やっとネーム通った。
あーなんか、すっげーうれしい。
なんか成し遂げたわけでもないけどようやっとまじめに作画に移れるのかと思うとオラわくわくしてきたぞ。
つってもまだ2作品しか描いたことないという、ひどい話である。

ネームは何十本でもやったけどね。
え?何百本描かないと描いたうちに入らない?ええごもっともです。
がんがん描いていきますよ。なめんなよちきしょう。
アシやめたからいくらでも描く時間あんだぞこの野郎。

久々に過去の汚物を探索するつもりでちょっと観てみたんだが、それにしてもひどい作画だった。1作目に至っては目が腐るかとおもった。ストーリーも構成もひどいものである。読めたもんじゃない。主人公が女装っ子だというのにぜんぜんかわいく描けてない点がもはや致命傷である。一体何を考えてこんな話を考えたんだ当時の俺は。馬鹿なのか。

2作目はボクシングを題材にした漫画なんだがところどころ明らかに新井先生の影響を受けていて恥ずかしかったが、意外と漫画として成り立っていたことに驚いた。
ぶっちゃけいうと、面白かった。

これにはちょっとした感動を覚えた。自分の過去の作品を客観的に見れる状態になった上で読み返してみて、なんと、面白いと思えたんだ。
俺、漫画描く力あんのかな?面白い漫画描けてんのかな?ていう不安が常にあった自分としてはこれはかなり自信になった。だって面白いんだもの。
面白い話描けんじゃん、俺、ていう。
もっと描いて実力つけて世の中にアウトプットしないともったいなくね?このままこの話腐らせとくの?才能眠らせたまんまでいいの?ていう使命感がモリモリ沸いてくる。いやあ、すげえなあ俺。マジ天才じゃね?とか久々に思えた。まあ作画は相変わらずひどいもんだったけどね・・・。
こんなことおもったのって本当に数年ぶりのことだ。

それにしても返事おせえな担当さん・・・。もう1週間以上放置プレイてどういうことですか?

ヘブライ

2009年5月1日 漫画製作
心に余裕がなくなると書くことが減っていく。
よくできてるなあ人間。
まあ今は余裕なくていいんだけど。

むしろもっとあせろと。熱くなれよ!なんでそこであきらめんだよ、できるできる絶対でき(ry

早く急いで><
コマが多いと読者が読まない。
台詞が多いと読者が読まない。
だからコマは大きく。台詞は極力簡単に。
この言い回し、実をいえばあまり好きじゃない。(そうするよう心がけてはいるけど、もっと別の言い回しねーの?て思っちゃう)

それって要するに

読者に物語を読む力がないから、
読者に物語を楽しむ欲望がかけてるから、
読者の頭が悪いから、

もっと簡単で端的な言い回しに変えましょうね、てことで。
悪くいっちゃうと作り手が読み手を馬鹿にしてる、てことだ。
物語というのは本来、そういった方向性に進化していくべきじゃないと俺は思う。

漫画にせよ、小説にせよ、ドラマにせよ、そこに存在するはずの生の人間の情念がこもってないと、やっぱ嫌だな、て思う。そしてそれは自然主義文学的な、ある種の回りくどさや無駄だけどアクセントとして重要な描写、てのもときに重要になってきて、それがないと語れない、奇妙な高揚感が存在するのも確かで。
だって、今はやりの売れる要素だけ抽出してはいどうぞ、てやった物語、てだいたいこける。読み手はそういうこと感覚的にわかっるはずなんだ。馬鹿にすんじゃねーよ、てのが。
漫画的リアリズム、ゲーム的リアリズム、ていうメタ的なリアリズムが誕生しつつある昨今ではあるんだけど、やっぱり最終的に求められるのは人間力、つーかその辺のパワーじゃねえのかなあ、と。

まあね、こういったえらそーなことはまず読める漫画描いてからにしろや、て話なんだけど、あくまで俺の中のあまり顔に出さない根っこの部分がそういってるんだ、つーそういう話。売れればなんでもいいんだ、てのは100%そういうわけではないじゃない。それにそういうその場しのぎのメンタリティが業界を腐らせてきた事例は今まで何度となく企業失敗という形で我々は見せられてきたわけで。

だから俺は、ロマンのある作り手としての、押井監督や富野監督てのが好きなのだろうなあ。
「いつも通る道だからって、景色は同じじゃない。それだけじゃ、いけないのか」
この台詞、めちゃめちゃ好きです。
返事まだかよちくしょー!?とかやってるうちになんか漫画のネタが一本できたのでそれ描こう。一本に絞るから融通が利かなくなるんだ。いろんなとこに営業かけよう。それが一番近いはず。前没ったネームをリバイバルしたっていいじゃない。

担当さんにまだっすか!?て電話したら明日返事するらしいが、どこまで本当かわからんw編集のお仕事も大変だろうしなあ。夜中まで働くの当たり前みたいだし。忙しかったら俺のことなんぞ知らんがな、てなるのも当たり前やん。

しっかしバレロ糞つえーなー。あの距離から踏み込んでくるとか普通予想できねえよ。バレロって結構不思議な選手で、硬いイメージあるのに時々とんでもない超反応見せるよね。
普段はもっさりしてるレノックスルイスがここ一番で急に超スピードのパンチで打ち抜いたりするのに似てるのかも。緩急の使い分けがうまいのかな・・・。
マルケス兄貴との対決が見たいなあ。応援はマルケスだけど、勝つのはバレロのような気がする。

