DVD バンダイビジュアル 1999/06/25 ¥5,250 カンヌ映画祭で好評を博した北野映画第6作。シンジとマサルの2人は高校時代の友人。ヤクザに憧れるマサルはケンカに強くなろうとシンジを誘ってボクシングジムに入る。しかし、認められたのはシンジであり、けんか気分の抜けないマサルはジムを飛び出して、ヤクザの世界へと足を踏み入れる。 それぞれの世界で、彼らは大人の醜さと彼ら自身の未熟さを思い知ることに……
HANA-BIを散々好きだといっておきながら武映画では実はこれが一番好きかもしんない。一番最初に観た北野フィルムがこれだった。高校生の挫折人生真っ只中の頃に見たから思い出深いという意味でも好きなんだよね。分かりやすいし。単純な挫折と再生の物語。
セカイ系的な全能感とも違う、もっと単純な男なら誰でも夢見るであろうでっかくなってやろうという夢の挫折。マサルとシンジの関係の反転と修復の部分が面白いよね。
シンジサイドのエピソードは個人的なもので、多分単純にシンジはボクシングとかに興味なくてマサルと面白おかしく馬鹿をやっていきたかったんだろう。
マサルはそのシンジの兄貴分でありつづけるためにヤクザとして社会的な上位を保ちたかったんだと思う。
要するに互いの関係性を保ちつづけるが為の変化(夢)だったのに結局二人とも同時に挫折して後に残ったものはガキの頃の思い出だけ(つまりこれこそが夢の達成)という再生の段階へと帰結していく。
「俺たちもう終わっちゃったのかなあ?」「馬鹿野郎!まだ始まってもいねえよ!」てのは世の中に散乱するたくさんの負け犬たちへの賛歌だよなあ・・・
たぶんね、こうやって生きていって、爺になってから俺たちアホだったよな、てシニカルにでなく楽しく笑いながら語るのは悪かねーはずなんだよ。で、また馬鹿やらかして、アホな思い出をどんどん積み重ねていけばいい。大人になることは、これからも、もっとみっともないことやることなんだ、て思いたいなあ。絶対に何もかもをあきらめて賢いふりした冷笑的な大人にだけはならないでいきたい。死ぬまで馬鹿は馬鹿なんだから馬鹿のままでいいはずなんだ。授業中の学校に向かって「おーい馬鹿いるかー」ていえる、そういった開き直りてのは大事だろう。いくら言語で武装したって脳細胞が増えるわけじゃないんだしw
HANA-BIを散々好きだといっておきながら武映画では実はこれが一番好きかもしんない。一番最初に観た北野フィルムがこれだった。高校生の挫折人生真っ只中の頃に見たから思い出深いという意味でも好きなんだよね。分かりやすいし。単純な挫折と再生の物語。
セカイ系的な全能感とも違う、もっと単純な男なら誰でも夢見るであろうでっかくなってやろうという夢の挫折。マサルとシンジの関係の反転と修復の部分が面白いよね。
シンジサイドのエピソードは個人的なもので、多分単純にシンジはボクシングとかに興味なくてマサルと面白おかしく馬鹿をやっていきたかったんだろう。
マサルはそのシンジの兄貴分でありつづけるためにヤクザとして社会的な上位を保ちたかったんだと思う。
要するに互いの関係性を保ちつづけるが為の変化(夢)だったのに結局二人とも同時に挫折して後に残ったものはガキの頃の思い出だけ(つまりこれこそが夢の達成)という再生の段階へと帰結していく。
「俺たちもう終わっちゃったのかなあ?」「馬鹿野郎!まだ始まってもいねえよ!」てのは世の中に散乱するたくさんの負け犬たちへの賛歌だよなあ・・・
たぶんね、こうやって生きていって、爺になってから俺たちアホだったよな、てシニカルにでなく楽しく笑いながら語るのは悪かねーはずなんだよ。で、また馬鹿やらかして、アホな思い出をどんどん積み重ねていけばいい。大人になることは、これからも、もっとみっともないことやることなんだ、て思いたいなあ。絶対に何もかもをあきらめて賢いふりした冷笑的な大人にだけはならないでいきたい。死ぬまで馬鹿は馬鹿なんだから馬鹿のままでいいはずなんだ。授業中の学校に向かって「おーい馬鹿いるかー」ていえる、そういった開き直りてのは大事だろう。いくら言語で武装したって脳細胞が増えるわけじゃないんだしw
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