富野と北野

2002年10月4日
人ガ死ぬのに必然性なんてもんは本来ならないはずだから
リアリズムを追求する死に様を描くときの
北野映画やら富野作品の前触れもなく「死」にいたる
描写はかなり俺的に好きなやり口なんだよね。
普通あんな簡単に物語中に主要キャラがバタバタ死なれたら
作品そのものが通らなくなるはずなんだけど、そこを大局の中のひとつでしかない「死」だと描写することで、あるいは道端歩いてたらしんじゃいました
的に、ごく日常に死が転がってるかのごとく見せることで違和感なく物語りに投影してく辺りに上手さを感じる。

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