ここ数年、将棋界が電王戦に取り組み始めたころから将棋を始めたのだが、藤井竜王凄いな。彼の指してはAI的な読み筋に人類としては最も近い領域に到達しているそうなのだが、何やら奇妙な気分にもなってくるのでなんだろなあこれ、てなっている。

彼は何かのインタビューで「盤上の物語は不変である。」と答えているのだが、これはつまり、人間の指し手がAIから学んだものであっても盤上で物語を紡いでいるのは人自身であり、そうであれば毎回別のドラマが展開されているわけだから、それは永遠に不変的に続いていくものだ、という話をしているのだと思われる。
だが、その言葉から感じられるジワリとした違和感は、AIの局面把握に物語性は存在しないということを藤井さん自身が知っていて、あえてそのようなことを話している点ではないかと思う。

彼は「もっと強くなりたい。」と常にインタビューでは答えているが、その先にある景色、帰結は「盤上の物語の終わり」につながる細くて孤独な一本道のようなものではないか、と抒情的には解釈できたりもする。
21世紀は神の死、やら人間の終わりに次いで「物語の終焉」を迎える世紀になるのも、また必然なのかもしれないなあ。しかしそれはそれでそういうものだからね。大きかろうが小さかろうが物語で社会を駆動するのは凄く危険なことだとこれまでの歴史が証明しているからね。しょうがないね。

10月16日の日記

2007年10月16日 趣味
それにしても面白いなあニコニコ動画。
これからのインターネットを牽引してくのは2ちゃんねるではなくなるかもしれんね。
映画やドラマ、アニメとはまた違うリミックスな作品がどんどん出てくる。これもひとつの映像媒体といえるのだろうけども、うーむ、これをきちんと批評してくれる人がそろそろ出てきそうな予感。

音泉ラジオ

2007年1月16日 趣味
最近結構、音泉のラジオ聴いてる。漫画描いてる途中て結構作業的なので手は無意識に動くんだけど、頭の方が手持ち無沙汰(?)になったりするので。音楽聴いて気分を乗せてみたりもするのだけど、ストレス溜まってくるとたまにうるせー馬鹿て気分にもなる。するとネットラジオがなかなか効果的でダラダラ垂れ流して聴いてると面白い。
中でも「Simoun〜電波 DE リ・マージョン〜」とか「うたわれるものらじお」「週刊!アニたま金曜日」あたりはかなり好きになった。
シムーンのラジオは本編全然観てないしどういう内容のアニメなんかさっぱり知らんのだけど高橋理恵子さんのさりげなくブラックなボケがかなり面白い。上品な声質してんのに言うことはかなり辛辣なんだよなあwしかもさらっと言うからまた面白い。∀のディアナさましか知らんかったけどこのラジオで相当高橋さんのことが好きになった。
うたわれラジオは言わずものがな大ヒット中の人気番組なだけあって小山さんと柚木さんのバカップルトークがウレシ恥ずかし面白い。以外と柚木さんはいろいろ言われるのは苦手なんかな。尽くされるよりは尽くしたいタイプかねえ?
アニたま金曜日は先週の檜山さんゲストの回が相当笑えた。ていうか爆笑した。ラジオで爆笑とかはじめての体験だったのでやまけんすげーなーと思った。又吉のアホ過ぎるボケにやまけんがけたくそにツッコミ入れるのがいいんだよね。ここまでノリが突き抜けてるとクオリティ高い番組になんだなあ。

