ちらしの裏2
2005年5月3日クラナドとFateに対してONEや月姫ほどの衝撃を受けられなかった僕ですが、どーしてそうなのかが長らく分からなかった。でもようやく分かった。
要は二作ともビジュアル的にセカイ系じゃなくなってるからなんだろう。映像が綺麗になり、場面が明確になり、サウンドは繰り返しじゃなくて抑揚のある映画音楽のような趣になったけれど、もともとゲーム(ビジュアルノベルに留まらず)という媒体は開かれてしまうとゲームでなくなってしまうものだったのではないかと思う。ビジュアルの強化による視野の広がりが向こう側の社会を見せることになり、その結果、オタク防壁が瓦解したのではないかと。クラナドはいろんなキャラが登場したためにいろんな優しい人たちの社会的な助けがあるのでセカイ的でなくなったし、Fateはビジュアルが強化されたために、遠坂先生による舞台説明以外の奈須の文章の必要性をほとんど感じられなかった。正直、演出過多に陥ってる(と思ったのは漏れだけか?)
対してONEと月姫はと言えば、音楽がしょぼいので壮大さの欠片もなく、映像が粗雑なので場面場面の断片は俺脳内補完的であり、説明過少なのでアナザー設定満載。意図的にでなくともセカイ系の箱庭構図が完成する。セカイ系の台頭は実は意図してではなくて、偶発的な部分もあったんかなあと今さら思う。麻枝も奈須もセカイ系じゃなくて世界を見てるつもりだったけど単にツールがしょぼかったためにオタク救世主としてセカイ系に組み込まれちゃっただけの人たちなのかなと。で、それがどーなる、という話になると知識不足でなんも胃炎のですが。
要は二作ともビジュアル的にセカイ系じゃなくなってるからなんだろう。映像が綺麗になり、場面が明確になり、サウンドは繰り返しじゃなくて抑揚のある映画音楽のような趣になったけれど、もともとゲーム(ビジュアルノベルに留まらず)という媒体は開かれてしまうとゲームでなくなってしまうものだったのではないかと思う。ビジュアルの強化による視野の広がりが向こう側の社会を見せることになり、その結果、オタク防壁が瓦解したのではないかと。クラナドはいろんなキャラが登場したためにいろんな優しい人たちの社会的な助けがあるのでセカイ的でなくなったし、Fateはビジュアルが強化されたために、遠坂先生による舞台説明以外の奈須の文章の必要性をほとんど感じられなかった。正直、演出過多に陥ってる(と思ったのは漏れだけか?)
対してONEと月姫はと言えば、音楽がしょぼいので壮大さの欠片もなく、映像が粗雑なので場面場面の断片は俺脳内補完的であり、説明過少なのでアナザー設定満載。意図的にでなくともセカイ系の箱庭構図が完成する。セカイ系の台頭は実は意図してではなくて、偶発的な部分もあったんかなあと今さら思う。麻枝も奈須もセカイ系じゃなくて世界を見てるつもりだったけど単にツールがしょぼかったためにオタク救世主としてセカイ系に組み込まれちゃっただけの人たちなのかなと。で、それがどーなる、という話になると知識不足でなんも胃炎のですが。
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