東京の友人から唐突に電話がかかってきた。彼は出会い系のサクラのバイトを今、執行中らしい。要するに詐欺だ。その詐欺をさも誇らしく語る彼はつまりもう「そっち側」の人間になったとしか言い表しようがない。
が、そのとき僕はそれを否定も批判も肯定も出来なかった。その活動の一体どこに狂気が潜んでいるのかをロジカルに組み上げられなかったからだ。ある人なら、本当に彼を友人だと思うのなら怒ってでも止めてあげるのが筋だろう。というだろう。でもところで彼にどういう落ち度があって、どういう罪(法的な意味でなく根源的な)があったのかと問われると答えようがない。
彼は、向こうも騙されているのはわかってやっているし、こちらもそれは承知の上でメールを交換している。彼らはお金持ちだからそれから搾取する活動の何が悪いのか、だからこれは詐欺ではない、というわけだ。
彼は詐欺を狂気として認識し、その狂気から逃れれるために詐欺じゃない活動としての意味を構築した。まるで、そうであるかのように見えるけど詐欺は詐欺だ。でもじゃあ、その詐欺の一体どこがまずいのかな、と思っちゃったりするわけだ俺は。
ある意味で卑怯だろう。
何故なら少なくとも僕はそういう類の仕事を何処かしら毛嫌いしているからだ。毛嫌いの本質は「嘘をつく人間が許せない」という生理的な嫌悪感からだ。が、世の中が欺瞞で成り立っていて、この社会そのものが悪だと実感している身として、その程度の小悪党的な活動に一体どのくらいの罪があるのかなんて検討もつかない。人は生きている以上罪を重ねていくものだし。ただ、生きて空気を吸っているだけで空気中の微生物を殺していく、食事するだけで生き物を殺す。
知的生命体である人を殺戮することそのものにも一体何の罪があるのかなんてわからない。ただ、あるのは嫌悪感だけだ。狂気のパラダイムで構成された擬似人格の似非善良な人間の抑制機能だけが嫌悪感の正体。
人間は一度コミットしてしまえばその狂気の狂気性に一体何の罪があるのかわからなくなり、結果的に間違えているとわかっていても、自己肯定の罠に引っかかる。そして狂気に染められ狂気に沈むけど、じゃあ今ここにある現実の、まっさらな罪なき現実(のように見える)の何処が狂気じゃないのかと言われると、それも答えようがない。ただ、俺を君色に染め上げようとしないでください、としかいえない。
あの時僕が、生理的な嫌悪感だけで、それは詐欺だし、悪いことだ、そんなのやめちゃいなさいよ、と言えば彼とは多分喧嘩になっていて、もうお前とは友達じゃねーよ、みたいになったかもしれない。それでも彼のことを思うのならとめるべきだっただろうか?でもとめたところで、彼のその後の人生が一体どのように肯定的な人生になるのかなんて、僕にはわからなかったので、言えなかった。彼には夢があるのだし。でもまあ夢なんて多分、代替可能な生きる希望の残骸でしかないと思うんだけどね。
が、そのとき僕はそれを否定も批判も肯定も出来なかった。その活動の一体どこに狂気が潜んでいるのかをロジカルに組み上げられなかったからだ。ある人なら、本当に彼を友人だと思うのなら怒ってでも止めてあげるのが筋だろう。というだろう。でもところで彼にどういう落ち度があって、どういう罪(法的な意味でなく根源的な)があったのかと問われると答えようがない。
彼は、向こうも騙されているのはわかってやっているし、こちらもそれは承知の上でメールを交換している。彼らはお金持ちだからそれから搾取する活動の何が悪いのか、だからこれは詐欺ではない、というわけだ。
彼は詐欺を狂気として認識し、その狂気から逃れれるために詐欺じゃない活動としての意味を構築した。まるで、そうであるかのように見えるけど詐欺は詐欺だ。でもじゃあ、その詐欺の一体どこがまずいのかな、と思っちゃったりするわけだ俺は。
ある意味で卑怯だろう。
何故なら少なくとも僕はそういう類の仕事を何処かしら毛嫌いしているからだ。毛嫌いの本質は「嘘をつく人間が許せない」という生理的な嫌悪感からだ。が、世の中が欺瞞で成り立っていて、この社会そのものが悪だと実感している身として、その程度の小悪党的な活動に一体どのくらいの罪があるのかなんて検討もつかない。人は生きている以上罪を重ねていくものだし。ただ、生きて空気を吸っているだけで空気中の微生物を殺していく、食事するだけで生き物を殺す。
知的生命体である人を殺戮することそのものにも一体何の罪があるのかなんてわからない。ただ、あるのは嫌悪感だけだ。狂気のパラダイムで構成された擬似人格の似非善良な人間の抑制機能だけが嫌悪感の正体。
人間は一度コミットしてしまえばその狂気の狂気性に一体何の罪があるのかわからなくなり、結果的に間違えているとわかっていても、自己肯定の罠に引っかかる。そして狂気に染められ狂気に沈むけど、じゃあ今ここにある現実の、まっさらな罪なき現実(のように見える)の何処が狂気じゃないのかと言われると、それも答えようがない。ただ、俺を君色に染め上げようとしないでください、としかいえない。
あの時僕が、生理的な嫌悪感だけで、それは詐欺だし、悪いことだ、そんなのやめちゃいなさいよ、と言えば彼とは多分喧嘩になっていて、もうお前とは友達じゃねーよ、みたいになったかもしれない。それでも彼のことを思うのならとめるべきだっただろうか?でもとめたところで、彼のその後の人生が一体どのように肯定的な人生になるのかなんて、僕にはわからなかったので、言えなかった。彼には夢があるのだし。でもまあ夢なんて多分、代替可能な生きる希望の残骸でしかないと思うんだけどね。
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