メモ4

2009年4月3日 漫画製作
・俺の友人が情報のネットワーク化と同時にどんどん弱くなっていく紙媒体は斜陽産業でしかない、といっていた。
漫画もそうなのだと。
俺も、そうなんだろなー、て以前はそう思ってたんだが、そうでもないかもしれない。

というのも、漫画の情報処理速度は紙媒体の中でも飛びぬけて早いからだ。
アニメーションで観ると30分かかる物語が漫画だと早ければ5分で済む。
小説にいたってはもっと時間がかかる。
情報を迅速にお手軽に顧客に届ける、という点では漫画というジャンルが一番秀でてるのではないかと俺は思う。
だから、もっぱらストーリーのネタ集めも漫画が一番楽でお手軽だなあ。漫画描くのに漫画からネタ引っ張ってくるとか糞杉だろ、て反駁はよくわかりますよええ。でもリアルによる情報収集ならすでに労働で稼いでるからいいじゃんさあ!むがあ。

・俺にはSFとかファンタジーは向かないかもしれない。
というのは、やはり俺の精神の根底にあるニヒリズムというものが無視できないからだ。
空を飛ぶ女の子という状況に対する明確な説明がなければ脳が拒絶してしまう。それは奇跡や絶対性を信じられなくなった人間ゆえの葛藤なのか。でも、いらない葛藤だwコマ増えるだけで。
何か超常的なものが発生する際に、どうしても押井的、メタ的な視点が入ってこないと、だって嘘じゃん・・・てなってしまうのはもう仕方がないのだけど。ところがこういったメタ物語というのはえてして不人気なジャンルであるし、そもそもそんな入り組んだ話を作れるほど達者なロジックは持ち合わせちゃいない。つーかいい加減飽きた。


だからアンチニヒリズムとして結局成り立つジャンル、てなんだろ?て考えたときスポーツモノというものは結構強いなと。スポーツにおけるプチナショナリズム、プチイデオロギー的なものというのは、祭りの消失した現代において、非常に良いガス抜きになっているなという印象がある。
人間はどれだけ全体性が消失しようとも社会性を求める動物なので、「あえて」であろうと無駄であろうと、団結したいという欲望は消えないはずで。
もともと何の目的もない部分に「あえて」ルールを設けて戦争の代替品を用意するスポーツという行為は実はすごくニヒリズムに対して強いジャンルなのではないかなと。
仮想的に敵を用意して、それを撃退し、勝利を手にする。
本当によくできている。

どっかで、国際スポーツのときだけ愛国者になるあいつら、ていったいなんなの?wwwて感じの記事を読んだことあるのだけど、そんなときくらい○○人死ね!てやるのは悪かねーんじゃねえかなあと思う。

ああ、でも漫画はどーなんだろう・・・面白いかなあ。面白いの描きたいなあ。
いつも思うんだができた瞬間は最高傑作や~。
て思うんだが、単にそのときはテンションおかしいから冷静に見れないだけで、時間おいてから読み直すとだいたい絶望する。

毎回毎回、最高傑作な気がしてるのはそのときそのときで出せるものは惜しみなく出せてるからに違いないと思いたいものだ。
全部出せてるならその次、もっといいものができるに違いないからね。
毎回毎回成長しているはずなのだと自身に言い聞かせて、また次のプロット練るかのう。(没る前に先手で次の案を提出するという高等技術なのだ・・・!!いや嘘。今考えた)
ネームができた程度でいちいち燃え尽きてたらいつまでたっても作品あげられんことにいい加減気づいたからね!

女子総合格闘技漫画とかどうかなあ、とかひそかに思ってる。
やっぱ漫画は下手な鉄砲数打ちゃ当たる理論がベストだね。

漫画のこと

2009年2月7日 漫画製作
漫画のキャラクターの表情を描くのは難しい。
漫画は基本的にキャラクターが命なので表情の乏しいキャラは魅力的とはいえない。

「ありがとう」や「死ね」という単語ひとつでもバリエーションはいくらでもある。
心からのありがとうなのか、あんがとさん、なのかサンキュー、なのかでもニュアンスが大分変わる、それを表情で表現する。
あんたなんか死ねばいいんだわ。バカ!バカ!。なのか
殺してやる。なのか
つまんねーよ死ねボケ。なのか。
うーん難しい。

で、キャラの表情は目と口でやるもんだと気づいた。
目はそのキャラクターの本質(であり本音)を、
口は、出力している性格(ある種実存的な)を表すのだと自分の中で定義付けることにしよう。

俺は今まで口の方を軽視していた感がある。
そのへんを反省しつつネームを練り直してみよう。

あースキャナ買いなおしてー。
漫画は100%エンターテイメントであるべきだ、そのためにお客さんがいてお金が発生しているのだ。
客が理解しない、面白いとおもわない作品は糞だ、と
とある友人が言っていた。

でも客と金が全てだ、とはいってもお客さんの頭が悪すぎて理解されなかった作品はそれでも作った側が悪いことになんのかよ?て思う。

「そんなかまってちゃんみたいな媚売ってまで漫画家になりたくないよ」て思ってるあたりが俺の甘ちゃんなところなんだろう。
プライドと死活問題、ていうのを天秤にかけてないからこういう他人行儀なこともまだいえる。
でも大事じゃね?プライド。

まあ、技術が伴ってないからそれ以前の問題なんだけどね。プロになればそういうことをいう権利をもらえるってか。

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