三島由紀夫は男にとっての美の本懐とは死への意志なのだといっている。
ドラマチックな死が消失したこの世界にとって男性的であることは意味をなさない。
ユニセックスな風貌が好まれる理由はこの辺りにあるのだろう。

押さえ込まれた男性性の発露はオタク、リア充、モテ、非モテ、という別のヒエラルキーへと変貌を遂げた。
英雄的な死、が存在しない社会でわれわれ男どもは一体何をなすべきなのだろうか。
チンコ切り捨てるか、発狂するか、耳と目を塞ぎ、口をつぐんで細々と暮らすのか。

三島はたとえ道化であろうと英雄的な死を望んだ。そしてそれを貫いた。彼の割腹自殺とは三島文学そのものの正当な完結を意味する。美というものに対してこれほど真摯に向かい合った男は後にも先にも彼だけだろう。

道化でなければ、この社会は生きられない。
道化としてのイデオロギーならばまだ機能する。
だからロマンを追求するんだ、俺が男である以上この選択は免れない。

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