物語消費(世界観消費)=物語内における大きな物語をやバックグランドを読み取ろうとする試み。
データベース消費=キャラクターレベルにおける小さな物語を読み取る試み。つまり物語への回帰。

・セカイ系とは自己と世界を繋ぐ社会性、舞台装置が欠落していなければならない。
・セカイ系とは自己の絶望=世界の絶望でなければならない。
・セカイ系とはオタクとしての自意識をめぐる自己言及的な要素が含まれなければならない。自己言及性の文学である。
・セカイ系はそれが虚構であることを前提に少女をレイプした自分は最低であるという自己反省を含まなければならない。
・セカイ系とループ系は同じようで少し違う。東はループ系。

・東曰く、今の若い子はすごく近いこととすごく遠いことしかわからないらしい。社会が見えなくなっている。わからなくなっていることを象徴しているということなのかもしれない。
・東と宇野はセカイ系と決断主義という立場で論争しているが、二人ともそのふたジャンルを肯定的にみているわけではない。
・fate(オタク界隈における決断主義)登場以降、オタクの想像力は物語消費へと回帰しているらしい。

・ゼロ年代後半から現在においては自己言及性の自己肯定としての「俺の妹がこんなに可愛いわけない」のような作品や空気系(生徒会の一存、らきすら、けいおん!)がオタクの関心への求心力となっている。

・そしてコンテンツ志向メディアである物語からコミュニケーション志向メディアとしてのアーキテクチャーへと分析対象が移りつつある。
作者不在の物語といえるニコニコ動画的なものとしての東方PROJECTは物語消費なのか、データベース消費なのか、よくわからないことになっている。

※AMAZONのレビューに宇野は死に体であったセカイ系を無理やりたたせマッチョだといい放ち批判し、セカイ系とは関係のないところの東浩紀に喧嘩を売り、それを俺が解決してやるといきり立っている涙ぐましくもエレガントなマッチポンプだといってる人がいた。ワロタ

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