コマが多いと読者が読まない。
台詞が多いと読者が読まない。
だからコマは大きく。台詞は極力簡単に。
この言い回し、実をいえばあまり好きじゃない。(そうするよう心がけてはいるけど、もっと別の言い回しねーの?て思っちゃう)

それって要するに

読者に物語を読む力がないから、
読者に物語を楽しむ欲望がかけてるから、
読者の頭が悪いから、

もっと簡単で端的な言い回しに変えましょうね、てことで。
悪くいっちゃうと作り手が読み手を馬鹿にしてる、てことだ。
物語というのは本来、そういった方向性に進化していくべきじゃないと俺は思う。

漫画にせよ、小説にせよ、ドラマにせよ、そこに存在するはずの生の人間の情念がこもってないと、やっぱ嫌だな、て思う。そしてそれは自然主義文学的な、ある種の回りくどさや無駄だけどアクセントとして重要な描写、てのもときに重要になってきて、それがないと語れない、奇妙な高揚感が存在するのも確かで。
だって、今はやりの売れる要素だけ抽出してはいどうぞ、てやった物語、てだいたいこける。読み手はそういうこと感覚的にわかっるはずなんだ。馬鹿にすんじゃねーよ、てのが。
漫画的リアリズム、ゲーム的リアリズム、ていうメタ的なリアリズムが誕生しつつある昨今ではあるんだけど、やっぱり最終的に求められるのは人間力、つーかその辺のパワーじゃねえのかなあ、と。

まあね、こういったえらそーなことはまず読める漫画描いてからにしろや、て話なんだけど、あくまで俺の中のあまり顔に出さない根っこの部分がそういってるんだ、つーそういう話。売れればなんでもいいんだ、てのは100%そういうわけではないじゃない。それにそういうその場しのぎのメンタリティが業界を腐らせてきた事例は今まで何度となく企業失敗という形で我々は見せられてきたわけで。

だから俺は、ロマンのある作り手としての、押井監督や富野監督てのが好きなのだろうなあ。
「いつも通る道だからって、景色は同じじゃない。それだけじゃ、いけないのか」
この台詞、めちゃめちゃ好きです。
いったい何がいけなかったのか。
最初にそう思ってしまったのはあくまでも印象だ。
現時点で、憶測でどうのこうのいう話ではない。
ただ、ひたすら残念だ。

小松は気持ちと勇気が前面に押し出てるすばらしいボクサーだった。
今はただご冥福をお祈りします。

本当、今までお疲れさん・・・。
あっちでも世界目指して頑張ってください。
俺程度の人間でも一人で漫画描いてるわけじゃないのだとここ最近は気づかされる。
自己投資に費やした時間をこんなとこではき捨ててたまるかという気持ちはもちろんあるのだけれど、それ以上にこれまで一緒に頑張ってきた仲間たちとの絆をぶち壊しにしたくないという気持ちがあるわけだ。

前の仕事先のみんなとは少し家の距離が離れており、なかなか会って話す機会なんてないのだけど、それでもまたもう一度あの狂気じみた空間を共有した戦友同士、馬鹿騒ぎしたいもんだ。

俺はちゃんとここにいる、俺はまだ終わっちゃいない、俺はまだ頑張れる、死ぬまで頑張れるぞ、ていいたい。
俺程度でも、仕事をやめるとき、残念だといってくれた。漫画を描くのをやめるかもしれないといったとき、描けよ、描けるじゃん、やめんなよ、ていってくれた人がいた。だから今でも頑張れるという確信がある。
今でもなえたとき、いやいや頑張れよ、ていってくれる人がいる。それはとても力になるんだな。この歳でようやく気づけるというのも結構なさけないはなしなんだが。それは父や母についてもいえる。
スポーツ選手が何かを成し遂げたとき、すべての人に感謝したい、と感じる心はきっと本当のことだと思う。

俺はここからちゃんと自己の存在証明を発信し続けて生きたい。自分がちゃんと頑張ってんだという証を刻み続けて生きたい。それが今まで世話になってきた人たちに対する恩返しになるに違いないから。
なんだっていいから、描いて描いて描きまくろう。まだぜんぜんいけるはず。ああ5月間に合うかなあ・・・あれ。
いつまでもおっぱいをトップにしておくわけにも行かないのでとりあえずなんか書こう。

友人からおっぱいに駄目だしがあったのでそのうちリベンジするよ。
なんか若干重力に負けててぶるんぶるんゆれるくらいでけえおっぱい描くよ。
ちゃんと色の質感にも気をつけるよ。
30分で塗り終了とか手抜きなことしないよ。
パンツだかブルマだかわかんない意味不明は補足はしないよ。
今までおっぱい描くことのよさを知らなかったけどこの歳でついに喜びをしったよ。

でも今はネームが大事だからその後頑張るよ。

見てろよおっぱいめ。ふんが!








