作家論

2003年6月24日
モラトリアム期間なんていう甘ったるいことを言うツモリはないというより、ありまくりなんだけど大学では大学でしか体験できないようなほんとにゴクありふれた体験が満ち溢れてる。厳しい境遇の中で必死こいて戦うまでの準備期間が存在してることの幸せについていろいろと・・・革命も変革も存在しないモラトリアムの世界では夢見る革命戦士の心は悲鳴をあげてしまうだけなのかもしれないけれど、でも思想と娯楽は実は全然別物だと思うのです。思想家と作家のどっちがえらいかなんてのは不毛なこったと。作家が思想家になる必要はないし思想家が作家そのものになる必要もない。作家にとって思想は一つの客を喜ばすためのスパイスに過ぎないし、本質ではあっても、思想家が作家的なことをやってみせて人を喜ばす行為だって、奴の物語の構造は凄い、なんて一部の人間に評価されて自分の価値を高める一手段の形に過ぎないのではないかな。例えば宮崎駿なんて思想的にとても賛同できるようなことはやってないんだけど、面白いものは面白いのだから物語の思想傾向に文句はいっても作品そのものを否定する理由はどこにもないよね。思想的なことと物語的なことは違うものだし、この構造が凄い、なんて深読み君が喜びそうな物語をやったって面白くなけりゃ物語に意味はない。(と惑星の市民氏も語っている)岩波文庫ででも俺はこう思うがどうよ?なんて具体的に語ってたほうがましだ。思想が薄っぺらかろうと共産主義だろうと面白いものは面白いし、どんなに崇高な構造主義的な作品が誕生しようともそれは一つのスパイス以上の意味は物語上では意味をなさないと俺は思う。

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