やっぱ百舌谷さんおもしれーなあ・・・。
こう、心にがつんとくるわ。
すげえ。すげえわ。
もうすぐラストなんかなあ。ううn・・・

つかアフタヌーンおもしれえなあやっぱ。
俺程度の人間でも一人で漫画描いてるわけじゃないのだとここ最近は気づかされる。
自己投資に費やした時間をこんなとこではき捨ててたまるかという気持ちはもちろんあるのだけれど、それ以上にこれまで一緒に頑張ってきた仲間たちとの絆をぶち壊しにしたくないという気持ちがあるわけだ。

前の仕事先のみんなとは少し家の距離が離れており、なかなか会って話す機会なんてないのだけど、それでもまたもう一度あの狂気じみた空間を共有した戦友同士、馬鹿騒ぎしたいもんだ。

俺はちゃんとここにいる、俺はまだ終わっちゃいない、俺はまだ頑張れる、死ぬまで頑張れるぞ、ていいたい。
俺程度でも、仕事をやめるとき、残念だといってくれた。漫画を描くのをやめるかもしれないといったとき、描けよ、描けるじゃん、やめんなよ、ていってくれた人がいた。だから今でも頑張れるという確信がある。
今でもなえたとき、いやいや頑張れよ、ていってくれる人がいる。それはとても力になるんだな。この歳でようやく気づけるというのも結構なさけないはなしなんだが。それは父や母についてもいえる。
スポーツ選手が何かを成し遂げたとき、すべての人に感謝したい、と感じる心はきっと本当のことだと思う。

俺はここからちゃんと自己の存在証明を発信し続けて生きたい。自分がちゃんと頑張ってんだという証を刻み続けて生きたい。それが今まで世話になってきた人たちに対する恩返しになるに違いないから。
なんだっていいから、描いて描いて描きまくろう。まだぜんぜんいけるはず。ああ5月間に合うかなあ・・・あれ。
いつまでもおっぱいをトップにしておくわけにも行かないのでとりあえずなんか書こう。

友人からおっぱいに駄目だしがあったのでそのうちリベンジするよ。
なんか若干重力に負けててぶるんぶるんゆれるくらいでけえおっぱい描くよ。
ちゃんと色の質感にも気をつけるよ。
30分で塗り終了とか手抜きなことしないよ。
パンツだかブルマだかわかんない意味不明は補足はしないよ。
今までおっぱい描くことのよさを知らなかったけどこの歳でついに喜びをしったよ。

でも今はネームが大事だからその後頑張るよ。

見てろよおっぱいめ。ふんが!








結局おっぱい日記になってしまった・・・orz
ちょっと補足すると、つまりクラナドには3種類のメタ世界が存在することになる。

1つ目が智也と渚が出会って、渚が死ぬ世界。(少女が見ている夢?)
2つ目が智也が街とリンクを果たした幻想世界。(智也が見ている夢のようなもの)
3つ目が幻想世界の少女が作り出した代替された世界。

渚が死に、汐も死んだ世界を後悔し、拒絶した智也は幻想世界にいる少女を救うという使命も放棄したわけで。そこに焦点を置くと物語りはバッドエンドということになる。
リセットオチというのとは違い、クラナドという物語は時系列どおりに展開されていき収束するわけだ。
ここら辺にゲーム的リアリズムってのが入ってくんだろうね。

果たして幻想世界の少女の見ている夢が智也のいる世界だったのか、智也が観ている夢が幻想世界の少女だったのかは、各々のプレイヤーの解釈にゆだねられるわけだが。
こうして考えると結構オサレなメタフィクションだったのだね。
胡蝶の夢。
アニメ版のクラナドの最終回観た。
ゲームで一回クリアしてたためアニメを全部追いかける気にもなれなかったので、最初らへんと最終回だけ観た。多分、俺がきちんとアニメ版を観れなかった最大の理由は智也の性格が気に入らなかったからなんだろう。

