贖罪

2010年11月13日 エッセイ
安全な個室から対岸の屑社会人どもを批判していた過去の自分。実際に屑社会人になってヒステリックな連帯感に組み込まれながられも、時折、俗物的な悦びを感じてしまっている現在の自分。どちらにも共通していえるのは等しく屑だということだ。

こうなることは目的を失った時点でわかりきっていたことではあるけれど。予想していなかったのは、自分が思っていたより適応力がそれなりにあって、あれほど毛嫌いしていた生臭い党派意識のようなものを遺憾なく発揮してるらしいことだ。俺は1人ではなかった。悪い意味で。

だから、とりあえず子供の頃の自分に謝罪すべきかとも思ったけど、子供の自分も大人になるとやっぱり俺になるので、何度繰り返してもやっぱり屑は屑なのだ。なるほど、これが永劫回帰か。
では子供の頃の自分を殴りに行けばよいのか。何故生まれてきたのかと説教をするのか。これも違う。やっぱり屑になるのは変えられようもない。

かつて過去と未来を連ねて現在を肯定的に引き受けようという思想が根付いていた時代がある。実存主義。しかし無理だ。だから人は祈るのだ。神に。萌えキャラに。

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