相変わらずだったり微妙な気分にもなりましたがうまい具合にキャラの心情をあっちこっちに逸らしながらキャッキャウフフなツンデレラブコメが読めれば何も問題ありませんので。この際サイトの浮気性には目を瞑ろう。熱血タイプのプレイボーイとかちょっと違和感あるけども。
そもそも3巻か4巻くらいで完結予定だったんじゃなかろうか。引き伸ばし展開に微妙に萎えつつだらだらと電車の中で読んでしまえる程度の短い文章はさすがラノベ。
思うんだけど国家のいざこざやってるんだからせめて登場人物紹介前に地図くらい載せて欲しいもんなんだけど。ハルケギニアとかアルビオンとかトリスティンとか国と国がどんくらい離れてるのかとか国力比はどんなもんなんだろうかとか、広さはどうなんだとか文化はどうなのかとか、文章だけだとあまり上級でない俺の頭ではどうにも覚えきれないとこがあって困る。
今更サイトがもうルイズには会えてないとか言ってるあたりが心理描写も結構無理やり感が。ほとんどストーリー上は何も進行がなかった気のする8巻でした。
ようやく読んだ。遅い。遅いよ!(カイ・シデン)
なんでこんだけ遅くなったかというとどうにもサイトが浮気性なところにムカツキを覚えたからで。意外と俺、貞操観念強いみたいだ。さすが非モテ一族の末裔ですな。純情に見えといてあっちこっち浮気しちゃう男の人には多少殺意が沸いてしまう。もともとちゃらんぽらんな奴があっちこっちのお姉ちゃんたちとやりまくる分にはどうでもいいのだけど。ラストの特攻は悪くないんだけど作者がやたら男、名誉、勇気を強調して小林よしのりの戦争論みたいのの焼き増しやってたのは割とうんざりしたりしなかったり。
なんとなくだが作者がやらんとすることがわかる気がする。そうなるとオチが来ても「ふーん」で済みかねないな。そうなったらプライドの高い人の場合ここまで買ったお金と時間返せ、みたいなことになったりするのかな。そういうのが面倒なんで問題なくだらだらと最後まで読んじゃうだろうな。後なんかもうやたらと18禁。
白の章が大変面白かったのでアニメを観たら大変面白くなくてむかついてたところに小説版が出てたので購入したら大変いい感じな出来でした。こっちのキャラでアニメ化すりゃあれほどの駄作にならんで済んだろうにね。榊さんとやらの文体も割りと好みでなかなかくだけた言葉使いの咲良は良かったです。航もアニメ版みたいな空気君じゃなくていろいろ奮闘してくれるのでアニメ版で憤慨した人には結構オススメの品かもしれん。ぜひ続編希望したいのだけど無理かなあ?
ISBN:4044292086 文庫 いとう のいぢ 角川書店 2006/04/28 ¥540

前から気に入ってたんだけど今回の話で俺の中でまた古泉評価がぐんと上がった。いいキャラだよなあ。ギミックとハッタリを駆使した出鱈目なロジックには関心するよ。犬を治療する話ではキョンのツッコミもあいまってかなり笑えた。
イケメンなだけの嫌味キャラみたいな類型に当てはまらない偽悪っぷりがイカスね。

今回の話は一人一人のキャラの変化がずいぶんと強調されていたと思う。ハルヒの暴走にあきれつつも実はそんな生活が気に入ってるキョンとか、活動そのもの(つまり日常)を心地よいと感じ始めてるハルヒ、ユーモアを習得しつつある長門、いつの間にかキョンと友情を深め合ってる古泉、みたいな感じで。みくるはよくワカンねw