ONEのころから麻枝さんのゲームやってきた身としてはあまりにも一つ一つの動作が大げさで不自然に思えた。なんか違う・・・。前もこんなこと書いた気がするけどなんか違うわやっぱ。
鍵ゲーの主人公、てのはなあ・・・もっとこう、シュールでニヒリスティックなやつなんだよ。あんなに暑苦しくねーんだよ・・・もっと諦観してんですよ。
いってる台詞は一緒にせよ、本質的には無感情で、言葉に体温を感じない薄っぺらい人格してないと、クラナドの本質は伝えられんかったんじゃないかなあと思う。

シュールな絵柄に、虚無的なサウンド、キャラクターたちの奇怪で突拍子のない台詞回しから唐突に訪れる絶望へのダイブ、そしてとってつけたような奇跡の絵空事。
それはハッピーエンドに見せかけた虚構の物語。
そんな諦念の物語がなぜか奇妙なカタルシスを放つ。
それが鍵ゲー。そうでなくちゃ鍵ゲーは鍵ゲーとして成立し得ない。
ONEからこっち、毎作毎作、徐々にセカイと社会の接点を生み出すようには作り上げられつつあっても、本質としての「いじけ」のようなものはなくなってはいなかったのが原作のクラナドだったと思うんだ。


智也は結局、娘を救うこともできず幻想世界に亡命するわけなんだけど、その世界も現実とリンクしてて女の子(娘)=汐=街を死なせてしまいそうになる。
女の子は智也を救うため現実世界に帰還させ、自身だけがそこに居残ることになる。
そして智也は、女の子によって代替された渚の死なないオルタナティブワールドに帰還できたわけなんだけども、それはつまり、智也が幻想世界に二度とアクセスできなくなったことを示す。

だから幻想世界に取り残された本当の悲惨な未来における、汐ちゃんは一人幻想世界取り残されたまま、という話がクラナドという物語なわけだ。
渚(2号)も汐(2号)も、街と切り離されて悲劇に見舞われることなく生きていけるなんてすごいですね。奇跡すぐる。


そしてなんというBADEND。


いやもうね、街は一人孤独に死にました。そっから先どうすんの?つーすげえアイロニーたっぷりの物語なんすよこれ。
ああしかし、アニメ版の智也のなんとも幸せそうなこと。そういう意味ではアニメ版クラナドは原作超えてんのかもしれない。原作はもっといろいろとね、遠慮してたと思うわ。自分の幸せの傍らに本物の娘の屍が横たわってんだと思ったらそんなにはっちゃけられんよ普通はさ。

人間てのはたとえそれが嘘だとしても代替物があれば満足できちゃう生き物なんだろう。それは肯定できるものでも否定しうるものでもなく。
RINの4巻、百舌谷さん逆上するの1巻2巻、イエスタデイをうたっての6巻を読んだ。
なんか久しぶりにがっつり漫画読んだな俺。
描くほうに回ると読まなくなるっていうけど確かにそのとおりかも。
でもすげー面白かった。もっと漫画読みたいわ。

新井英樹の描く漫画には異様な疾走感がある。
RINという作品の主人公は新井英樹のスパーク気味の脳みそを作中に光臨させるためのアバターになっているのだろうね。
それほど相性のいいコンビの駆け抜けるようなサクセスストーリーがここで頓挫(?)してしまうのはかなり残念な気もする。
新井先生本人としてはRINでいいたいことは描ききったのかもしれないのだけど・・・
でもなあ、あれほどのスピード描写(ボクシングだけに限らずだけど)が描ける漫画家て新井英樹だけだと思うんだよねえ。
うーん、続きが読みたい。

百舌谷さんは今月のアフタヌーンで初めて読んだんだけど、篠房六郎もとうとう来たか。
ツンデレという単語を逆手にとって読者の予想の斜め上を平気で滑走していく。それでいて思春期の人間が一度は考えるであろう不条理な孤独感への深いアプローチもがっちり入れてくる。しかも笑える。
昔から好きな作家さんだったけど、ついに覚醒した感が。俺もこんな漫画描きてえなあ。
キャラの主線の入れ方とかは参考にしたい。
やっぱ主線は荒くてぶっといのに限るぜ。
これからの展開がどうなるのか分からないんだけど、もっといろいろごちゃごちゃしたわけわかんない話になっていってくれることを期待してる。