結局おっぱい日記になってしまった・・・orz
やべえ、おっぱい描くの楽しい。
俺は心の童貞を捨てた!童貞を捨てたぞ!!

つかそんなことやってる場合じゃなかった。
早くネームを描かないと・・・

うnん

2009年4月9日 お絵かき
初期は炉利顔だったのに話が進むにつれてだんだんイケメン化していった。

まあどうでもいいんですけどね。どうせ没だし!
乳首描いてたけどなんかこっぱずかしくなって消した。
俺の心はまだまだ童貞の精神を捨てきれずにいるようである。

一番したの画像は没ったネームの女の子ですよ。
お風呂入るシーンがあったんで風呂上りのしずかちゃんを妄想するような心持ちでもくもくと描いてしまった。
なんか巻けよ。
返事まだかよちくしょー!?とかやってるうちになんか漫画のネタが一本できたのでそれ描こう。一本に絞るから融通が利かなくなるんだ。いろんなとこに営業かけよう。それが一番近いはず。前没ったネームをリバイバルしたっていいじゃない。

担当さんにまだっすか!?て電話したら明日返事するらしいが、どこまで本当かわからんw編集のお仕事も大変だろうしなあ。夜中まで働くの当たり前みたいだし。忙しかったら俺のことなんぞ知らんがな、てなるのも当たり前やん。

しっかしバレロ糞つえーなー。あの距離から踏み込んでくるとか普通予想できねえよ。バレロって結構不思議な選手で、硬いイメージあるのに時々とんでもない超反応見せるよね。
普段はもっさりしてるレノックスルイスがここ一番で急に超スピードのパンチで打ち抜いたりするのに似てるのかも。緩急の使い分けがうまいのかな・・・。
マルケス兄貴との対決が見たいなあ。応援はマルケスだけど、勝つのはバレロのような気がする。
バトルコマンダーとは、俺が小学校5年生くらいのときにめっちゃはまってたゲームだ。
まだ生きてたので久々にやってみた。


どっぷりはまった・・・。今やっても神ゲーでした。ほぼいきかけましたサーセン(←時事ネタなんで今のうちにやっておきたかったんだ)


つか描けよおまえ・・・
やべーやべーやめなくちゃやめなくちゃ・・・てやりながら2日間どっぷりつかっちゃいましたよ。
ああ、死のうかなーて思いながら逃避することの悦びを味わっていたところ漫画友達から電話があってネームできねーから助けてクレよー、て切実な相談があった。ああ、この人はこんなに頑張ってんのに俺はなにやってんでしょーね。

そろそろスイッチ入れ替えよう・・・orz
おっしゃ、がんばろ。

メモ4

2009年4月3日 漫画製作
・俺の友人が情報のネットワーク化と同時にどんどん弱くなっていく紙媒体は斜陽産業でしかない、といっていた。
漫画もそうなのだと。
俺も、そうなんだろなー、て以前はそう思ってたんだが、そうでもないかもしれない。

というのも、漫画の情報処理速度は紙媒体の中でも飛びぬけて早いからだ。
アニメーションで観ると30分かかる物語が漫画だと早ければ5分で済む。
小説にいたってはもっと時間がかかる。
情報を迅速にお手軽に顧客に届ける、という点では漫画というジャンルが一番秀でてるのではないかと俺は思う。
だから、もっぱらストーリーのネタ集めも漫画が一番楽でお手軽だなあ。漫画描くのに漫画からネタ引っ張ってくるとか糞杉だろ、て反駁はよくわかりますよええ。でもリアルによる情報収集ならすでに労働で稼いでるからいいじゃんさあ!むがあ。

・俺にはSFとかファンタジーは向かないかもしれない。
というのは、やはり俺の精神の根底にあるニヒリズムというものが無視できないからだ。
空を飛ぶ女の子という状況に対する明確な説明がなければ脳が拒絶してしまう。それは奇跡や絶対性を信じられなくなった人間ゆえの葛藤なのか。でも、いらない葛藤だwコマ増えるだけで。
何か超常的なものが発生する際に、どうしても押井的、メタ的な視点が入ってこないと、だって嘘じゃん・・・てなってしまうのはもう仕方がないのだけど。ところがこういったメタ物語というのはえてして不人気なジャンルであるし、そもそもそんな入り組んだ話を作れるほど達者なロジックは持ち合わせちゃいない。つーかいい加減飽きた。


