女のヒステリーてなんで起こるんだろうな。多分単純明快に書けば、抑圧された精神の解放とか発奮とかそんなのが一気に爆発するようなのが女のヒステリーの正体なのだろう。心理学勉強してないから体系だててはわかんないけども。
で、男衆のたいてはこの女特有のストレスの開放に嫌悪感を示す。こんなやばい女と付き合いたくない、と言い出す。でも考えてみればヒステリーもちでない女を捜すほうがずっと難しい。突如として情緒不安定にならない女のほうを見たことがないよ俺は。BLOGを見て回ってみれば大体わかるけど、女は男のヒステリーに対する不寛容さとか気心の配慮のなさにぶちきれてるし、男は女のヒステリーにむかついてるし、自意識過剰っぷりに腹を立てている。
僕の友人はそろって「女は云々かんぬん・・・」とぶちぶち文句たれるし、つくづく思うんだが、もう駄目なんじゃねーか「恋愛」というやつは、と思えてくる。
誰だよ、恋愛はすばらしいとか抜かしてるハナクソはまったく。
何でこうも恋愛がうまくいかなくなったかの理由はやっぱり単純明快で、もともと人間がそうであるから、だとしか思えない。動物を見てもわかるけど♂は♀とセックスするだけすればさっさとまた別の♀の元にセックスしに行くわけだ。これが動物の原理で、そこに結婚だとかカップルなどというシステムは介在しない。つまり男はあっちこちとセックスしたくなるわけで女がいちいちそこに独占欲を出したり、女があっちやこっちの男とギシアンしてたところでそれを制限する権利も男にはない。ただ、そうしたもともと人間にある本能と相反する形で制度が義務付けられているに過ぎない。
フーコーは人間はみんなゲイになるべきだと主張する。本来的に見れば人はあらゆるものに性衝動を感じる生き物なのだそうだ。それが制度や教育システムによって去勢された結果としてロリコン駄目、近親相姦駄目、ゲイ駄目、死姦駄目、スカトロ駄目、触手駄目、強姦駄目、ネコミミ駄目、とかそういった「狂気」が誕生したのだという。(若干変なのが混じってるが気にするな)「駄目なもの」を誕生させることによってもともと容認されていた動物的な感性は「狂気」という形で社会からスポイルされてしまい、そしてその制限を捏造された「狂人」が疎外されたまま現代にいたる。もともと古代ギリシャのアテナイでは普通に同性愛がまかり通ってたらしいですよ。
現代の萌えオタク文化の誕生もこういった抑圧された性への欲望が表面化しただけの話だといえるだろう。想像力ならぬ、妄想力の足らぬアメ工どもの共同体は有名人が自己アピールしたいがためにゲイをカムアウトするという、悲惨を極める病理社会に没入してるわけだが。
非モテのルサンチマンとか以前に人間一人一人に表面化してきた自意識(自我)がそもそも異性を拒絶するように出来てしまってるのだろう。人間は本来的に、ある特定の人間を愛すようには出来ていない。にもかかわらず結婚があるのは、そうでないと寂しくて生きられないからだ。自分と思い出を誰かと一緒に共有したいからだ。病気したときとかに誰かにそばにいてほしいからだ。でも、間違えてもそこに「お前は俺の自意識(苦労や不幸、思想)を理解しろ」という品性もクソもない「相互理解」の押し付けを挿入してはならないと思う。そんなことをすれば人はまたくだらない敵愾心を異性間の間で勃発させることとなる。
そんなことやる暇があるならエロゲーやれ、と。そういうことだ。胡散臭い自意識にトラウマの捏造くらいはしてくれる便利なツールだ。使わない手はない。自分の抑えられない醜い自意識の欲望は仮想現実に投げ出してしまえ。せめて人の前にたつときくらいハイソなセクシュアリティをもって接すべきだろう。僕たちに必要なのは仮想現実と現実の相互補完であり、決して幻想的で破滅的な永遠の愛を奏でることじゃあないと思う。
で、男衆のたいてはこの女特有のストレスの開放に嫌悪感を示す。こんなやばい女と付き合いたくない、と言い出す。でも考えてみればヒステリーもちでない女を捜すほうがずっと難しい。突如として情緒不安定にならない女のほうを見たことがないよ俺は。BLOGを見て回ってみれば大体わかるけど、女は男のヒステリーに対する不寛容さとか気心の配慮のなさにぶちきれてるし、男は女のヒステリーにむかついてるし、自意識過剰っぷりに腹を立てている。
僕の友人はそろって「女は云々かんぬん・・・」とぶちぶち文句たれるし、つくづく思うんだが、もう駄目なんじゃねーか「恋愛」というやつは、と思えてくる。
誰だよ、恋愛はすばらしいとか抜かしてるハナクソはまったく。
何でこうも恋愛がうまくいかなくなったかの理由はやっぱり単純明快で、もともと人間がそうであるから、だとしか思えない。動物を見てもわかるけど♂は♀とセックスするだけすればさっさとまた別の♀の元にセックスしに行くわけだ。これが動物の原理で、そこに結婚だとかカップルなどというシステムは介在しない。つまり男はあっちこちとセックスしたくなるわけで女がいちいちそこに独占欲を出したり、女があっちやこっちの男とギシアンしてたところでそれを制限する権利も男にはない。ただ、そうしたもともと人間にある本能と相反する形で制度が義務付けられているに過ぎない。
フーコーは人間はみんなゲイになるべきだと主張する。本来的に見れば人はあらゆるものに性衝動を感じる生き物なのだそうだ。それが制度や教育システムによって去勢された結果としてロリコン駄目、近親相姦駄目、ゲイ駄目、死姦駄目、スカトロ駄目、触手駄目、強姦駄目、ネコミミ駄目、とかそういった「狂気」が誕生したのだという。(若干変なのが混じってるが気にするな)「駄目なもの」を誕生させることによってもともと容認されていた動物的な感性は「狂気」という形で社会からスポイルされてしまい、そしてその制限を捏造された「狂人」が疎外されたまま現代にいたる。もともと古代ギリシャのアテナイでは普通に同性愛がまかり通ってたらしいですよ。
現代の萌えオタク文化の誕生もこういった抑圧された性への欲望が表面化しただけの話だといえるだろう。想像力ならぬ、妄想力の足らぬアメ工どもの共同体は有名人が自己アピールしたいがためにゲイをカムアウトするという、悲惨を極める病理社会に没入してるわけだが。
非モテのルサンチマンとか以前に人間一人一人に表面化してきた自意識(自我)がそもそも異性を拒絶するように出来てしまってるのだろう。人間は本来的に、ある特定の人間を愛すようには出来ていない。にもかかわらず結婚があるのは、そうでないと寂しくて生きられないからだ。自分と思い出を誰かと一緒に共有したいからだ。病気したときとかに誰かにそばにいてほしいからだ。でも、間違えてもそこに「お前は俺の自意識(苦労や不幸、思想)を理解しろ」という品性もクソもない「相互理解」の押し付けを挿入してはならないと思う。そんなことをすれば人はまたくだらない敵愾心を異性間の間で勃発させることとなる。
そんなことやる暇があるならエロゲーやれ、と。そういうことだ。胡散臭い自意識にトラウマの捏造くらいはしてくれる便利なツールだ。使わない手はない。自分の抑えられない醜い自意識の欲望は仮想現実に投げ出してしまえ。せめて人の前にたつときくらいハイソなセクシュアリティをもって接すべきだろう。僕たちに必要なのは仮想現実と現実の相互補完であり、決して幻想的で破滅的な永遠の愛を奏でることじゃあないと思う。
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