1、2のテキストをまとめると「強者は優しく、そして強欲でなければならない」ということになる。これがヒーローものの物語が描く理想のヒーロー像(強者像)だろう。

しかし現実問題として強欲かつやさしい人間というものは実在し得ない。論理的に矛盾しているからだ。
いかにして他人を出し抜き、蹴り落とすのかが強さの定義であり、生き抜くための根源原理であるといえる。つまり生命力。生命力とは欲望の比率。

強欲であるほどに人は強くなれるし、強くなるということはやさしくなくなる、ということだ。やさしいということは他人の成功を祈り、嫉妬をせず、祝福の言葉をかける寛大さを意味する。寛大であるということは欲望しないということだ。自分の欲望を抑制する心。実に日本人的なつつましさだろう。だけどもこれが欲望しないということの「弱さ」へとつながる。

この相反する二つの欲望とやさしさをいかに止揚しうるのだろうか。物語のドラマツルギーは欲望とやさしさの化身であるヒーローをしばしば登場させ、いわゆる「悟り」という絶対正義の元に世界を楽園へと改変させてしまうが、事実上の問題としてこの欲望とやさしさを持ち合わせたヒーローがこの世に生れ落ちたことがあるのか、非常に疑問に思う。

※たとえば本質的に善人であっても組織やジャンルのトップに立てばいろいろな人間に嫌われるのは必然だろう。結果として亡者(強欲者)でなくても亡者の選択肢をとらざるを得ない。とらなければその人間にはトップに立つ資格はない。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索