あまり良くない思考の展開かもしれないけれど、唯物論であろうと観念論であろうと人は死んじゃったほうがいいんじゃなかろうか。この世は不条理だ、存在は無意味だ、存在は嘔吐だ、とかいうのに結局は無意味を受け止めて歓喜に至れ、とか言う結論になるのは単にアプリオリ(要するに本能だろ)として死にながら生きるプログラムをヒトが獲得しているからに過ぎなくて、どこまでも完璧無比に理性的な生がヒトであったとするなら生まれた瞬間に息を止めて窒息死してしまうのではなかろうか。
神が存在したとして、この世は偽りの世界であるのだから早々に死んでしまわなければならない。神が存在しないとして、この世は無意味であり非存在なわけだから死んでしまわなければならない。存在に絶対性はないけれど死には絶対性があるので真理に至るのなら早々に命を絶つ必要があるのではなかろうか。
ハイデガーとかニーチェとかのいってる不条理からの解脱は東洋思想かぶれ丸出しの現実逃避にしか思えないのだよね。まず前提として僕は死んでいるわけで、生きているわけじゃない。存在に意味がないのなら文字通り生は無であるわけだから生は同時に死んでいるのだろう。死んでいながらも生きているフリをして生きることを推奨するのもある意味ナンセンスだ。人間という「場」においては本能が邪魔して無意味と分かっていても生きつづけなければないアンビバレンツな存在でもあるのだけど。完全なる真理はやっぱり「死」そのものというか非存在しかありえないのではなかろうか。だったら生きてるつもりも、死そのものも実は何も変わらないはずだ。いや、生きながら死んでいるよりも、死そのものの方がより非存在に近いのだろう。永遠の停滞。絶対真理。それが死だろう。もちろんヒトとして僕は死ぬのが死ぬほど怖いけどさ。くそう、この腐れた脳みそめが。まだ喜び足りないのか。
神が存在したとして、この世は偽りの世界であるのだから早々に死んでしまわなければならない。神が存在しないとして、この世は無意味であり非存在なわけだから死んでしまわなければならない。存在に絶対性はないけれど死には絶対性があるので真理に至るのなら早々に命を絶つ必要があるのではなかろうか。
ハイデガーとかニーチェとかのいってる不条理からの解脱は東洋思想かぶれ丸出しの現実逃避にしか思えないのだよね。まず前提として僕は死んでいるわけで、生きているわけじゃない。存在に意味がないのなら文字通り生は無であるわけだから生は同時に死んでいるのだろう。死んでいながらも生きているフリをして生きることを推奨するのもある意味ナンセンスだ。人間という「場」においては本能が邪魔して無意味と分かっていても生きつづけなければないアンビバレンツな存在でもあるのだけど。完全なる真理はやっぱり「死」そのものというか非存在しかありえないのではなかろうか。だったら生きてるつもりも、死そのものも実は何も変わらないはずだ。いや、生きながら死んでいるよりも、死そのものの方がより非存在に近いのだろう。永遠の停滞。絶対真理。それが死だろう。もちろんヒトとして僕は死ぬのが死ぬほど怖いけどさ。くそう、この腐れた脳みそめが。まだ喜び足りないのか。
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