シムーンのラジオは終わっちゃってマジ残念。高橋さんもう一回二人でラジオやってくんねえかなあ…

12月13日の日記

2006年12月13日 趣味
誰か背景で脳内麻薬が発散される方法を開発してくんないかなあ…
最近の俺は何をしているのかといえば実は漫画を描いてたりする。同人じゃねえよ。投稿用のやつ。一作目は残念ながらオナヌー漫画になってしまったのである程度コツはつかめてきた感じがするので二作目は正統派なボクシング漫画を描こうと今から結構ヤル気になってる。持続すりゃいいけど。ああ、背景めんどくせー。死ぬほど描くのめんどくせー。なんだよパースて。なんだよ定規て。全部手描きじゃ駄目なのかよ。でもやんないとなあ。ああ、お父さんお母さんごめんなさい。働かない息子でごめんなさい。社会のゴミでごめんなさい。
ホプキンスが復帰すると実際に宣言してるっぽいけどやめどきを見誤ってなけりゃよいが…悲惨なKO負けとかは勘弁ですよ。
エロイ絵描きさんのエロイイラストがいっぱい張り巡らされてる画集。といっても18禁じゃないけどね。やたらフェチっててマジたまらん。原画を見ると結構迷い線があるので一枚一枚、相当試行錯誤やりながら描いてんだろうなというのが想像できる。まあ人体の関節とか肉付きとか、かなりリアル寄りでかつエロイプロポーションだからミリ単位で線を調節せんといかんかったのだろう。リアリズムを追いかけ過ぎると絵の完成度は素晴らしくなるんだろうが、かなり精神に負担がかかるから魂削って描ききろうと思わない限りはオススメできないよなあ。この人は文字通り魂削って描き続けた鬼才なわけだけども。
この素晴らしいイラストの数々を残した堀部氏は心不全で6月17日にお亡くなりになったらしい。マジ残念。聞いたときはかなりショックだったよ。ブライトさんもお亡くなりになるし、どーなってんだ最近。ほんと、こういうときには冥福をお祈りする意外何も出来んよなあ。欲を言えば、まだまだ描き続けて欲しかったよ。

12月7日の日記

2005年12月7日 趣味
そろそろまじめに絵を描かんとなあ。年齢的にも。ここ数ヶ月わき道にそれすぎてた気がする。

素直クール

2005年10月19日 趣味
なんでも、ツンデレ以外に素直クールだとかクーデレなどというジャンルが派生しつつあるらしい。まあジャンルというより既存の萌え属性のカテゴリー分けなんだろうけど。

クールだけど素直というか無口で純粋なタイプの萌えキャラを指すっぽい。セイバーとかコスモスとか榊さんとか、ああいうのかな?こういうのに属すタイプとしてはウィッチハンターロビンが好きかなあ俺。ああいう細い目つきってゾクゾクすんだよね。

多分これからもどんどん萌え属性はカテゴライズされて更なる細分化をされてくんだろうね。

5月19日の日記

2005年5月22日 趣味
二○展の絵に取り掛かった。いきなり最初に塗った色が抜けなくなってかなり死にたくなったけど上からモノトーン調に塗りたくってごまかした。ゼッソとモデリングペースト混ぜて下地を作った意味が全くなくて死にたくなったけど気にしない。最近は幾何学模様に憧れる俺はとにかく線を意識した絵を仕上げたいので、線の生きる絵が描きたいので一体どうすれば線が生きるのかと考えたら、つまり線である黒がもっとも生きる形はやっぱり白じゃないかと思い立ったので極力色を廃止した形で絵を仕上げたいと思ったけど色が抜けないので死にたくなった。俺の先生は抽象画を誇らしげにボクに見せてこのようになさいとおっしゃるが俺の力量でそんな生きた絵は絶対不可能性の公理に飲み込まれ折衷主義的夢幻泡影の彼方に飛ばされてしまうだけなので、要するに、無理!といいたいけどそれくらいやんないと駄目かもと思うのでウンコウンコーと叫びながら死にたくなる衝動を抑えつつ描いてるんだけどね。一方で最近はエロ可愛らしい萌え少女を描きたいというアンチノミーな衝動が僕を悩みさいなむのです。絵画命題とはそもそも一体なんなのかを考えると近代西洋のエピステーメーから勉強をはじめなきゃなのでますます死にたくなって沢近描くぞくそーとか思って萌え萌えに現実逃避的にフォトショップ操って描いてたりしますが誰にも見せる気がないせいか徐々に彩色が暗くなり俺の現在の暗黒精神を表象してるみたいで死にたくなった。先生がおっしゃるよう描いた場合、僕の線は生きるのだろうか?という危惧が存分にありますよくそう。あ、アタラクシアはまだか!?

