死ぬことは恐怖ではなくて恐怖だと認識してるだけなんじゃないかと
2003年4月9日戦争について思うことは
多分どっか別のとこでも人はたくさん死んでる
はずなのでその事象についてはなにも
思わないのかな、という感じ。
例えば交通事故。
例えば病気。
ニュースではこういう事がありましてこういう酷い
怪我をしました。死にました。
との報告はあるものの、
数の単位で示すなら圧倒的に
別の理由で死ぬ人の方が多いわけで。
分かりやすく書けば
戦争で死ぬ人は毎年交通事故で亡くなる人に
比べると全然少ないらしい。
実際問題今回のイラク戦争に関して
これは戦争です!
といえるほど人は死んではいないんだよね。
数の問題ではない、と言えばそうなんだけど
死というのは常にゴロゴロそこらじゅうに
転がってる産物であって天然記念物みたいに
考えるのはちと違う気がする。
経済による弾圧でだって人は死ぬし、
自殺でも人は死ぬし、
多分死は事象としてそこに存在するものであって
人の死によって何かを憎んだり、恨んだり、
つまりそれを敵と認識するのはちょっと死という
物事に過敏になりすぎなんじゃないかと
思うわけでして。
だって地球の裏側の人間が今日死にました、
と聞いても僕は痛くも痒くもないし、悲しくもない。これが家族やとても親しい友人となると話は
別だけれども、それも地球の裏側の人にとっては
またどーでもいいことなのだろう。
それくらい人の命とは軽いもんだと思うんだけどね。
多分どっか別のとこでも人はたくさん死んでる
はずなのでその事象についてはなにも
思わないのかな、という感じ。
例えば交通事故。
例えば病気。
ニュースではこういう事がありましてこういう酷い
怪我をしました。死にました。
との報告はあるものの、
数の単位で示すなら圧倒的に
別の理由で死ぬ人の方が多いわけで。
分かりやすく書けば
戦争で死ぬ人は毎年交通事故で亡くなる人に
比べると全然少ないらしい。
実際問題今回のイラク戦争に関して
これは戦争です!
といえるほど人は死んではいないんだよね。
数の問題ではない、と言えばそうなんだけど
死というのは常にゴロゴロそこらじゅうに
転がってる産物であって天然記念物みたいに
考えるのはちと違う気がする。
経済による弾圧でだって人は死ぬし、
自殺でも人は死ぬし、
多分死は事象としてそこに存在するものであって
人の死によって何かを憎んだり、恨んだり、
つまりそれを敵と認識するのはちょっと死という
物事に過敏になりすぎなんじゃないかと
思うわけでして。
だって地球の裏側の人間が今日死にました、
と聞いても僕は痛くも痒くもないし、悲しくもない。これが家族やとても親しい友人となると話は
別だけれども、それも地球の裏側の人にとっては
またどーでもいいことなのだろう。
それくらい人の命とは軽いもんだと思うんだけどね。
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