願わくば彼の今度の人生がよりよいものであることを
2007年6月7日 友達 コメント (5)一緒に同じ目標を追ってきた友人が戦線を離脱するらしい気配のメールを送りつけてきた。
中学時代からの仲間で、一番の親友だった。彼の才能にはすごく期待していたし互いに高めあっていける良い友人関係だったと思う。やめるというならそれを止める理由はないし、人生は自分の力で切り開いていくものなので「そうか」としか返せない。
もう彼は十分過ぎるほど頑張ってるのでまたもう一度頑張ろうぜともいえないし。
ただ、まあ、もう同じ道はあるけんのだろうなあと思うと、かなりの孤独感も感じるもので。結構凹む。
あいつより仲のいい友人とはもう二度と出会えないだろうなあ。
奴には奴の道を、俺は俺の道をていう人生の岐路にたたされてんだなあというのを実感する。
おっしゃ、うんこして寝よう。
中学時代からの仲間で、一番の親友だった。彼の才能にはすごく期待していたし互いに高めあっていける良い友人関係だったと思う。やめるというならそれを止める理由はないし、人生は自分の力で切り開いていくものなので「そうか」としか返せない。
もう彼は十分過ぎるほど頑張ってるのでまたもう一度頑張ろうぜともいえないし。
ただ、まあ、もう同じ道はあるけんのだろうなあと思うと、かなりの孤独感も感じるもので。結構凹む。
あいつより仲のいい友人とはもう二度と出会えないだろうなあ。
奴には奴の道を、俺は俺の道をていう人生の岐路にたたされてんだなあというのを実感する。
おっしゃ、うんこして寝よう。
Dへ(元気だったらゴメン、弱ってるならこれ見て怒り狂うべし
2004年3月17日 友達この前の日記の前半部は面と向かって言えなかったことを日記で愚痴ってた感じだな。自分としては叱咤激励のつもりだったが客観的に見て不愉快に感じる部分があるかもと思った。要点だけ抽出させてもらうなら「男なら他人に力を借りて何かをなそうとか思っちゃいかん」(絶対者をいくら求めても最終的な決定権とか勇気とか才能、努力なんてモノは自分次第なのだから)てことが書きたかったわけで。
D氏は「すごい奴がいない」と愚痴っていたがすごい奴がいないなら、まず探す努力をしたのか?、探す努力の前に現在の自分はどーなのか?、探し出して自分は何をなそうと言うのか?、ただ依存したいだけではないのか?、結局自分自身で成し遂げたかったことが何なのか?、その辺を見失ってるような気がした。
僕としては弱ってるD氏を感じてとても残念だった。自分の友人が弱気になってるだけなら愚痴も聞くし相談にだって乗るだろう。しかし彼の悩みはそもそもからして「矛盾」であり「イジケ」でしかありえなかった。
すべてを掌握したい欲望があるならば、どーして傍観者でいたいのか、傍観者でいたいのならどーして皆に認めてもらいたいのか、認めてもらいたいのならどーして渦中に飛び込もうとしないのか、リスクを背負う姿勢を見せないのか。「嫌いな人間がいたからバイトをやめた」というのはまさに厨房的、衝動的、行き当たりばったり人生だとしか言いようがない。将来に一体何の展望を抱いていたのか、と聞き返したくなる。やれることからやっていく我慢強さが必要だろう。
あるいは僕が全く知らないだけで彼も必死で努力したのかもしれない。親元でのうのうと暮らす僕にこういった発言権なんてものはそもそもからしてないのかもしれない。でもあの時点でのDが酷くかっこ悪かったのをどーしても見過ごすことが出来ないみたいだ。僕だっていじけてる人間だが、自分のやることに一貫性がないとは思わない。自分の度胸のなさと向かい合い、やれる範囲のレベルの計画の実行は進めていると断言できる。そーなるといよいよもっていじけてる暇すらなくなる。
