もう語る言葉は何もないんだな。描くことで表現していくほか何もない。
ツイッターやってて気づいたことは、みんな目の前にある問題意識に対する結論はだいたい同じなのだということだ。そこに至るまでのアプローチが違うだけで。だとするとこれ以上、思想や哲学をこねくりまわすことに生産性はないように思えてきた。
とっくの昔に結論は出ていたのだろうけど、やはり心のどこかで思想が何かを(自分も)変えてくれるんではないかと期待していたのかもしれない。これじゃいかん。
文字通り、多角的な言語ゲームを展開できるようにリテラシーを底上げしていくことは決して間違いではない。しかし自分にとって「誰にでも思い描ける結論」を導きだす道具は漫画だということを忘れてはいけない。という自己反省。

この類の繰り返し起こりそうなにおいのする反省文は願わくばこれで最後にしたい。学べる人間だということを証明したい。
基本的に漫画という媒体はモノローグに限らず少ないに越したことはないと思うのだ。人間の心と言うものは研ぎ澄まされればされるほどに単純化し無垢化し、ひとつの純度の高い精神に到達する。キャラクターはその真逆で、台詞まわしは人間から離れ、それぞれを差異化させるギミックとして使うべきで。

ストーリーのクライマックスに迫ったとき、そのときの気持ちを「僕が今思ってるのはつまり・・・の・・・により・・・が・・・なったから・・・するんだ!」と長々と説明台詞を入れてしまう羽目に陥ってしまうのは、要するにそこに至るまでの過程と流れを上手く演出できなかったということなのだ。

これではキャラクターが人間になる瞬間のダイナミズムは生み出すことが出来ない。あちら側にいたはずの漫画の住人(キャラクター)と読み手の心情が一致するという演出というものは、つまりギリギリまで削ったその人の心情の吐露と、後はコマワリ、構図、間、全身を使った感情表現などでなんとかするしかないのだ。

特に漫画は映画やアニメとも違い、文章が挿入されればされるほどに感情移入をそぐことになる。単純に読みにくくなるのだ。読み進めようという意志がなければ読めないからだ。
ネーム終了。
やろうと思えばほぼ一日で上がるのに何で時間をかけてじっくりやってるのかというとやはり精神の消耗が半端ないせいなのだろう。
駆け出しのうちは構図からして勉強なので、ある程度描きこむことが要求されるため一本ネームをあげるのに結構体力がいる。

プロ作家さんはほぼ丸描いてちょんでいいのでネームが3,4時間であがる、とか聞いたりするが、まあ今はそれはやらせてもらえんだろうし、そんな描き方で構図を脳内できちんと構成する力量もまだ備わってはないのだ。

日々これ鍛錬あるのみなのだな。ちょっとここ一ヶ月は新人としてあるまじき体たらくだったので反省しきりである。
かなり事態は切羽詰っている。いい加減本気出せってことだ。本気出すってことは平たく言えば死んでOKだ、つーサインを自分に送ることだ。
ダサいことにアシスタント時代の病気はまだ治っておらず、死んでもいいから原稿だけはどうか間に合いますように、という祈りを込めないと俺は本気になれない性分になってしまっている。
そんくらい覚悟きめないと漫画一本も完成させられない俺って正直どうなんだとは思うんだけど、やるしかない。
終わんなかったらどうしよう、とかまあやれるだけやるさ、なんていうマイナスの思考、なあなあの思考は全て除去する。
長文かましてわかったような顔すんのはもうやめだ。
出来上がったもんがどんなクソでもかまわない。少なくともよかれ悪かれ結果は出る。先送りが一番最悪。超つまんねえ。
超面白いことしようぜ自分。
漫画を考えないといけない。








が、ネタが浮かばない。


うーん、どうするか…。




あああああ。

あはん

2009年10月1日 漫画製作
2月末に向けて描いていくことになった。
時間はたっぷりあるぜーとかいってのらりくらりやってるとキングクリムゾンさんにしてやられるので必死に頑張ろう。