イエスタデイはアレだ。相変わらずgdgdやってんな。でもいいんだ。そういう漫画だから・・・
榀子先生結婚してください。
アシの仕事やめてから少し時間にゆとりもてたのでいろいろと観たかったのを観た。
あくまでこの時期に俺が観ていたもののメモみたいなもん。

・MISHIMA
文字通り三島由紀夫を題材にした作品。
三島由紀夫の作家性、虚構と現実に対するアプローチを見事に描写しきった傑作だった。監督はタクシードライバー(これまた傑作)の脚本なども手がけたポールシュレイダー氏。
ラストの三島の切なくも滑稽な叫びそのものが、実は三島文学の集大成ともいえるのだということを知らされた。現実であり文学、文学として必然の収束。
これ一本見るだけで三島文学とはなんたるかの骨格は把握できるのでは。
近代日本文学の流れを知りたい人にはかなりオススメかもしらん。
つか、マジすげー完成度。三島役の人の顔面は三島に似てないけどもw

・東方儚月抄
アクションシーンの絵とコマワリが微妙すぐる。
ZUN氏原作なんだが、かもし出される百合臭は拭えず。
まあ山なしオチなし意味なし系のお話って流行なんだろうけども。
現在のオタク界隈のスタンダードって百合とヤンデレなんすかね?
おじさん追いつけてないっす><;
らきすたや東方系のほげーとした思考停止感は嫌いじゃないよ。
香霖堂の単行本化はまだですかね?

・24シーズン6
まだ5巻まで。いい加減ネタを出し尽くした感があるけど、相変わらず面白いのはジャックというキャラクターの魅力によるところが大きい。
間髪いれず怒鳴り散らす迫力といったらもうw
キーファーは銃の構え方ががかっこいいよね。

・それでも町は廻っている4巻
エビちゃん可愛い。

・3月号のアフタヌーン
百舌谷さん面白かった。真のドMになりたい、てあんたw
でも理屈も心情もよく分かる。かなりシンパシーを感じてる時点でまずいぜ俺・・・

・バガボンド29巻
井上先生はたまに自問自答が始まると厳しいことになってる気がする。このクセ、スラムダンクの頃からずっとだよね・・・。そういうとこは板垣先生の方がシンプルで分かりやすいかなあとか思ったりする。

・太閤立志伝5
面白かった。かなり簡単。なんか戦国時代好きになってきた。江戸幕府が出来るまでの流れと、明治維新から現代までの流れを詳しく知りたいなあ、とか思った。確実にセンスが爺化の一歩を踏み出していると実感。
信長と秀吉のエンディングの掛け合いには感動した。
「猿。草履を持て!」「ははっ!」

・空の境界 「俯瞰風景」「殺人考察(前)」
タイプムーン作品は、いわゆる中二病の先駆けとして今となっては失笑のネタに非常に使われ安いみたいだ。
これはオタクのメンタリティが次のステージに以降したからこうなったというわけではなく、今現在スタンダード(?)といっていいものか微妙な、声の大きい人たちが殺戮系の話をオミットしたがっている部分が大きいと思われる。
たとえば秋葉事件などがおきてから弾圧の強化が顕著になっている。
中二という便利なジャーゴンで遠ざけてしまうのは、オタクの一般の弾圧に対する防御本能かなあと。
とある批評家は決断主義とかなんとか言っちゃってるけど、依然として飽和状態なのはなんも変わってねえなあ。
東方はどう説明すんだろ?て。結構局所的な情報でぐるぐる引っ掻き回されるよなあ。依然としてテレビの影響力は強い。今のところはまだまだ東のロジックは有効みたいだ。

