パッキャオの快挙はすばらしいこととして、なぜか一戦一戦勝ち続けるごとにどうしてもぬぐえない違和感があったことも確かだ。

本当に17階級も必要だったのか。
1つの階級に5人も6人も乱立している世界チャンピオンとは一体なんなのか。
そして世界タイトルそっちのけで人気者同士でビッグマッチが開催されるこの状況。
今まで、どこよりも一番強いと思われていた本場ラスベガスのスター選手たちが一人のアジア人に全滅させられようとしている。
デラホーヤ戦におけるパッキャオの強さに対する俺や保守的なボクシングファンたちのリアクション、どこか諸手をあげて喜べなかった気持ちや、反感はいったいななんだったのか。
それはつまり今まで築き上げられてきたボクシングというものの歴史観の断絶に対する恐怖心の表れだったのかもしれない。

近代から現代にかけて、ボクシング技術はよりディフェンシブに、打たせずに打つを信条に戦い方が先鋭化されていく。ジャブをつき、サークリングをし、適正の距離を保ち、ベストポジションからパンチを叩き込む。
そして、それはクラシックな、がちゃがちゃしたボクサーをオミットする結果にもつながっていった。
近代ボクシングは、古くはレイロビンソンから始まり、その技術をモハメドアリがヘビー級に普及し、レイレナードが更なるスピード革命を起こした。(※ここでマイクタイソン、ナジームハメドなどのアンチテーゼも台頭するが長くなるのでカットする、彼らが現代のボクシングスタイルのパラダイムに与えた影響は計り知れないだろう)
これらの流れを受け継いだ現代のボクシングの代表格がオスカーデラホーヤだった。フロイドメイウェザーも自称するようにレナードの後継者であるといっていいだろう。
そしてそこに現れた不確定因子がマニーパッキャオというカウンターカルチャーなわけだ。

「階級を上げたら不利なのは常識なのだ。まして8階級も上げて上の選手に通用するわけがない」
「アジア人はボクシングという競技においては最下層なのだ。白人、黒人種の反射神経にかなうわけがない」
「あんなガチャガチャした戦い方は華麗さがない。もっときちんとしたフォームじゃないと強いパンチも打てるわけがない」

そのほとんどが否定された。
ここまでわれわれが正しいと信じて疑わなかった近代ボクシングの技術、考え方は、パッキャオという革命者によって崩壊させられたわけだ。
しかし、だからこそ、旧来からの懐古ボクオタ(笑)はこの結果を踏まえたうえで新しいパラダイムを構築する必要性が出てきたわけで。
これから30年後に、パッキャオという男が新時代のボクシングのパイオニアであったのか、ボクシングに止めをさした男であったのかというのはそのときになってみなければわからないのだけど、俺はやはりこのような結果を肯定的に捕らえる柔軟さは必要だと感じている。
でないとこれから10年、20年にわたってボクシングが楽しめなくなる可能性があるからだ。
現在のボクシング界のスタンダードは紛れもなくマニーパッキャオという男を中心に回っている。


・・・・さて、ネーム描こう。7日締め切りだ。はよせんとな。

コメント

nophoto
a
2009年5月7日20:56

そうそう、自分も試合前は内心どっかで「さすがにハットン勝たないかなー・・・」って思ってた。
あーなんてこった、普段は「自分は先進的なボクオタ!」なんて秘かに思ってたのに
いつの間にか保守的になってたんだな・・・・。
でもそんな価値観をひっくり返すくらいに今回のパッキャオは強烈だった。
ボクシングに対する考えを改める時期だなこりゃ・・・。

カメルーン
2009年5月9日0:13

改めて見直してもパッキャオ強いねえ。
メイウェザーじゃなくてもモズリーやコットとの対戦が見てみたいよ。
いまだに強くなり続けてるところが異常だねえ。

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