惜しい出来だ。時かけを超えるには至らなかったかな。

まず声がまずいだろ。時かけの声優さんたちは真琴役と千昭役の人が非常にはまり役で、完璧にこなしてたといってもよかった。だが今回の声優さんは、主人公、ヒロイン役ともに、ぶっちゃけ下手だったろ。
何でそこでそんな気の抜けた演技すんの?
何でそこでぬるっとした声出してんの?
てのが気になって気になって…。

んー、アニメに役者さん使うことに抵抗はないほうだと思うのだけど(結局、感情の込め方自体がうまけりゃ何も問題ないと思うので)この人たちは正直下手だろう。時かけのときと比べて群像劇であるから、しゃべる量が絶対的に少なくて役者さんがキャラクターをつかめなかった、というのはあるかもしれないが、だとしたらそういうわかりにくいキャラクターにしてしまった脚本にも問題が出てくるので、これ以上追及しようもないのだけど。

あと、ネタが古い。思いっきり古いなら逆に新鮮だったりするんだが、中途半端に古い。2000年代初頭にこのネタならもっとすんなり入り込めただろうが、2009年現在においてサイバーテロネタは中途半端に古すぎる。しかも自立型AIとかゲーム感覚でやってる、とか。お利巧過ぎるだろ設定がさあ。
行く前にネットの評判で、デジモンの「ぼくらのウォーゲーム」に似てる、て聞いたがああ、なるほどという感じである。

一つ一つのエピソードの演出はさすがだったが、それが溜めとして機能していない。「僕の家族、いつも家にいられなくて、でもここにいられてよかったです」みたいなことを主人公が言って逮捕?される場面があるんだが、え?そんな描写あったっけ?てな感じだし、ろくに話も聞かず逮捕してるこの糞警官なんなの?つかなんで主人公も何も弁解しないの?という話である。
おばあちゃんがいきなり死んで、みんな泣き出して、ばあちゃんの弔い合戦だ、とかなんとか男どもは言い出すわけだけど、しんだおばあちゃんがどんだけ人気者だったのかいまいち描写不足だったし、それと「弔い合戦」は何も直結してなくね?
という小さい突っ込みどころが満載なのである。
ラストはラストで花札勝負とか、非常にわかりにくい戦いで、うおおおおおおおおおおお、とか(微妙な演技で)叫びながらヒロインが勝つわけだが、花札はうおおおおおおおおおおとか言いながら戦うゲームじゃないだろ常識的に考えて…とか、ようやくそこまで終始空気状態だった主人公の見せ場が来たかと思ったら鼻血出しながら演算ですよ。どう盛り上がれというんだ!?まあ主人公の設定的に演算以外何も使えるネタがないわけだが…。
なぜこうなったし!?という脚本上の小さな荒が目立ちすぎていまいちストーリーに介入し辛かった。

どうにもこうにも、ありえねえだろ感が強いもう一つの理由が、田舎とネットという同居するには難しい相反するモデルが扱われていた点があげられる。
これはある意味細田監督の今回の挑戦だったのだろう。
ようは、近代VS現代。大きな物語VS小さな物語。
それらは相関しうるのかという問題意識。

個人的に映像を見る限り、まったく同居しえていない。違和感ありまくりだ。
惜しいことに近代側の大家族の描写が決定的に足りていないし、それらの描写に(宮崎駿風の生活感やら人間の温かさだな)大半を使うと今度はネットというスタンドアローンな世界の地盤が揺らぐ。駿風の温かいおっさんどもが携帯片手にアバターを演じるというはちゃめちゃな状況に説得力が失われるからだ。
田舎町のジジイとババアがPCの巨大モニタを目の前に世界の存亡をかけて一喜一憂をしているという状況はあまりにもシュール過ぎる。
そんな中でみんな家族を大事に、一致団結して頑張らなくちゃいけんよ、いわれてもいやちょっと待ってよ、という話である。
おそらく、これが子供たちだけで形成されたコミュニティならもっと映像的にしっくりくるんだろう。つまりぼくらのウォーゲームみたいに。

というわけで何やらただの文句だらけの感想文になってしまった。
なんかこう、いろんな人の意見を気にして、あれこれ手を出しすぎてて、とっ散らかってる映画になっちゃってる印象。
時かけのような、少し物悲しいジュブナイル的なカタルシスも感じられなかったし、おもしろかったけど、細田監督の力量はこんなもんじゃないだろう、という大変惜しい作品でもあったかなあ。

ああ、あとあれだ。カズマは最初女だと思ってたのに男だった。フェイント過ぎる。
残念なようなそれはそれで…うほっ
な微妙な気持ちになりました。くそっやられた!

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