結局全ての出来事について客観を得ることなどは不可能であって一度自分というフィルターを通してからしか出来上がらないのがリアリズムという感覚だとするなら最初っから独善でアレ、
ということなのかもしれない。
リアリズムなんて無視していいんだ、
現実的であること、とは
全て僕の見た世界、それだけなのだから。
僕は他者になりえないし、
他者は僕にはなりえない。
そう考えたらかなり気が楽になった。
コミュニケーションという奴をあまり気にしなくて済むようになる感じ方だからなあ。
生きることそれ自体がどんなに気張ろうがドグマチックであってリアリズムなんかじゃあないわけだ。
全てを包括する必要なんてない。

ネオ麦茶

2003年4月28日 エッセイ
無駄にテンション高い人は苦手だ。
無駄に冷静キャラ売りにしてる人もどーも。
かといって俗物主義に染まる人もなんかヤなので
こうなったら四方八方に八つ当たりしまくろうかな、とか思ってる。
自分を駄目な奴だと幾ら嘆いてもしょうがなし。
内に込める怨念のたけを世界に向けて発信できた
ならどのくらいかラクになれるかもしれない。
そしてその影響力とはいかほどのものかと。
まあたいした恨みつらみでないのなら大して人も迷惑ではないだろう。
その怨念が大きければ大きいほど僕という
不確かな存在も確認できるわけで。
まあ特定の人間に迷惑をかけるでなく不特定多数
の人間に八つ当たりですから、別に悪いことじゃあない。
怒りなんて外に向けるかうちに向けるかしかないんだから。悪意も。

申し訳ない

2003年4月15日 エッセイ
これはあたりまえのことなんだけど、
父も母も僕のことを息子としてみてくれているわけです。
息子として愛してくれてるわけです。
息子というロジックで好いてくれてるわけです。
もっと言えば
息子と呼ばれる記号として僕の世話を色々やってくれるわけです。
息子でなかった場合は死のうが生きようが知ったこっちゃないわけです。

そう考えると僕という存在そのものを認めてくれてるわけではないのだなあ、と分かるのでちょこっとばかり切なくなる。

僕がどんなに堕落しようとやばいことをやらかそうとあの人らは愛してくれるわけなのだろうけど、
そりゃね、息子だから。
でも息子じゃなかったらアホだカスだといわれるのだろう。
いやそれ以前に認知されないのだろうけど。

僕という人間が好きだから愛してくれてるわけじゃなくて
僕という存在が息子だからしょうがなく愛してくれるだけで、
どこまでも出来そこないな息子に育ってホントに
申し訳ないと思う。
なんでこう違和感があるのか分からない。
僕が変わったのか奴が変わってしまったのか。
奴は余裕のある顔でこんなことを言う。
「だってこれが大人の生き方でしょ」
僕は多分まだ全然大人になれてないので分からない。
それがホントに大人であることなのかは分からない。
ただこれだけいえるのは一年前一緒に笑い合った奴はもう
そこには存在してなくて、どうやら大人のやり方と
呼ばれているらしい処世術を身に付けた奴は
より上手に世の中を渡り歩いていくのだろうということで。
あの頃の奴はもう帰ってくることはなくてあの頃の僕もいつの間にか消えてなくなってたのかもしれない。
そしてまた別々の生き方とやらを見つけた僕達は、違う道筋の向こう側に見える誰かとまた…
そいつらは多分昔の僕の姿を知ることもなく、君ってこんな奴だよね、と一つのキャラ設定を僕に要求する。
そしてそんなキャラを演じながらまたあした、そのあしたとゆったり毎日過ごすのかなあ。
そこには僕という人間は存在してるのかどうか。
ていうかそもそもが

くたびれた

2003年3月18日 エッセイ
なんか違和感あるなあ、とか思ってたら
実はジャンルがポエムだったのだなと気づく。
あれは若さゆえの過ちというかただのネタだった
ので綺麗な詩を書いてる人に今更なガら申し訳ない。
詩なんて作る気分は毛頭なかったりします。
少ない脳みそ絞り上げてなんかグダグダ
愚痴ってるだけなんだよなあ。
まあ僕に個性やオリジナリティなんて何にもないんすけどね。(出た!お得意の自虐逃げ)
回りに八つ当たりする根性もないので
怒りは全て自己に向かい、それは疲れるので
あんま人とはしゃべりたくない今日この頃。
俺みたいな奴がいつかテメエら全員死にやがれと
ばかりに発狂するのでしょう。
その前に空爆かなんかでミンチになる姿を想像
しながら今日もシコシコ。

