博多を徘徊した。
敵が一杯いると感じた。
敵はどこだ。
敵はどこに逝った?
敵は某国ですか?敵は隣人ですか?
敵はカルト団体ですか?敵は自分自身ですか?
敵は家族ですか?敵は監視社会ですか?
敵は存在そのモノですか?
でも俺って世界平和のために戦うよ、というスタイル。
立派だな。
ほんとにそうなのかは知りませんが。

俺の夢は世界平和。(無理)
俺は自分のことで精一杯。他人のことなんて知ったこっちゃネエ(嘘つけ、寂しいくせに)
どっちでもいいんだけどね。
でもこの辺が分からない。
知識人の論壇を見ていると、なんか2ちゃんの煽りあいと一緒だしね。向こう側の揚げ足取は幾らでもやるのにこっちの具体案はと言えばどっかで聞いたようなナショナリズムやらグローバリズムやら、自分達で二極対立じゃないんだ、とか煽っておきながら反米か保守かのどっちかしか見てないし、俺はどっちでもないよ、と主張してるサヨクな人とかゥヨクな人を見てると、結局自分のプライドだけかよ、て。
なんだかな〜。

それで若者よ、立て!
とか言ってもほんとに敵なんているのか?て思ってしまう。
無理矢理、敵を作って内ゲバやってりゃ世話ねえよ、て。

まあでも、そりゃ敵はいるだろうね。
自分らの心の中に、幾らでも。
そしたらそりゃ戦争もはじまるわな。
そのときになって、ホラやっぱり敵はいましたよ、
と宣言してまた頭の悪い我々を先導してくれるのもあの人たちなのかなあ?そして頭の悪い我々は、やっぱり敵がいたのだと自覚してまた駆逐作業に移るのかしら。生きてる以上あたりまえの作業だけれども、そんなこと考えてるとオマエは何派だ?みたいなことやること自体に意味が見出せない。

引きこもることは良くない、外に出よというのが僕自身の認識でもあるのだけれど、多分引きこもりの人たちは動くこと自体に意味がない、てことを本能的に分かってるんだと思うのです。

例えば何もかもがうまくいったとして、
社会に認められて、ちやほやされて、
使い物にならなくなったら、捨てられる。

というのが現実なら、どうして夢物語みたいなことばかり言うのか。

イデオロギー批判がいつの間にか人格批判になってたりさ。
あれってプロレス的なことやって煽ってるだけなのかなあ?

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