話はそれたが、なんとも空の境界が「痛いなあ」て無意識に感じちゃうことの説明を書いてみたということで自身を納得させる。
式とコクトーの会話は作家自身の自問自答を見ているようでなんか笑った。
エヴァのキャラクターのみんなが庵野自身、に近いものを感じる。
いやあ、でも、自己愛って大切だわ。式カワユス。
1998年という年代を象徴する1作であることには違いない。
エヴァと泣きゲー、セカイ系のちょうどボーダーラインにたってる作品。
きのこイズム、てのはこの頃から徐々に徐々に世界を侵食してたんだろうなあw

後、背景美術とか単純なアニメとしての出来も抜群に素晴らしかった。観て決して損はないはず。

・ニコニコ動画について思うこと
流行る動画の幅が固定化されてきてることに一抹の不安を感じる。もっとカオスモスで挑戦的であってほしいなあと。俺がやれって?うん、漫画家になれなかったらなんかいろいろ作ってみたいと思います・・・。

・作品について
会話において、相手のしゃべった言葉の意図の裏を読みすぎるのはよくない。
それはただの人間不信。何もプラスの状況は生まない。
相手の言葉を信じる強さがないのは、自分のことを信じてないからで、それでは作品の軸もぶれて、いい作品が上がらない。
「人間が困難に立ち向かう時、恐怖を抱くのは信頼が欠如しているからだ。私は私を信じる」て偉大なるモハメドアリさんがウィキペディアでいってた。

・シヴィライゼーション4
非常に面白いんだけど操作性に問題あり。
海外のキャラクター絵というのは醜悪な表情の描きかたがとても上手だね。
ニコ動の実況配信が非常に面白かった。爆笑したし、演出が素晴らしかった。こういう動画はもっともっと流行ればいいなと思う。
ああ、なんかこう、人類の歴史、て素晴らしいなあ。

・とある魔術の禁書目録(アニメ)
こいつはくせー!中二の匂いがプンプン漂ってやがるぜー!!てくらい中二全開アニメ。いや嫌いじゃないんだけどね。中二。
俺の友人がとらドラを観て、みのりんの「私、普段は明るく振舞ってる女だけど、実はシリアスな裏側ももってるんだよ」的な雰囲気がたまらなくウザくて大好きだ、とかマゾい変な楽しみ方してたが、それに近いものがあるのかもしれん。

・青春少年マガジン1978~1983
感動した。こんな覚悟俺にあんのかと問われると即答は出来ないけど近いものは感じる。上手く、壮絶にやっていきてえなあ。


ああ、もっといろいろ読んだりプレイしたり観たりしたいなあ。何故時間は有限なのだろう・・・
やべえ、これ糞おもしれー。
ノリとか、テンポとかいろいろおかしすぎる。
なんでその場面でそういうBGM流すんだwwてのがあったり、
キャラ同士の掛け合いの妙な間の取り方が異様に気持ちいい。
それから、2Dに近い感じの綺麗な3D背景のカメラワークもやたら挑戦的で好感がもてる。
しかもそれがきちんと作品の雰囲気と合致してるからまた素晴らしい。

これはいい作品を見つけられたもんだなあ。紹介してくれた友人に感謝したい。
こういう、予想だにしてなかった新しい試みのある作品てのを観ると元気が出てくるなあ。
サミィ可愛いなあ。ちょっとくたびれた感じが好みだ。
なんかたらねえ。なにかがねー。
何が不調だというのだ!?と思ってたら
多分富野分だ。

富野由悠季だ。
監督、次回作まだですか?
もうなんでもいいから早いとこ新作みたいっす。

我慢できなくて衝動的に劇場版ガンダムのDVD買っちゃったよ。
なんかブルーレイ版とかいうのがあるのね今。
どうしようか、逆シャアのDVDもってんだけど・・・
ためしにF91のブルーレイでも買ってみるかなあ。
なんか気づいたらルルーシュが亀田一家とかブッシュ大統領のモノマネやってたので糞吹いた(アナル的な意味で)。

そういやルルーシュ生存説とかそういうのもあるらしくて読んでみたら意外と説得力あってそれもありかもなーとか思った。
というか視聴者に対してまでもう一個メタトリック的な策を労してるほうがルルーシュらしい、ちゃらしい気もすんだよ。
24話と25話だけ観た僕の感想に過ぎませんが。

