昔の友人と話すとなんか泣けてくるのは僕がオッサン化の一歩を踏み始めてるということなんだろうか。
過去というものは不確定でありながらもどうして生きているのかという意味性を持たせるために重要な要素で、昔の友達てのは自分が確かにそこにいて、その過程を経て現在の自分に至ったのだという存在証明書のようなもんで、もしも、その友達が存在しなかったりするということは同時に自分の記憶の証明となるものが存在しないということになる。
これからオッサンになっておじいさんになるにつれて昔の友達とは疎遠になり、いつかどこかでその友達は死んでしまったりするかもしれない。そうしたとき僕にとっての過去の証明書は抹消されることとなり自分と彼とがすごした「思い出」という現在の自分を象る大切なものも同時に消滅してしまうのかもしれない。僕が死んでしまった思い出をどんなに必死に覚えていて記憶につなぎとめようともそれが本当に「存在」したかどうかを確かめるすべはもうなくなってしまっているのだから。
歳をとっておじいさんになって一番怖いことというのは死んでしまうことそのものじゃなくて、そうやって生きてきた証が少しずつ消えていっていつしか全てなくなってしまってしまうことなんじゃないかな。
大切な記憶がなくなってもう何も思い出せなくなって信じていたものも消えてなくなって、そうやって死んでいくのか。
だからせめて形にして残しておこうと思うんだろうね人間てのは。そうやって歴史は築かれてきたし、そうやって自分が生きた証を記して。
過去というものは不確定でありながらもどうして生きているのかという意味性を持たせるために重要な要素で、昔の友達てのは自分が確かにそこにいて、その過程を経て現在の自分に至ったのだという存在証明書のようなもんで、もしも、その友達が存在しなかったりするということは同時に自分の記憶の証明となるものが存在しないということになる。
これからオッサンになっておじいさんになるにつれて昔の友達とは疎遠になり、いつかどこかでその友達は死んでしまったりするかもしれない。そうしたとき僕にとっての過去の証明書は抹消されることとなり自分と彼とがすごした「思い出」という現在の自分を象る大切なものも同時に消滅してしまうのかもしれない。僕が死んでしまった思い出をどんなに必死に覚えていて記憶につなぎとめようともそれが本当に「存在」したかどうかを確かめるすべはもうなくなってしまっているのだから。
歳をとっておじいさんになって一番怖いことというのは死んでしまうことそのものじゃなくて、そうやって生きてきた証が少しずつ消えていっていつしか全てなくなってしまってしまうことなんじゃないかな。
大切な記憶がなくなってもう何も思い出せなくなって信じていたものも消えてなくなって、そうやって死んでいくのか。
だからせめて形にして残しておこうと思うんだろうね人間てのは。そうやって歴史は築かれてきたし、そうやって自分が生きた証を記して。
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