誰と比べて

2006年1月27日 日常
・自殺した人間とか年端も行かないうちに死んじゃう人とか見て周りの人が悲惨だネエ、とかなんて不幸なとか噂したりするんだけどその人の人生が本当に辛いものだったか不幸だったかなんてわかるわけないだろう。本当は生きるのめんどくさくて死んだだけかもしんないしやっと涅槃に飛べるぜやっほーいとノリノリで死んだかもしれない。勝手に感傷に浸って泣いたり同情したりするのはなんだかそういう人たちに対して失礼な気がしないでもない。まあどうせ死んでるんだから生きてる奴らが何やろうがもうなんも影響ないんだけど。

・自分と比べてその人物が不幸だとか周りと比べて自分がどうだ、とかそんなものを確認して安心してる。俺の夢はどーのとか夢をかなえるために覚悟を決める、だとか言いながら俺の現状を確認しに来て安心してる奴を見ると胸糞悪くなってくる。俺は現実を認知した、おまえもさっさと認知してこちら側(社会)に回れだとか、夢は追うものだから「一緒に頑張ろうぜ」とか言ってキンモイ擦り寄りする奴を見ると勘弁してくれよと思う。なーにが「一緒に」だボケが。

そのくせオンリーワンだとか個性だとか言ってる。ぶん殴りたくなるんだけどそんな暑苦しい自分がもっと嫌なので丁度いい具合にだよねーと賛同しながらも遠まわしにプチプチ攻撃してみたりする。夢だとか現実だとかそういう二極化した「覚悟」なるものを決めんでもやれる奴はやれるしやれない奴はやれんでしょうに。夢とか目標とか決めた時点でもう人生終わってる気がする。それってブルジョワの自己陶酔そのものじゃん。「やれる奴」は頭の中でそういう理屈捏ね回さなくてもやれるんだから。考える前にそこに到達してるはずなんだから。そういう奴は自分が満足か不満足かだとか気づく前にもう死んでるはずだから。だからつまりこういう文書を書いてる葛藤自体が馬鹿らしい。暇な証拠

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