違和感

2007年11月24日 アニメ・マンガ
京アニ版のCLANNADとかAirやKANONを見てて感じることは他者性の広がりだ。

麻枝作品のone→KANON→Air→CLANNADという流れにしてもその世界観は段階を経るごとに世界観を広げていっている。
oneの他者の交わりを拒絶してしまうかのように薄くなって永遠に消える主人公をその彼女だけは忘れず覚え続ける、というまさしくセカイ系の流れから
KANONでは家族の存在を示唆し、Airでは親と子、そして血の流れの歴史を語り、CLANNADではoneで見せた永遠の世界の具体的な世界観と街に住む人々の物語りをつむいだ。(リトバスはまだ出来てない・・・)
麻枝さんはこのように段階を踏んだ上で自分が作品で語りたいことの出来る限りを描き続けている。

では、京アニ版のこれらの作品のリメイクが原作の世界観をきちんと表現できているのか。若干の違和感を覚える。
なんだろうか、と考えてみたところ、つまりその、他社性の広がりなのだということに気づく。
画面が俯瞰気味に広がりのあるアニメという特性上、どうしようもないことなのかもしれないのだが、キャラクター一人一人が生きているのが分かる、という点が逆説的にセカイ系の流れを否定してしまっているように見えてしまう。

本来セカイ系作品の特性は他人が他人であってはいけない。他人=背景の一部でしかないわけだ。
エヴァンゲリオンは街に人がほとんど存在しない。この排他的で虚無的な感覚にセカイ好きな人はうっとりしてしまうわけだが、京アニ版のこれらの作品はその流れを時折無視してしまっている。
他者の広がりが増えれば増えるほどに、今回の(CLANNNAD8話)風子みたいな「徐々に忘れられていく可哀想な存在」という童話的でお花畑な物語には説得力が無くなっていく。(俺としてはoneが一番出来がいいと思える理由も低スペックゆえの説明不足なところがいいのかもしれない)
特に渚まで風子のことをずっと覚えているのは孤独な風子を主人公である智也=プレイヤーだけが覚えているという特別性が消失してしまうのでなおさら説得力がなくなるように思える。

この辺は麻枝さんと京アニの悲劇に対するスタンスの違いが現れているのかもしれない。
麻枝さんの作品の中には究極的に人間は一人なのだ、という強い自意識を感じる。
oneの時に感じた、低スペックゆえのとてつもない空虚感の感じられる流れは完全に中和され、セカイを断ち切って他者のいる世界と連帯を持っていく京アニ版の主人公たちではあるのだけど、それは京アニの作った作品のひとつのCLANNNADというアニメであって、麻枝さんが作品で訴えたかったものとはちょっと違うようなア、と思う。
これはこれで面白いし、いいんだけどね。

まあ俺のわがままとしては泣いた、とか泣ける、とかそういうのは正直イラネえんだわ・・・w
たまにゃ、誰もいないとこで程よく空虚に浸りながらうっとりしたい、てだけなんだけどね。春樹でも読んでろ、てか。サーセン
ぐおおおおおお電脳コイルおもしれえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ

00もだんだん話が盛り上がってきてて続きが楽しみになってきた。
コイルに関しては2クールじゃ少なすぎるよ。4クールあっても良かった。毎週土曜が楽しみになるとかいつ以来だろう?本当に後2話で終わるのか。残念すぎる。
電脳コイルおもしれええええええええ。
イサコどうなってしまうん?
泣きながら走ってるイサコ見てるとなんか興奮した俺は変態すぐる。
どうせ電脳コイル見てる大きいお友達はみんな「うはあw」とかいって半勃(ry
してたのは間違いないんだからこれくらい許されるはずだ。
何の言い訳してんのかわからんが。
おい、なんとかしてやれヤサコ!