僕の懺悔

2004年11月1日 趣味
正直なところ僕は自分の絵があまり好きでないかもしれないです。出展前はいつもギリギリで描いてるし、どう仕上げればいいのか皆目見当がつきませんし、自分の描きたいように描くべきだ、といわれてその通りに描くと、これは違う、描きなおしなさい、て言われる。結果的に入選は出来てるんですが、結局自分が何を描きたかったのかと問われると何も言えなくなってしまいます。別に主張が欲しいわけじゃないのだけど絵を描くこと自体を目的化してしまえるほど絵に執着があるかとなるとやっぱり自分の描き方が気に食わない以上、苦しいだけなのかもしれない。僕の絵は何もかもから逃げてしまいたい気持ちでいっぱいだと思います。僕は今までたくさんの幸福やら目の前の現実から逃避しつづけていました。ずっと受身でディフェンシブに生きてきたせいか、苦しいことに耐える能力は身につきましたけど何かを得たり、得るためにリスクをしょって立つことにものすごい抵抗感があります。悔しいんだけど僕はもう何もかもをあきらめてしまってるのかもしれません。何か嬉しいことがあってもああ、こんなもんかな。苦しくても、ああ、しょうがないよね、自業自得だし。ものすごくシニカルな視点から抜け出すことが出来ないのです。頑張ったことがないなら今頑張ればいいじゃないか、とも思うのですが、結局またしばらくすると何もかもから逃げ出したくなります。いろんな現実逃避の手段を考えます。最初は現実逃避だったはずの絵描きの作業からすら逃げ出したくなります。そしてどうでもいい媒体にまた自分を委託して、これがあるから僕は生きていける、などと逃げ口上を発見して自己完結してしまうのです。そのくせプライドだけは一丁前だから始末に終えないですよ。おまえは駄目なやつだな、て言われるとそんなことはない、て奮起します。30秒限定です。ほんとに駄目なやつだなと思いますよ。くそー

くそー

2004年2月27日 趣味
絵を描くとき入りすぎると駄目だ。何度も経験した。未だに悪い癖だと思う。傍観的な目を少しは残しとかないとすんごい汚くなる。厨房が必死に書きなぐった長編小説みたいな痛々しさがある。入りすぎるあまりこれが自分の本質なのかと疑いたくなるしそれが本質ならば絶望するしかない。それは嫌だし誰もが僕の絵を嫌いになるだろう。僕自身も嫌いになる。オマエごときが分かったつもりで何芸術家気取ってンノ?て言われた気がしたりする。そして萎縮してまたビクビク何におびえてるのかわかんない絵が出来る

考察

2004年2月21日 趣味
抽象画はとにかく不規則なので難しい。絵の完成形のひとつの到達点というのはまず、統一性を持たせる、という点にあると思う。つまり法則性をもたせること。目の大きいデフォルメを効かせた可愛い萌えキャラを描く場合、その周辺にいる人間達の中に一人だけ北斗の拳みたいなごつい萌えキャラが混じっていればそれは違和感が出るし、その世界の法則において目というものが大きくなければ人物そのものが成立しえない、ということになるわけで。

カクカクした線でもって人物を統一するなら中にひとつだけ丸っこいラインの人物が存在するとまた違和感が出てくる。

彩色についても同じことが言える。陰影について影の部分を青、明るい部分を赤、と決定した場合、その法則に従い色をおいていかなければ一部分だけここは緑で逝こう、なんてやってみたり、明るい部分は赤、と決めたにもかかわらず青をのせたりすると、とても不規則な絵になって統合性が取れなくなり、絵に違和感が出てくる。もちろんある一部分を目立たせるために意図的に法則から逸脱する色をのせることもあるのだけど、まるっきり別々の色合いでまとめていくとどうしてもまとまりのない絵になってきてしまう。
具象画で表現する場合、たくさんの色を使って塗り固めていく遣り方は多分失敗の元だろうと思う。(陰影をちゃんと把握出来るプロ並に上手い人は別だけど僕みたいなトー素には単一色をベースにまとめたほうが統一感が出るんじゃないかな)

で、抽象画、てのはいわゆるその不統一性というものでもってして絵を統合しなくてはいけないからまた難しいのだと思う。不規則であり、法則性がない、という状態の統一性を保たなければならないんではないかと。不規則な規則、てなんだよ、て感じなのだけどロジカルに抽象画を紐解いていけばそういうことになるんじゃないかと思った。でないとどうして、何でもありなはずの抽象表現にこんなにも差が出てきてしまうのかが感覚として分かってるはずなのに言葉に変換できないというのは悔しいので。

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