いろいろと伏線(シャミセンはラストあたりで情報生命素子が覚醒したとかなんかですんごい超絶進化しそうな予感)貼りもやってくれてるみたいだけどこれ、本当に収束させられんのかね?もし出来るなら憂鬱や消失を超えるラストが来ると期待できそうだけれど。難しい気もする・・・
もしやれたら谷川氏は天才だと褒め称える心構えはあるけどw
クソッ、なんて時代だ!!といいたくなる話だった。ここまで話を鬱屈したほうに持ってくともうみんながみんな幸せになりましたのハッピーエンドは期待出来そうもないねえ。富野神に鍛えられてる俺はぜんぜんそれでもかまわんのだけどこうなってくるとかなり賛否両論になってくるのではなかろうか。ていうかナミが下呂可哀想なんだが。今際の言葉も吐けずに昇天ですか。かなめよりずっといいコに見えたんすけどね。このまま結婚しちゃってHAPPY!みたいな桜田×フィリピンエンドで良くなかった?(わかる奴にしかわかるまい)

まあ冗談だが。こういう冗談が通るくらいかなめの性格がかなり悪化してるのも問題だよなあ。そこまで宗介が執着してやまないほどに魅力的な女には見えねえぞこいつ。ここまでの宗助の執着というのはもはや愛というよりはストーカーというか病的な依存にしか見えネエ・・・まあ俺はそういうサイコ気味のすさまじい執着心には心打たれる性質なんですが。ただ、みんな幸せになってまた楽しい学園生活が戻ってきました、チャンチャン♪では終われなくなってしまったよね。ナミが死んじゃったから。宗介自体今までこういう罪と後悔はいくらでもしてきたんだろうけど、それをはっきりとした形で読者にも伝えてしまったからね。この、業はずっと背負って生きてかないと駄目だろうし。自分らが幸せを掴み取るためにたどってきた道の後ろ側には無関係な人たちの屍の山が築かれてるわけだし。なんか最後はウィスパードの無敵能力生かして歴史改変エンドとかパラレルワールドエンドとかありそうで、んなことされたらかなり萎えるんだが、まじありそうでコワス。

まあそういうSFオチが無かったら多分かなめか宗介、どっちか死ぬな、確実にw本音はどっちとも死んで欲しくないがね。つか宗介は生きてるの辛そうだな。もう観鈴ちん並にゴールさせてあげていい気もするんだけどね。見てると忠犬ハチ公思い出すよ・・・

ところで、この作者のやたらめったらの素人と玄人は違うんだぜ、的な語りは結構うんざりするんだけど白いサベージの描写は熱かったね。マジ興奮した。
ISBN:4840232067 文庫 織澤 あきふみ メディアワークス 2005/11 ¥578

テキスト中に出ているとおりなんだけど「ジャーゴンくさいガジェット」で捨て鉢な題名が気に入ったので買った。どうも谷川流という作家はオタク批評とかセカイ系とかツンデレとかそういう流行に敏感な人みたいで、常にそれをちょっと遠いとこから(批評的な包摂も交えて)ガジェットを凝らして話を構築するのが好きっぽい。

そういうジャーゴンを一まとめにしてみて「どうだ、パロッてやったぜ、これがイマのボクにとってのセカイ(失笑)だ!参ったかコノヤロー(笑)」みたいな。多分、惑星開発委員会とか読んでるなw
まあそういうセカイ系の流れを汲んだ上で、ある程度の回答(になってるかどうか微妙だけど)を交えつつ物語を展開していく姿勢には好感持てるけど。自覚なしに俺悲劇を垂れ流す話よりはずっとマシだしね。今後も期待したい。

肝心の物語の方はまだ様子見の段階でどういう話になってくのかはわからない。今後の展開のための種まきだけで終わっちゃった感がある。前半はカフカみたいな不条理展開のまま突っ切ってて後半は萌え分をちょこちょこっとちりばめて終了。少し押井の御先祖様万々歳テイストなノリ。
津波姉さんはやさぐれて大人になったハルヒみたいな語り口調だった。綾羽のキャラは、使い古された軍人口調なツンデレだけどまあ俺は萌えた。パンツ穿いてないのはいうまでも無い。

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