改竄

2003年3月12日 エッセイ
思い出にはなりたくないなあと思う。
大人になってから、オヤジになってから
そういやあんな奴いたっけ、て言われたくない。
あいつ今頃なにやってんのかなあ、とか言われたくない。
思い出、て美化されるものだし歪められた価値観でもあると思う。
オマエラ俺のこと忘れないでくれよ。
俺はここにいるよ、て言いたい。
しかし、皆違う道を選びそれぞれの人生を歩んでいく、
という定番なオチな待ってるわけだけど、待ってくれよ。
おいてかないでくれよ、てのが今の僕の心境です。
既にスタートラインで出遅れちまったもんだから
大分ひねくれてしまったわけですね。
そして何年後か会ったときに凄く違和感を感じる
僕がいるわけで、変わってしまったのは僕なのか
奴なのかは分からないんだけど、
それが凄く辛いな、と感じてしまうから、
思い出は怖い。
僕はコミュニケーション不全なんかなあ…
思考がガキのまんまストップしてんのかな。
ときどき、人間が50年くらいしか
生きられないせいで、
みんな忙しそうにやってんの
かもしんないと思ったり。
例えば50歳くらいまでエロチックな肉体を
保持できるとしたら、若い感性を所有できるとしたら、
もう少し余裕もってられるよなあ…
余裕過ぎで堕落するかもしんないけど。
寿命が200年あるとしたら、
物の見方だって10年先、50年先を
見通して考えられるかもしれない。
ボクが死んだ10年後に世界が滅ぶとしたら、
ボクは別にいいや、とか思ってしまうのだろう。
でももし200歳生きられるならその危機を回避
しようと必死になるのだろうな。
200年生きてみたいもんだ。
本来、組織は手段であったはずなのにそれ
自体が目的化してしまったのは変な話だ
死にたい、鬱だ、とか落ち込んでる人がいたとして、それじゃ駄目だよ。
頑張れよ、ていうのはまずい、てことにようやく気がついたというか。
実際自分が落ち込んだときにそう言われるのは果てしなく嫌なことだし、
基本的に自殺願望もってる、人、
てのは一生そういう感性を持ち合わせてるだけだし、
これじゃ駄目だ、頑張んなきゃ、
で頑張れる人もいれば、やっぱいいや、
で済ませちゃう駄目な奴もいる。(ボクみたいな
駄目な奴にはいくら頑張れ、言っても一緒だし、
落ち込んでる人はひたすら落ち込んでりゃいいんじゃないかと思う。
そうすっと、いつか落ち込むことに飽きてくるから
勝手に頑張れて、
頑張るのに飽きてくるとまた落ち込む。
こういうサイクルで人は回ってんだろう。
頑張る奴はほっといても頑張るし、
頑張れない人はほっといたら死んじゃうんだけど・・・それじゃ駄目やん。

まあ死んじゃっても、そのときはそのときなんだろう。
そういうときにその人のことをホントに好きになってやったの
なら本気で止めればいいし。
ホントに死にたがってるのなら一緒に死んでやる
のがサイコーなんじゃないかな。
北野武のHANABIのメッセージ性はそこにあると思うので。
まあボクは超負け犬なので人生を下りる度胸さえありやしませんが。
純粋であればあるほど人を傷つけることもあり、
純粋すぎるがあまりの過ちなんてこともあり、
純粋無垢に世界平和なんて祈ってみても
やらなきゃいけない問題は山積みなわけだし
オマエラ何喰って生きてるのか分かっていってんだろうな?生き物の屍の上に立って自己マンに浸ってんじゃねーよ、というツッコミもあるわけだから
今更命の尊さがどーのて問題も偽善者たっぷりな
話だと思う。隣の人ガ死んだからと言って
人はいづれ死ぬんだね・・・なんてナーバスになるほど綺麗な心の持ち主なんてそうはいないくせに
世界情勢の中でこんなに人ガ死にました、と聞けば
怒り狂って正義の鉄槌を下したりもするのも人間であり、正義の鉄槌のおかげでまたたくさん人ガ
死ぬのはまあ別にいいんだろうね。えらい人たちに
とっちゃ。国が存続できるかどうかのレベルでしか
ないんだ。何が言いたいのかと言うと純粋であるということはストーカー的な要素やカルト宗教的な
要素もはらんでるわけだからそれはある意味おぞましさ、でもあるわけでして、じゃあテキトーなとこでウソついて世の中のことごまかしちゃえばいいのよ、てのも許せないので頭が割れそうになったりもする。こういう話も個人レベルでいろいろ恨みつらみがあるから思ったりもするのでしょうよ。
だからシャアの言ってることの結論は富野監督
なりの結論でもあるのは分かる話。
でもアムロに救ってもらいたいから贈り物なんて
やっちゃったり。
タイソンの目、好きだな。
鋭くてホントに野獣みたいな感じなんだけど
どことなく哀愁を感じてしまう