観損なっていた回を見てみたが、こりゃタケルっぽいな黒幕。で、タケルが宗介とつながってると見るのが一番妥当か??
宗介は裏切ってないと信じたいんだが…
でないとイサコが可哀想過ぎる
クラナド始まった。京アニは背景がしっかり描き込まれてたり、なんでもないシーンでもちゃんとキャラクターに小さな動作を入れたりするところがつくりが丁寧で好感が持てる。
らきすたも良かったけどこれも楽しみだなあ。
Airで始まった「家族」というテーマからさらに一歩踏み込んだ「街」の物語を綺麗に描ききってくれることを期待したい。

EDがみんなの歌みたいで妙に懐かしかったw
ちゃんとストーリーを象徴してる歌詞なのもいいね。
だんご三兄弟はなんか神経質な歌で嫌いだったんだがこっちは好きだなあ。
グレンラガンが放送終了した。

正直、後半は合体につぐ合体、吸収につく吸収で、敵がなんなのか分からない言いようもない不安のメタファーであったり、宇宙そのものであったりとか量子論で多次元空間がどーのとかパラレルワールドなパワーインフレとかもなんでもありすぎて「あー、そうすかー」てなる場面も多かったりしたんだけど、今までいろんな作り手が「ここまでやっちゃ嘘だろう」「ここまでやったら整合性がとれない」「ここまでやるのはタブーだ」と思って自重してきたことを、平気でぶち壊したという意味では強さ的にドラゴンボール(笑)を超えたし、禁忌をまたひとつ打ち破ったという意味ではエヴァ以来の作品になれたんじゃないかなあという感慨はある。

でもこれで時代が突き破れたか、というのは何かまた違うなあ・・・。まあそういうのは後々じわじわ来るものだから後世の評価で、決まってくる部分ではあるのだろうけれど。現時点では、という意味で。

ラストの世捨て人になってるシモンを見ると、「うそついてごめんなさい、天元突破できませんでした」て視聴者に今石監督が謝罪してる感じに見えなくもなかったり。このあたりに富野チルドレンで戦後日本的価値観の匂いを感じちゃったりする。死者は生き返れないというのはカルトにだけはなっちゃいけない、ていう最後の砦だったんだろうけどね。

まあ、精根尽き果てるまで生き抜くパワーてのはこういう鬱屈した時代には絶対に必要で。シモンとカミナはそれを見せてくれたし、次の時代を担う若い力も必要になってくる。まさに繰り返しの螺旋街道。何度も何度も滅びては再生し、また停滞し、滅びる。永劫回帰はニーチェ先生が夢見ながらも達成できなかった道だけれどその一瞬を稲妻のように駆け抜けたシモンおよびガイナのスタッフの皆さんはやはり超人であると言い切って良いのだろう。おーし、俺も超人になってこよう。ウララ〜←(なんかいろいろ混じってる)

それとあの演出はシモンのような人間は平和な時代を築くためには不必要なのだというところもあるのだろう。ようはアレだ。立ち上がれニート!ということなんだろうな。何もない時代ならシモンは間違いなく真性ヒキコモリオタクニートだったと思うんだw時代を切り開くのは今まさにニートなのだというメッセージがこめられてるんだよ!!くわっ!!!
ゼロの使い魔の2期を最終回まで観た。何であんな悲惨な終わり方になってしまったのかorz
そもそも戦闘シーンの動画と演出は1期の頃から酷いものがあったのは確かだ。

2期はどうしても戦争が物語の主軸になってくるのであまりラブコメ要素を入れにくかったのも分かる。
だが原作7巻のサイトの特攻シーンとゴルベールの迫真のバトルだけはきちんと盛り上げなくてはならなかったシーンだったと思う。
そのための溜めの描写としてルイズの貴族としての主義とサイトの日本人的価値観の齟齬と諍いは前もってきちんと描写しておくべきものだったし、ルイズが虚無の使い手としては優秀である部分なんかもちゃんとやんなきゃ、最後のしんがりを務めるシーンなんかは全く持って説得力がない。
何で戦力にならねえオマエがしんがりなんだよ、てなるわけじゃん。
だからアニエスのエピソードが余計に邪魔になる。後半描写不足で駆け足になるくらいならなんでこの辺ちゃんと描かなかったのかなあ。アニエスの話をちゃんと描いた割にはゴルベールのキャラが全然立たないまんま死んじゃうしね。
まあ、気づいたときには時すでに遅しだったんだろうな…
心なしか声優のヤル気もあまり感じられなかった気がするw
本人らも「なんだこれ?」とか思いながらやってたんだろうか?それくらい脚本酷すぎた・・・