初めて要求のようなものを受けたような気がする。バトル漫画を描けと。しかもスタイリッシュな奴を、ときたもんだ。
えー・・・。無理じゃねー?
いや実際最初に編集さんに見せたのはボクシング漫画だったのも確かだけれど。

けど無理っす。向いてないっす。つったら、あっそーですかじゃあね、つわれるだけなんで、描くよそりゃ。死ぬ気で。

とりあえずブリーチ買いにいこ…。
高二病、中二病の復習だぜ!わはー
漫画はテーマがあっても必ずしもそれにそって話を展開させる必要はないような予感がしてきた。

たいていはテーマへのアンチテーゼのようなものがどんでん返しになるわけだけど、だからどうした、ていうのがたいていの人間のリアクションだと思うからだ。

ようは統一性を持たせる役割においてテーマがいるだけであって、結局物語りを引っ張るのはキャラクターなのだから、いかに萌え~なキャラクターを登場させるのかが一番大事なんじゃないか。

今までずっとストーリーばかりをうんうんうなって考えていたから逆の発想をしてみた。てことで俺は俺の思う萌え~なキャラを前面に押し立てたフェチっぽい漫画を描いてみようと現在画策している。

うおっしゃ

2009年8月14日 漫画製作
ネームオワタ。自己新記録じゃないだろうか。

1日半。
途中、飯食ったり風呂入ったり、オナニーしたり、10時間くらい爆睡してたり、ネットに逃亡したりしてた分差し引けば12、3時間で終わったんじゃないだろうか。

まあプロはもっともっと早いので、更なるスピードを身につけたいところだが、なんかおたおたしながらのんべんだらりとやるネームよりやはりテンションの高いものができた気がする。
少々破たんしてる部分もあるが、それはおいおい直していけばよいし。
よーし、レッド読も。
俺には語りたい病があるみたいなんで自重せんとなあ。
必要のない情報まで漫画の台詞にのっける癖はなんとかせにゃ。
夢を持ち、それに向かって結果を出し続ける人間、てのは基本的に嫉妬される。
「でもあの人さ、こういうところが~・・・だよね」ていわれる。

できなかった人間、成し遂げられなかった人間からすれば、
「そもそも自分は最初からそんなものには興味なんてなかったんだよ」ということにすれば自尊心は保てる。
「本当に好きなことは別にあったんだよ」ということにすれば気持ちは楽になる。
結果を出せた人間への羨望も、でもあいつはさ・・・て重箱の隅を突っついてりゃ、できない自分への慰みにもなる。

それは負けた人間なりの防衛手段であり、生き方というもので。
それ自体は否定されるものではないし、そうでないとやってられない。
でも、俺はそっち側には行きたくないなあと思う。
なんつーか、ダサいし。

だけど、結果でない上にそんな生き方すら選択できない人間に残される選択肢、て後は何があんのかなあ?て思うとちょっと恐ろしくなってくる。ひぐちアサ先生の「ヤサシイワタシ」てのはそのことについて描いてんのかなあ、とふと思った。
潔さってなんだ。
駄目だったーorz
つか一人しか入賞はなかったらしい。
最終候補に生き残れただけ誇りに思うべきなのか。
いや、違うなあ。

結局面白い漫画を描けていれば消去法みたいな落選結果はなかったに違いないのだ。
単に俺の漫画がまだぜんぜん「つまらん」ということでしかない。
反省点を生かしつつ次に向かうしかない。
そういうことだ。
漫画家ってのはエゴイストじゃなきゃやってけないのではないかと思う。
エゴイストである、てことは他人を気にしないということだ。
他人をゴミを扱うように付き合うということでもあるのかもしれない。
ゴミのように扱うということは「あいつ一人で突っ走っててゥザイよね」「あいつ、自分を省みないよね」ていう風に嫌われるリスクを伴うということだ。

けど、そうじゃなきゃ漫画家にはなれない気がする。
だとするなら、俺はエゴイストでいい。
もっと、もっと自分勝手に、自分の都合だけで動き回る人間になろう。

こんなことは才能がないから思うのかもしれない。
才能がない人間が勝とうと思うと、こうならざるをえないのかもしれない。
勝つためならなんだってする覚悟。それは結構恐ろしいものだ。