右向け右

2002年8月13日 エッセイ
なんで小国家が大国に歯向かうと
悪役にされてしまうのだろう?
人数が多いほうが正義なんだそうだ。
すごいよな。

一人で?

2002年7月31日 エッセイ
この温度差はいったいなんなのだろう?
俺はあそこまで逝きたいのだと意気込んでいるのに
そうか、でも俺らはここまでで良いよ、
つ〜か一人で暴走してんじゃねえ、
逝くんなら一人で逝ってろ、
みたいな感覚。
おまえが先に誘っといてその程度の覚悟かよ?
と突っ込んだこともあるけど
ああその程度と思ってもらってかまわんよ、
といわれたときの疎外感はなんとも嫌だったことを
覚えてる。
ああ〜糞、結局そこまでかおまえらは。

俺は。

ようやく親父に勝てたと思ったらまた先送りか。
根性ねえなあ…

2002年7月17日 エッセイ
人はとりあえずストレス解放の
為には仮想敵、というものを
想定してかなきゃ生きてけない生物
だと思うので誰だってムカツク相手は
絶対にいるはずだ。

俺は高3の頃くらいまではみんな幸せに
なれたらいいなあ…
なんてかわいい夢をみてたものだが
ネガティブな思想の方がどうやら
性にあってたらしいと気がついたときからは
仮想敵を見つけ出しこれを叩くことで自尊心
を保ってきた。
ただ割と嘘顔かますのは慣れてるので
敵意剥き出しで人と接すことは避けてこられた。
だから脳内では何回も頭を打ち抜いたり
してやってたのは言うまでもないのだが。

ただ、俺にとっての仮想敵はしょっちゅう
変わる。
そもそも飽きっぽいし
ホントのとこ言えば誰に文句いえばいいのかが
分からん。そのときの気分で一部の嫌いな
方々に罵声を浴びせたとこですぐ虚しくなる
しめんどくさくなる。
結局のとこむかつきの矛先は自分に向いたりして
自閉に向かって一直線。

まあそんなこんなで結局引くか押すか
の二択だけしか選択肢は最初からないわけなんだけど
俺は意気地なしだからまた仮想敵を探そうと躍起になってまた自閉に陥る。

意気地なし、だが男でありたいという
願望は大いにあるので
夢はまだ捨てんぞ、と覚悟を日記に書くこと事態が
また自己嫌悪の要素につながるんだけどな〜

オヤジ

2002年2月18日 エッセイ
親父はいい奴だ。

いつだったか、
親父の手伝いで床掃除やってたことが
あったんだけど
こんなことでいいんかなあ、
曲がりなりにも一つの会社の社長が
床掃除だよ。
親父に言わせると社員に任せてたら
ワックスのかけ方が下手すぎてよけい汚くなるとか。

なるほど、まあへたくそだった。
てことなので二人で夜中も使って
毎日せっせと頑張った。

お客さんのいるときまで
社長が床掃除ガンバッテルわけだ。
威厳ねえな〜

あるとき親父の足が床拭き用の洗剤の
缶に当たって缶がぶっ倒れちゃったんだけど
親父はお客さんにああ〜スイマセンスイマセン
と謝りながらタオルで床にこぼれた洗剤
をふき取ってた。
そのとき社員の皆さんが何事もなかったかのように
親父を手伝う気配もなかったのは
ちょっと悲しかった。

基地外

2001年6月12日 エッセイ
何の努力もしないのに、

世の中が駄目だから・・・
なんて
諦め口調なセリフは
吐きたくない。

今自分のやれることを
少しずつでもやっていこう
と思う。

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