現代日本という場所を簡単に捉えると
2010年5月21日 エッセイだいたいニヒリズム(≒近代的自我)、ポストモダン、シミュラークルあたりで説明がつくような気がする。現代思想が取り扱っているテーマは全てこのあたりの応用で、それ自体が一種のシミュラークルであり、肯定的に捉えるならば脱構築という言葉で解体することが可能なのだろうか。
何故ニヒリズムなのかと問えば産業革命以降、神(超越性)が消失したからであり、そこから発生してくる価値観が実存主義であり近代的主体なのであり、何故ポストモダンなのかと問えば近代的主体を支えた大きな物語が凋落したことによる物語や思想そのものの共有圧力の低下によって人々の価値観が多様化(小さな物語化)したからであり、何故シミュラークルなのかを問えばそれらポストモダン的価値観が円環構造をなしたループを永遠に繰り返すだけだからなのだ。(脱構築は螺旋構造的にループを捉えているのかな?)
そんなことを考えていると思想という言葉も物語の力ももはや意味を成すものだとは思えなくなるのだ。
残るものは我々ひとりひとりの実存の救済というキャラクターを取り扱った命題だけであり、その到達点としてエヴァであったりAIRであったりがするのではないかしらね。俺にとってはガンダムなわけだけれど。
何故ニヒリズムなのかと問えば産業革命以降、神(超越性)が消失したからであり、そこから発生してくる価値観が実存主義であり近代的主体なのであり、何故ポストモダンなのかと問えば近代的主体を支えた大きな物語が凋落したことによる物語や思想そのものの共有圧力の低下によって人々の価値観が多様化(小さな物語化)したからであり、何故シミュラークルなのかを問えばそれらポストモダン的価値観が円環構造をなしたループを永遠に繰り返すだけだからなのだ。(脱構築は螺旋構造的にループを捉えているのかな?)
そんなことを考えていると思想という言葉も物語の力ももはや意味を成すものだとは思えなくなるのだ。
残るものは我々ひとりひとりの実存の救済というキャラクターを取り扱った命題だけであり、その到達点としてエヴァであったりAIRであったりがするのではないかしらね。俺にとってはガンダムなわけだけれど。
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