ISBN:4063613615 コミック 古谷 実 講談社 2005/08/05 ¥560

前提として9月15日の日記読まないと意味わかんないかもしんない。
実は単行本持ってない。立ち読みで全部済ませた。買って読みたいほどに面白い漫画でもないし、全編にわたって不愉快さを意図的に描いてる漫画なので真剣に読むとZガンダム並の不愉快さを許容しなくちゃ読んでられなくなる。にもかかわらずなんで今、レビュー書いてんのかというとパズルのピースがきっちりはまり込むようにこのシガテラと前作のヒミズの作品としての意義がわかったからで、面白いから読んでよ、てわけで書いてるわけじゃない。ヒミズとシガテラは悪意を探索するという命題において対をなす作品だ。

ヒミズにおいての悪意とは外部に存在(であるかのように)し、主人公は悪の存在を駆逐すべく活動をする。心象的トラウマを抱える青年は自分に巣食う悪の遺伝子を呪い、その上で悪である自己と同じ悪を葬った上で死のうと決意するわけだ。しかし、対象としての悪や絶望など何処にも、この日常世界には存在しないことを知り、自身の何処にもない悪意を探索しつづける心こそ、絶望であることに気づき自殺する物語である。死ぬ直前に彼は彼女と結婚し、子供を育て、そして死ぬという「普通の幸せ」の未来を夢想するが、「悪」の存在しないその幸せの世界は自殺を引き止める理由にはなりえなかった。なまじ青年が悪意を直視してしまったがために引き起こされた自殺で物語は結末を迎える。

その対としての作品であるシガテラはヒミズの真逆をいく物語だ。「悪」は自身の中にこそ存在し、そのシガテラの毒によって回りの人間はどんどん不幸になっていく(かのように見える)という構造をとるが、ヒミズで描かれた、外側には「何もないこと」の絶望とは違い、こちらは実際的には外側に悪意が渦巻いている。反証的な考察もヒミズとは対照的であり、あくまで自傷的であり、外部よりも内部にこそ悪の根源があるのではないか、という思春期にありがちなくだらない自意識にとらわれている。そういう、ちょっと気の弱いオトコノコがこの物語の主人公である。そして自身こそ悪意の象徴ではないかと疑う彼は「絶望がある」という認識を捏造し、悪というシガテラから目をそむけ、直視しなかった。彼には少年時代苛めにあったという小規模のトラウマがバックボーンとして存在した。本当は「何もないことの絶望」を直視することをあえて、避けた。その結果として死なずに済むが、最終回ではあっさりとそれまで培ってきた、トラウマ的日常性を全否定する台詞が挿入されることになる。「僕はつまらない人間になった」(この一言だけでこの作品の意義がある、それまではすんげーつまんなくて古谷は何がやりてーんだよボケが、とか思ってたけど見直した)。悪意を模索しつづけた日々に見切りをつけ動物化(笑)した彼はその後の腐りきった死に損ないの日々をシガテラそのものであるかのように生きていく。

コメント

nophoto
ニックネーム無し
2006年5月13日21:05

「すんげーつまんなくて」「不愉快さを意図的に」か。
ふー。わかってないな。ばか。
無知の知って言葉があるけど・・あーやっぱりかくのやめた。   めんどくせー。お前風情に。精神的にガキ。
おはなしにならないな

カメルーン
カメルーン
2006年5月14日2:01

ちゃんと読み込んでないので俺論の押し付けみたいになってるだろうな、とは思ってますね。
あたかもこれこそ古谷の言いたかったことだ、みたいに偉そうに書いてるのがいかにも頭が悪く見えると指摘されるのはよくわかります。

ソクラテスの無知の知くらいは知ってるけど、だからなんだという話ですよね。
つか今読むとわけわかんないな。文脈もおかしいし。相当頭悪いよな。この文章書いた奴は死んだほうがいいな(ゲラゲラ

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