小説家を志す青年とガストで4時間くらいぶっ通しでしゃべった。なかなか賢い青年であんぽんたんな哲学考察にも割りと的確に反応してくれた。賢いが、まだ若いらしく何かコミュニケーションをあきらめ切れてない部分を感じた。
自己と他者との間にある圧倒的な断絶と、かすかに断片的な疎通に「縁」があるのだとか逝っていた。その話はわかる。不可知論は何も、すべてについてわれわれは知りえないと逝っているわけではなくて、世界そのもの、つまり客観そのものを知らないといっているだけなのだ。そのものではなく、その断片はたぶんそこにあって、だからどこか断片と断片はつながっていて、それが人と通じ合う、という幻想ではあるけどわずかな救いを生むのだと思う。
青年は自分の友人をものすごく自慢していて、誇りに思っているふうだったので俺はそんなに故郷の友のことを好きだっただろうか・・・とか疑念をもったけれど故郷の友人についての反駁談義(w)をしてみたところ思いのほか楽しく友人について語れた。
重要な部分はここであって、つまり僕はこんなにも佐賀の友人たちのことを好きだったんだなあということが確認できたのがうれしかった。僕は誰にも興味がもてないのじゃないかとつい昨日まで考えていたけど少なくとも昔、確かにそこにいた僕と時間を共有してくれた友人たちのことを話すのはとても嬉しくて、懐かしかった。青年は僕の友人の話にはあまり興味のなさそうに話を聞き入っていたけど、そんなこととは関係なく、山形に心理学を学びに行った友達や東京でがんばってる友達、佐賀で銀行員やってる人、宮崎で個人的にアニメ作ったりする友達について話すことで、僕がいかに彼らのことを好きだったのかということを確認できたのがとても大きなことだと思える。
ただ、その時間にそこにいて、同じ思い出を共有した仲間がいてくれることがこんなにも自分を慰めてくれるものなのだとわかったのは、それはとても幸せなことだと感じた。
自己と他者との間にある圧倒的な断絶と、かすかに断片的な疎通に「縁」があるのだとか逝っていた。その話はわかる。不可知論は何も、すべてについてわれわれは知りえないと逝っているわけではなくて、世界そのもの、つまり客観そのものを知らないといっているだけなのだ。そのものではなく、その断片はたぶんそこにあって、だからどこか断片と断片はつながっていて、それが人と通じ合う、という幻想ではあるけどわずかな救いを生むのだと思う。
青年は自分の友人をものすごく自慢していて、誇りに思っているふうだったので俺はそんなに故郷の友のことを好きだっただろうか・・・とか疑念をもったけれど故郷の友人についての反駁談義(w)をしてみたところ思いのほか楽しく友人について語れた。
重要な部分はここであって、つまり僕はこんなにも佐賀の友人たちのことを好きだったんだなあということが確認できたのがうれしかった。僕は誰にも興味がもてないのじゃないかとつい昨日まで考えていたけど少なくとも昔、確かにそこにいた僕と時間を共有してくれた友人たちのことを話すのはとても嬉しくて、懐かしかった。青年は僕の友人の話にはあまり興味のなさそうに話を聞き入っていたけど、そんなこととは関係なく、山形に心理学を学びに行った友達や東京でがんばってる友達、佐賀で銀行員やってる人、宮崎で個人的にアニメ作ったりする友達について話すことで、僕がいかに彼らのことを好きだったのかということを確認できたのがとても大きなことだと思える。
ただ、その時間にそこにいて、同じ思い出を共有した仲間がいてくれることがこんなにも自分を慰めてくれるものなのだとわかったのは、それはとても幸せなことだと感じた。
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