アガペー?

2007年5月19日 エッセイ
恥ずかしい話だけど愛について考えてみる。
「ラブアンドピース」だの「愛さえあれば他に何もいらない」だとか「愛とお金どっちが大事?」だとか「愛はきっと奪うでも与えるでもなくて気がつけばそこにあるもの」だとか「愛があるからきっと大丈夫」だとか聞くんだけど、俺にとっちゃどれもあまりぴんと来ない使用例ばかりだったりする。

アガペー的な自己犠牲愛を愛の定義と考えると「愛があれば全てよし」という思考プロセスはどうにも楽観的過ぎて現実感がなく空虚であるし、「愛を貫徹する」というのもディスコミュニケーションやら自己実現的な問題を考えるとストイックすぎて人間の本能を逸脱してるといわざるをえないと思う。
そんな出来るかどうかも分からない(ていうか基本的にファンタジー)万能単語の「愛」をよくもまあ恥ずかしげもなくミュージシャンやら物語作家の人らは使うよなあと、斜めに構えていた時期が俺にもありました。

親が子供をいつくしむ愛は子孫を残したいという本能であって愛というにはどこか打算的であるし、誰かとセックスしたいというのも上に同じく、愛し、愛されたいという感情は相互扶助という商売関係に過ぎないからアガペーには程遠い。理屈でいえば。(もちろん本当は信じたいし信じてるけどね)

こういう風に否定神学風に幻想的に究極的な愛(アガペー)を解釈していくとつまるところ愛というのは現象であって人間の内面にもともとあるものではないんじゃないだろうかと思ってしまう。

非常にメタフィクショナルなんだけどその現象を観測している人間がいて初めて成立しうるというかね。
あるかどうかも分からない、というかありもしない透徹した生き方を信じて生きるというのはドンキホーテ的でとても切なくなる。でも信じてないと生きてることそれ自体がやってらんなくなったりもする。

「愛はきっと奪うでも与えるでもなくて気がつけばそこにあるもの」ていうミスチルの歌はある意味的を射てんのかな。そこにあるんだ、あったんだ、と気づくことが出来れば結果としてそれは愛だったんだと解釈することは出来る。
うん…さすがだなあ桜井さんは。
頭の悪い俺が理屈をうだうだこねくり回さないと出ない結論をあっさり軽やかに歌詞にしてしまうとは…w

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