70000万の大軍とか、どうみても700人くらいにしか見えないのは何でですかね?w
制作費も人も足んなかったのかなあやっぱ。
3期を望みたいところだがあの終わり方からすると3期は無いと観たほうが妥当だなあ。
うーん、ツンデレ描写だけは素晴らしかっただけに実に残念なアニメだった・・・
うーむ、らきすた観てて良かった…。22話、すごく良かった。だが、この話は22話単品で見てはいけない話だろう。

話のほとんどがショートコントで前後のつながりのないらきすたではあるが、キャラ設定から人間関係をオタアニメなりに丁寧に、そしてリアルに(あるいはメタリアルに)書上げて来たという上積みがあったからこそ今回のかなたとこなたパパ(そうじろうだっけ)のほんの数十秒程度の回想に重みが生まれる。

メタフィクションアニメがメタリアルフィクションアニメに昇格した瞬間てやつだろう。アズマンもきっと大喜びだぜ。
そういやアズマン小説書いたんだっけ。出来はどんなんだろうなあ。

あ、あと白石のひとりコントがだんだん面白くなってきたwこの辺のスルメアニメなとこも好きだなあ。
うーん面白いなあグレンラガンは。
状況は常に破滅的、絶望的であるにもかかわらず勢いと気合で何とかしちまうノリが素晴らしくも元気付けられてしまう。
エヴァンゲリオンで日本人に絶望的な現状認識を植えつけた大罪人であるガイナックスがこういう話を作っているというところにまた意味がある。

毎週見ては元気が出てくる、生命力を喚起させられるアニメというのは今の時代にはなくちゃならない作品であるし、こういった作品が次の時代を切り開くパワーを引き寄せるに違いない。
ここからだろう、もう一回いろんなことを巻き返してみるのは。
やれる、何処までもいけるという開き直りはやっぱり必要なんだ。理屈をぶち壊して突き抜けて欲しい。

かつて富野がザブングル、キングゲイナーでやろうとしてやりきれなかったところをシニカルにまみれた現代人が開き直ることで初めて出来る物語てのはきっとあるんだと思うよ。最後までぶっ飛んでいって欲しいねえ。頼んだよガイナックス。
言ってるそばから8話がすげーツッコミどころ満載で困った・・・これはもう駄目かもしれん↓
ゼロの使い魔のアニメ版を一気に観てみた。2期も7話まで観た。あ、やばい、原作より面白(ry
原作のだらだら続く勘違いラブコメの堂々巡り感が、うまい具合にスルーされてたり処理されてたり、別のエピソードだったはずの話が同時進行で処理されてたりしてて大変クリアに整っている。洗練されてる。これはいい。作画も動きはともかく顔はほとんど崩れないしね。ルイズと釘宮の相性は抜群に良いですね。これは良いツンデレ。思わず画面見ながらニヤニヤしてしまう。

難点はやっぱバトルシーンの動画かなあ。コンテにも問題ありそうだけど。1期のラストバトルは小説版の俺の中の脳内映像のほうがずっと盛大で戦争っぽかったよw
戦争シーンはコンテだけ禿御大に発注してくれよw(いや冗談だけどね)

2期は…アニエスは割と好きなキャラなんだけど彼女だけに焦点絞りすぎじゃね?まるで劇場版Zガンダムの異様にクローズアップされてあっさり死ぬサラザビアロフを観てるみたいだ。
3期もあってくれると嬉しいので2期でこけたりすんなよゥ。

そういや小説版9巻で読むの止まってんな…早いとこ続き読まないと。

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