だからアンチニヒリズムとして結局成り立つジャンル、てなんだろ?て考えたときスポーツモノというものは結構強いなと。スポーツにおけるプチナショナリズム、プチイデオロギー的なものというのは、祭りの消失した現代において、非常に良いガス抜きになっているなという印象がある。
人間はどれだけ全体性が消失しようとも社会性を求める動物なので、「あえて」であろうと無駄であろうと、団結したいという欲望は消えないはずで。
もともと何の目的もない部分に「あえて」ルールを設けて戦争の代替品を用意するスポーツという行為は実はすごくニヒリズムに対して強いジャンルなのではないかなと。
仮想的に敵を用意して、それを撃退し、勝利を手にする。
本当によくできている。

どっかで、国際スポーツのときだけ愛国者になるあいつら、ていったいなんなの?wwwて感じの記事を読んだことあるのだけど、そんなときくらい○○人死ね!てやるのは悪かねーんじゃねえかなあと思う。

ああ、でも漫画はどーなんだろう・・・面白いかなあ。面白いの描きたいなあ。
いつも思うんだができた瞬間は最高傑作や~。
て思うんだが、単にそのときはテンションおかしいから冷静に見れないだけで、時間おいてから読み直すとだいたい絶望する。

毎回毎回、最高傑作な気がしてるのはそのときそのときで出せるものは惜しみなく出せてるからに違いないと思いたいものだ。
全部出せてるならその次、もっといいものができるに違いないからね。
毎回毎回成長しているはずなのだと自身に言い聞かせて、また次のプロット練るかのう。(没る前に先手で次の案を提出するという高等技術なのだ・・・!!いや嘘。今考えた)
ネームができた程度でいちいち燃え尽きてたらいつまでたっても作品あげられんことにいい加減気づいたからね!

女子総合格闘技漫画とかどうかなあ、とかひそかに思ってる。
やっぱ漫画は下手な鉄砲数打ちゃ当たる理論がベストだね。

おk

2009年3月30日 ボクシング
コット前より体が筋肉質になってたような気がする。
対マルガリート戦をにらんで体負けしないための肉体作りに励んでんのかなア?とかちょっと期待してみる。
パブリックさんはまだちょっとホプキンス戦のショックを引きずってる感が。イーグルアイでもえらい人がそういってました。

そういえば今日は昼休みに弁当食いながら2ちゃんねるの格闘技板見てたんだけど、
「ゲリバwwwwwwwwwwwwwwwwwww」
てスレ発見してなんか笑いをこらえるのに大変だった。
メシ喰ったら、急に便意をもようしてトイレに駆け込んだんだけど、ウンコしながら「ゲリバwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」てスレのことを思い出したらゲラゲラ笑い初めて実際出てるウンコもゲリでやばかった。
ゲリを出しながらゲリバwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwとかなんかもう耐えられなかった。

「ゲwwwwwwwwwwwwwwwリwwwwwwwwwwwwwwwwwwバwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwうはwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwわけわからんwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwちょwwwwおwwwwwwwwwwwwwkwwwwwwwwwwwwwwww」


非常に下品だがウンコネタで一人で爆笑とかなんという思春期だろうか。俺にもまだ少年の心が残っていたのかと感動した。
ネームやってたらK1あってんの忘れてた。
後半の前田選手の試合とボンヤスキーの試合だけ観れた。

前田はとてもいい選手だと思う。

澤屋敷みたいな攻撃範囲の狭いパンチャーでもないし
武蔵ほどの非力さも感じさせない。

パンチの見切りがすごくよく、ある程度ボディワークも併用しながら守れるところも強みだ。
ストレートパンチ中心の組み立ては体格の大きな選手にも、かなり機能するだろう。
カウンターを当てるセンスもあるし、自分からいやらしい手数を出す試合巧者な面もある。22歳とは思えない落ち着きぶりは天晴れとしかいいようがない。心臓もきっと強いのだろう。
なんといってもこれといった弱点がないところがすばらしい。こういう隙の少ない選手は往々にして長いスパンで活躍できるもので。前田もそのタイプであってほしいものだね。
どんどん伸びていってほしい。現時点ですでに日本人で相手になる選手はいないだろう。

