今年最後の仕事が先日終わった。
で、俺のアシスタントとしての仕事も今回で終わりだった。

とある事情のためやめることになったわけだが、今までお世話になっていてほとんど恩を返せないままやめていくことに多少の後ろめたさはあった。
だが、やめる、やめないの二者択一ではないし、選択としてこれ意外ありえなかったし、だからせめて、ちゃんとしてやめたかった。

俺はこの、ちゃんとやめる、てことを人生の中で初めて出来たかもしれない。
小学校を卒業したときも中学のときも高校の部活3年間が終わったときも、大学、専門学校を卒業したときも、こういった物事をきちんと〆るということは何もしなかった。
あー終わるんだなあ。あー終わったー。
これで終わらせていた。だいたいそういうものだと思っていた。人生の節目なんてそんなもんだと。

なんで今回はちゃんとやめれたのかな、てことを考えると、やっぱそれだけ、本気でやったからなんだろう。
下手すると俺がガチで人生を必死こいて生きたのはこの1年半だけだったかもしれない。
それまではずっとネタを生きてるようなもんだった。苦しくてきつくて、心が失速してしまうと、まあそれもありか、とずるずるいってた。ネタみたいな人生に必死になってどうすんの?てのはあったからだ。

でも、仕事や部活ってのは責任をともなうもので、社会性を伴うもので、自分が失敗すれば人に迷惑をかけることになる。
ネタ人生ですからwていう理屈では許される話ではない。
それでも俺は必死にならなかった。ネタでいいだろ、て思った。
だって本気で生きてなかったからね。

でもなあ、アシスタントの仕事だけはやっぱ違ったわ。
自分の好きなことだから、死んでも頑張れるな、て思えた。
絵を描いてそういう仲間と一緒にやっていける、てのは最高に苦しかったけど最高に楽しかった。
すっげー怒られたこともあったし、辛くてやめたいなあと思ったこともあったけど、やめたらなんかむかつくなあ自分に、て思えばポテンシャルの底上げをして再度鬼気迫るテンションで机に向かえた。
死んでもやり遂げよう、なんてあまりいえないんだけどそれに近いテンションはやっぱあったと思うよ。

最後の仕事上がりに先生とチーフアシに挨拶にいった。
なんて言おうか、いろいろと考えたが、「今まで本当にありがとうございました」という言葉と同時に、自然と頭が垂れた。
ああ、これが俺の本音だったのだなあと実感する。

結局アシスタント漬けでこの一年一作も描き上げられなかった。ネームは全部没った。
もう俺に漫画描く資格ねーなーていう諦めはどっかにあった。

けど先生は「描かないの?やめて働きはじめても時間あるだろ。1週間に2回休みあって、1月の間に8日ある。2ヶ月で1作仕上がるだろ。出来るよ。お前ら(アシ全員のこと)時間の使い方下手すぎだからもっと考えろ。俺は出来たよ」
てなことをいってくれた。「俺は出来たよ」これは先生の口癖だ。
「俺でも出来たんだからお前も出来るだろ?」てことだ。
先生は、先生自身がくれた連載の話すら蹴ってやめてく恩知らずの俺にすらまだそんなことを言ってくれた。勇気が沸いてきた。まだ頑張れる、多分死ぬまで。そう思えた。

自分の机を整理して、寝床を片付け、おいていた持ち物を回収して仕事場を出るとき、柄にもなく目頭が熱くなった。
人生の中でやめるときに泣きそうになったのは今回が初めてだ。
苦楽をともにしてきた仲間と、執念と情熱の詰まったこの場から離れるのは辛い、それだけ必死だったからなんだろうかな。
・・・いや、やっぱそうでもないな。ネタだったと思うことにする。

これからはもっとポテンシャルを引き出して行こう。まだ限界じゃないはずだ。まだこんなものが本気だとは思わない。
そうやって過去に区切りをつけていく。

コメント

nophoto
a
2009年1月15日23:31

この日の日記に良いコメントつけたくて、でもうまく思いつかなくて・・・・
というのを繰り返してたらコメント書き込めないスパイラルに陥っちゃって
もう年が明けちまったよ・・・・すまん、すまんこ(笑)

改めてコメント考えたけど、思うのはやっぱり、この一年程のこのブログは読んでて
「ああ、カメさんマジで、大マジで頑張ってんなあ・・・それに比べて俺は(ry」
と思うことが何度もあったってことだな。
それを素直に応援する気持ちは勿論大きいけど、
全力を出し切れない、何事も真剣になれない自分の状況を振り返ると
嫉妬の気持ちもあったかもわかんない。
でも、でも今年は俺も全力を尽くす。今決めた。
この日の日記今読み返して、気合入ったわ。
そっちの健勝も祈ります。では。

カメルーン
2009年1月23日21:54

俺も全力で頑張るよ。互いに切磋琢磨してきましょうぜ。

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