世の中を恨むのならとことん恨んでもOKだろう。しかし、だったらそこにそもそもの「救い」を求めるのは贅沢だし、圧倒的破壊者として生きるのなら「理解」してもらおうなんてもってのほかだ。他者に依存するな。誰も救ってくれやしない。いくらでも利用するなら利用するでいいのだろう、でも依存しきってしまってはホントに何も出来なくなる。自分の決定権は他人にどーこーできるモノではない。結局のところ自分の道は自分自身で切り開くしかないのだと思う。
相変わらず喧嘩を売ったような日記だが、Dは自分自身を持続させる確固たる主体が必要だと心の底から思えるわけで。俺も。
D氏は「すごい奴がいない」と愚痴っていたがすごい奴がいないなら、まず探す努力をしたのか?、探す努力の前に現在の自分はどーなのか?、探し出して自分は何をなそうと言うのか?、ただ依存したいだけではないのか?、結局自分自身で成し遂げたかったことが何なのか?、その辺を見失ってるような気がした。
僕としては弱ってるD氏を感じてとても残念だった。自分の友人が弱気になってるだけなら愚痴も聞くし相談にだって乗るだろう。しかし彼の悩みはそもそもからして「矛盾」であり「イジケ」でしかありえなかった。
すべてを掌握したい欲望があるならば、どーして傍観者でいたいのか、傍観者でいたいのならどーして皆に認めてもらいたいのか、認めてもらいたいのならどーして渦中に飛び込もうとしないのか、リスクを背負う姿勢を見せないのか。「嫌いな人間がいたからバイトをやめた」というのはまさに厨房的、衝動的、行き当たりばったり人生だとしか言いようがない。将来に一体何の展望を抱いていたのか、と聞き返したくなる。やれることからやっていく我慢強さが必要だろう。
あるいは僕が全く知らないだけで彼も必死で努力したのかもしれない。親元でのうのうと暮らす僕にこういった発言権なんてものはそもそもからしてないのかもしれない。でもあの時点でのDが酷くかっこ悪かったのをどーしても見過ごすことが出来ないみたいだ。僕だっていじけてる人間だが、自分のやることに一貫性がないとは思わない。自分の度胸のなさと向かい合い、やれる範囲のレベルの計画の実行は進めていると断言できる。そーなるといよいよもっていじけてる暇すらなくなる。
世の中を恨むのならとことん恨んでもOKだろう。しかし、だったらそこにそもそもの「救い」を求めるのは贅沢だし、圧倒的破壊者として生きるのなら「理解」してもらおうなんてもってのほかだ。他者に依存するな。誰も救ってくれやしない。いくらでも利用するなら利用するでいいのだろう、でも依存しきってしまってはホントに何も出来なくなる。自分の決定権は他人にどーこーできるモノではない。結局のところ自分の道は自分自身で切り開くしかないのだと思う。
相変わらず喧嘩を売ったような日記だが、Dは自分自身を持続させる確固たる主体が必要だと心の底から思えるわけで。俺も。
Y=政治に相当詳しい僕の友人(このままでは日本はやばいぞ)が口癖。
2001年5月29日 友達Y氏からメールが来ました。
Y<俺、パソコン買うかも。
なんとなく、
彼がHPを制作したとして、僕の
HPとリンクさせるとしたら、
彼は僕のページを見てどう思うのだろう?
と、考えたときに、
やっぱこのままではいかんなあ・・・
と心の声が聞こえてきました。
なんとゆうか、
自己改革をせねば、と
ちょっと焦り気味な気持ちです。
Y<俺、パソコン買うかも。
なんとなく、
彼がHPを制作したとして、僕の
HPとリンクさせるとしたら、
彼は僕のページを見てどう思うのだろう?
と、考えたときに、
やっぱこのままではいかんなあ・・・
と心の声が聞こえてきました。
なんとゆうか、
自己改革をせねば、と
ちょっと焦り気味な気持ちです。
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