信仰があるから強いのではなくて
無神論だから弱いのでなくて

貧しいから信仰にすがるしかなくて
裕福だから信仰の必要がない

結果として、強い、弱いが決定されるんじゃなかろうか。どうも僕はニヒリズムというものは生きるのがめんどくさくなった弱者の言い訳にしか思えなくなってきた。

貧しくていっぱいいっぱいの人間は真理を追いかける必要性もないのだろう。どちらが生き物として上位、てのはないんだがより生命として強く生きているのは皮肉にも常に死が隣りあわせである人間であるというのが悲惨だ。その上でその人間の哲学が立派ならさらにうれしいのだけど、えてしてそれらの人間は信仰者であって他者にもその強引な哲学を強要しようとする。人それぞれの独立性を考慮しない。自分の主体性は大事にするのに。

僕にとっての個人的なマッチョイズムへの憧憬はこういった理由で遮断されているのかもしれない・・・いや、これも所詮ロジックだ。それを突き破って罪人として生き抜こうという欲望がそもそも足りないんだな。生まれたときから満たされているから、これ以上満たされたい思いが生じないんだ。そして擬似的なトラウマで今日もセカイ系でプチ不幸を満喫中。

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