ゼロ年代におけるオタク史の流れとしては的確な分析だったように思う。だがエヴァンゲリオン以降のオタクの自己言及性の問題、つまり実存を回復するための処方箋は何一つ提示されることなく終わった感が強い。

そういう趣旨の本ではありませんので、ということなのだろうが、前島氏はもう少し自論を押し広げても良かったのではないかなと思った。
お、面白いこと書いてるな、と感じてる矢先に「また自論を展開してしまった、申し訳ない」という自己批判が入るのはプロの評論家の論説としてどうなのだろう。

セカイ系は終わったとか、これからはアーキテクチャーだという流れにのっとるのは簡単だが、流行り廃りとして消化される「私」をめぐる問題は何一つ解決しちゃいないのではないか。宙ぶらりんになっている実存の救済なくして僕らは本当に脱エヴァンゲリオンを果たしたといえるのか。このあたりもう少し踏み込んでほしかったというのが正直な感想である。

セカイ系ってこういうものです。→セカイ系の問題は解消されたの?→流行り廃りなので今は空気系の時代です→ずこー

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