だがこの選手はあまり人気が出ないだろうなという予感もある(笑)
まあそれくらいが十分だ。澤屋敷みたいにあまりにも過度な期待を受けてプレッシャーにつぶされてしまう選手もいるわけで。
正直いうと、詳しくは知らないボクサーなのだけど、ミニマム級の日本ランク一位の人だったらしい。
ボクシングという競技の性質上、リング上の事故はどうしても避けられないものだけれども。
その競技のファンからすればご冥福を祈ることくらいしかできないもので。うん・・・

ただね、そのボクサーがプライドと気高い心をリングに刻み続けた事実を周りの人たちはもっと称えてみてもいいんじゃないかな、とも思うんだわ。
ただ悲劇がのみが残るわけじゃない。
勇者の誇りは、ちゃんと残された人の心に刻まれてるはずなんだ。

辻昌建選手のご冥福をお祈りします。
もう仕事そっちのけで観戦してましたよ。今日ぐらい休日にしろよ馬鹿野郎とかちょっとだけ思った。
いやあ心臓に悪い決勝戦だったね。
ちょwおまwwwダルビッシュwwwwwwなにしてん?wwwwwみたいな。
9回裏追いつかれたときは本気で負けムードだっただけにその後の踏ん張りはたいしたものだったけれど。
しかし10回表、あの場面でイチローと勝負する韓国バッテリーの意図はいったいなんだったんだろうか?

・イチローをねじ伏せて勝つことに意味がある
・イチローをなめていた
・イチローを敬遠などしたら母国でたたかれる

これのどれかだと思うんだが真相は視聴者のご想像にお任せってことでいいのかもしれん。スポーツというのは観た人それぞれの解釈によるドラマがあって、それが面白いところだと思うんだ。
しかしイチロー魅せますなあ。あの絶不調は今日の大暴れを見せるためのお膳立てでしかなかったかのように見えるという。
役者やのう。
実際あの打席のイチローの粘りと林昌勇の意地のぶつかり合いは漫画のような、それすらも超越した緊張感が漂ってたね。
こういう試合を見せられるとやっぱスポーツアスリートってやべえなあ、て思う。


※どうやら韓国陣営は、一応勝負してみて状況しだいでは歩かせろ、て支持だったようだ。
だけどこの迷ったような中途半端な姿勢が負けにつながったのかもしれない。
ピッチャーて人種はプライドの塊なわけだからここ一番では勝負したい欲には勝てんのじゃないかのう。
日本勝ちましたな。
こりゃめでたい。
決勝は観客席がまばらな悪寒・・・!!

このまま是非二連覇を果たしてほしいところではあるのだけど、
正直WBC存続の危機なのでは?とか思ったりする。
なんでアメリカあんなに弱いん?

まあ野球は「運」とそのときのコンディションに左右される比重がほかのスポーツに比べてものすごく大きいわけだから、どこが勝ったからどこのほうが強い、弱い、て解釈は誤謬なんだけども。だからこそペナントレースというものがあるわけだし。
以前、ブログで日記を書くことは消費活動なので自分の作家性を磨耗させていく行為に等しい、ということを書いていた人がいたのだ、俺も気をつけよう、てなことを書いてた記憶があるんだが、すまんありゃ嘘だ、て気がしてきた。むしろ漫画を描くという行為からすればネタだし段階として必要な地盤作りのようなものではないかなという解釈に落ち着きつつある。スポーツでいうところのウォームアップ的、ロードワーク的なものではなかろうか。だからかけるものならもっと積極的に文章を練って、ぽんぽんぽんぽん思ったことは吐き出しておいたほうがいいのかもしれない。大事なシーンとかで、なんか適切な言葉を選択したいんだけどなんて書いたらよかったっけなー、いい単語がひねりだせねえ・・・てときに自身のブログ読み返してみたら意外とそれっぽいこと書いてたりとかしたりする。そりゃそうだ。俺自身がひねり出した言葉なのだからフィットするに決まっている。
いかん・・・シヴィライゼーション4が面白すぎていまいち漫画に手がついてない。
誰かに貸すかな。
いっそあげてしまったほうがいいかもしんない。

WBC駄目ですなー。
2ちゃんねるで誰かが
韓国:何が何でも日本に勝つ
日本:韓国に負けちゃおしまいだよな
という意識の違いがそのまま差に出てる、ていってた。
これは的を射た意見だなあと納得させられた。