うーん

2009年7月6日 漫画製作
疲れてんのかな。いまいちやる気がおきねー。
ネタはあるのになんでだ。

漫画描いてたときはアレしたい、これしたい、て思ってたのに実際
終わってみると何にもする気が起きない。
結局ただの現実逃避なんだよなアレ。

もとより楽しいことなんてとっくの昔に忘れてしまった気がする。
漫画を描くだけの機械でありたいな。

見得とか、名誉とか、出世欲とか、金銭欲、モチベーション足りえるようで実際は漫画の純度を落とすだけのもののような気がする。
中二を気にするあまり何も出来なくなるのも中二病なのだそうだ。
脱稿した。後半やたら白い原稿ですが。
手伝ってくれた友人らに心より感謝したい。

とりあえず何もする気が起きないのだけど、
すぐ描きたくなるだろう。
描くしかない。
やっぱこれしかねーな、と思う。

でなけりゃ生きている意味がない。
うちから生まれ出てきた原稿が便所のねずみの糞程度のものでもそれはそれでかまわない。
糞を大量生産し公害撒き散らす漫画家目指せばいいじゃない。
道化で笑いものになったっていいじゃない。どこまでもあがいてやる。

よっしゃ風呂入って寝よう。
描いてて気を使わなくていいキャラはやっぱ男だね。
ガリガリガリイ、ブチャー←Gペンの血飛沫の音
みたいな感じで描いてもそれっぽくなるもの。

女の子をGペンでガリガリガリイ、ブチャー、とかしてたら
なんて男気あふれる女なんだ(それはそれで俺によしではあるのだが)
てなるのはちょっと困る。

つかようやくGペンの面白さが理解でき始めた。
なんかもう、あらゆるラインをゴリゴリにしたくなる。
やりすぎるとアメコミ調、もしくは藤田和日郎、になっちゃうから危険ですが。
好きだったはずのものが、自分を苦しめるとき
本当は自分はそれがすきでもなんでもなく、
嫌いなんじゃないかとすら疑うときがあるんだけど、

それはきっと嘘で、逃げ出したいと思う自分の心が弱いだけなんだ。
そんなとき俺は自分に問いかけてみる、
「今、逃げたら、おまえは今後、何を愛して生きていくのか?」と。

また別の代替品を見つけるのか。一度逃げ出した自分が。
そしてまた苦しくなったらそれを見捨てて逃げ出すのかと。

好きだという気持ちを本物にするためには、絶えず戦い、証明し続けるしかない。それは勝ち負けの問題じゃなくて、プライド。
だから寝すぎやって俺・・・。
こんなに寝ないと体力回復できなかったけ?歳かいのう・・・。
ひいいいアワアワアワアワ(((( ;゚д゚)))
眠い、けど寝ちゃいけない。寝たら死ぬ・・・。ちんじゃらめえ。。。

おはわはー

2009年5月31日 漫画製作
4時間ほど寝て起床しました。現在23時40分。
ちょっと気づいたことをメモっておこう。

というのは、実は原稿というものは多少疲れている状態のほうが進みがいいということだ。疲れると、ほかのことを考えるのが億劫になり、いい意味で愚直化して原稿にだけ集中できるようになるようだ。
なので「あ、やばい疲れてきたな、もう今日はいったん切り上げるか、、、」てのは間違いで、「キタキタキタキタ、超疲れてきたスーパーサイヤ人モードktkr、範馬の血覚醒きましたよ」みたいな感じで、ノリノリで原稿に望むと良いみたいだ。そっちのほうがブーストのかかりが良い。

で、本当の本当にやばくて思考が単純な足し算すら計算できそうにないくらいまで消耗した場合に初めて休むべきのようだ。
勉強好かずの俺だったから、こういうところは盲点だったなあ。これに気づいていれば、もっと高校時代の成績も良かっただろうに。

1 2

 

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索