人は自分以外の人間が存在することを証明できない、と言われる、それの意味するところは、自分がこの世からいなくなった場合に自分にとっての世界がなくなるということは=主体の消えた世界がそもそも存在するわけがない、それは世界そのものの終末である、ということになるわけだ。自分が存在しない世界をどうして人が知覚できようか、ということだろう。僕にとっての世界とはセカイでありセカイが終われば世界も終わる。(主体の終わり

では前に書いたように自分の子孫を残すことに何の意味があるのだろう。僕は自分に似た全くの他人に無常の愛を注ぎ、僕の意志でも受け継いでもらうつもりなのか。しかし彼は僕そのものには決してなれるわけもなく、そもそも彼の中に僕は存在しない。僕は彼にはなりえない。彼の中にある僕、というイメージが存在するだけだ。それが人の意志を継ぐ、ということみたいだが、それは困る。

死んだらどうなるのか?神というのは実は僕たちの意識体の総称を指すのかもしれない、とか、そもそも時間という概念はかなり不確かなものじゃないかとか、それらをひっくるめて「始まり」と「終わり」に縛られているのは欺瞞に過ぎないのではないか、とか、実は時間なんて存在しなくて現在という存在が断片的に積み重なっているだけなのでは、とか、そのもの全てに限界があり逆説であるきがする。逆説だって所詮シニカルな様に過ぎなくてそれがいずれ具現化すると価値観も反転し、それが世の主軸となる。それの繰り返しが世界の歴史。宇宙の歴史にもなるんだろうか?

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