設定的におもしろかったところのメモ。

・まず王が不在の時代=全体性の消失状態であることをヒロインのモノローグで視聴者に示唆する。この時点で、サブカル系の視聴者の心を一発で鷲掴みにできる。

・まんま裸の王様から物語がスタート。ビジュアル的なインパクトとしても、すべての思想を喪失した者と社会そのもの比喩としても秀逸。

・このまま社会にコミットすることに疑問を感じているヒロイン。世界の中心地であるホワイトハウスに願掛け。

・自由気ままで何物にもとらわれない生き方の主人公。これは惚れる。かっこいい。しょっぱなでチンコさらした時点で男の視聴者の心もget。

・王が不在の世界において、新たな全体性を獲得しようという「アウトサイド」の思惑。
そしてそのゲームに参加させられる「セレソン」たちの、それぞれの社会をよりよくしたいという正義感、思想が空回りしていく様。

・俺は社会人としてがんばる!(キリッ)とかいってるリア充の大杉の言葉にいまいち反応の悪い咲。

・朗が総理大臣にぎゃふんと言わせてくれ、とシュイスに頼んだところ、たったの60円の金額でそれが動いたこととは、権威としての政治の凋落を意味している。皮肉。風刺。

・落ちてくるミサイル、これはそのまま社会をぶち壊してしまいたいという単純な破壊願望だけではなくて、要は、この社会の権力のどこをぶち壊せば停滞した世の中を打破できるのかわからない僕らそのものの心象を指しているのかもしれない。

・2万人のニートがミサイルから日本を救う話は、2000年に起きた2ちゃんねるの閉鎖危機に似ているなと感じた。あの時もUNIX板の住人が奮闘した結果、2ちゃんねるは終わることなく、ひろゆきが生き延びたから、ニコニコ動画という新しいコンテンツが生まれたわけだ。
そう考えると、滝沢朗という主人公のモデルは、ひろゆきなのかもしれない。そして面白いところは滝沢朗もひろゆきも、さして政治なるものに興味を持っていない部分だ。だが、彼らはネット充たちの王様に祭り上げられている。

・神山監督の考える新しい全体性のあり方というのは東浩紀と同じく、無意識的非人格的正義の集合体のようなものを指しているのではないかと思えてきた。

・惜しかったのは、11話という短いスパンで終わってしまったことかな。あの魅力的なキャラメンバーなら2クールは楽しめたはず。映画版は2作連続で放映されるみたいだから期待して待とう。

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