いい加減、便所のねずみの糞にも劣るプライドの上から目線をやめて韓国をライバルだと認めるべきだと思うわ。
日本人はライバル意識を持つことを潜在的に恥だと思ってる人が多い気がすんだよね。その割にいっちょ前に縄張り根性だけはあるという。典型的な内弁慶気質なんだろうね。スポーツ全般において日本のアウェイでの弱さは異常。
もっとがつがついかんとあかんわ。
ちょっと補足すると、つまりクラナドには3種類のメタ世界が存在することになる。

1つ目が智也と渚が出会って、渚が死ぬ世界。(少女が見ている夢?)
2つ目が智也が街とリンクを果たした幻想世界。(智也が見ている夢のようなもの)
3つ目が幻想世界の少女が作り出した代替された世界。

渚が死に、汐も死んだ世界を後悔し、拒絶した智也は幻想世界にいる少女を救うという使命も放棄したわけで。そこに焦点を置くと物語りはバッドエンドということになる。
リセットオチというのとは違い、クラナドという物語は時系列どおりに展開されていき収束するわけだ。
ここら辺にゲーム的リアリズムってのが入ってくんだろうね。

果たして幻想世界の少女の見ている夢が智也のいる世界だったのか、智也が観ている夢が幻想世界の少女だったのかは、各々のプレイヤーの解釈にゆだねられるわけだが。
こうして考えると結構オサレなメタフィクションだったのだね。
胡蝶の夢。
アニメ版のクラナドの最終回観た。
ゲームで一回クリアしてたためアニメを全部追いかける気にもなれなかったので、最初らへんと最終回だけ観た。多分、俺がきちんとアニメ版を観れなかった最大の理由は智也の性格が気に入らなかったからなんだろう。

ONEのころから麻枝さんのゲームやってきた身としてはあまりにも一つ一つの動作が大げさで不自然に思えた。なんか違う・・・。前もこんなこと書いた気がするけどなんか違うわやっぱ。
鍵ゲーの主人公、てのはなあ・・・もっとこう、シュールでニヒリスティックなやつなんだよ。あんなに暑苦しくねーんだよ・・・もっと諦観してんですよ。
いってる台詞は一緒にせよ、本質的には無感情で、言葉に体温を感じない薄っぺらい人格してないと、クラナドの本質は伝えられんかったんじゃないかなあと思う。

シュールな絵柄に、虚無的なサウンド、キャラクターたちの奇怪で突拍子のない台詞回しから唐突に訪れる絶望へのダイブ、そしてとってつけたような奇跡の絵空事。
それはハッピーエンドに見せかけた虚構の物語。
そんな諦念の物語がなぜか奇妙なカタルシスを放つ。
それが鍵ゲー。そうでなくちゃ鍵ゲーは鍵ゲーとして成立し得ない。
ONEからこっち、毎作毎作、徐々にセカイと社会の接点を生み出すようには作り上げられつつあっても、本質としての「いじけ」のようなものはなくなってはいなかったのが原作のクラナドだったと思うんだ。


智也は結局、娘を救うこともできず幻想世界に亡命するわけなんだけど、その世界も現実とリンクしてて女の子(娘)=汐=街を死なせてしまいそうになる。
女の子は智也を救うため現実世界に帰還させ、自身だけがそこに居残ることになる。
そして智也は、女の子によって代替された渚の死なないオルタナティブワールドに帰還できたわけなんだけども、それはつまり、智也が幻想世界に二度とアクセスできなくなったことを示す。

だから幻想世界に取り残された本当の悲惨な未来における、汐ちゃんは一人幻想世界取り残されたまま、という話がクラナドという物語なわけだ。
渚(2号)も汐(2号)も、街と切り離されて悲劇に見舞われることなく生きていけるなんてすごいですね。奇跡すぐる。


そしてなんというBADEND。


いやもうね、街は一人孤独に死にました。そっから先どうすんの?つーすげえアイロニーたっぷりの物語なんすよこれ。
ああしかし、アニメ版の智也のなんとも幸せそうなこと。そういう意味ではアニメ版クラナドは原作超えてんのかもしれない。原作はもっといろいろとね、遠慮してたと思うわ。自分の幸せの傍らに本物の娘の屍が横たわってんだと思ったらそんなにはっちゃけられんよ普通はさ。

人間てのはたとえそれが嘘だとしても代替物があれば満足できちゃう生き物なんだろう。それは肯定できるものでも否定しうるものでもなく。

< 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 >

 

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索